051 繋いだ手の温かさ▽side:総司
「ばか。クソガキ。だいっきらい」
そんな捨て台詞を残して、美緒ちゃんは布団の中に隠れてしまった。
あーあ、ちょっと苛め過ぎちゃったかな。
大福みたいに丸くなった布団の中からはしばらくぶつぶつと恨み言が聞こえてきたけれど、気付けばそれは静かな寝息に変わっていた。
怒りながら寝ちゃうなんて子供みたい。
それでなくても熱で呼吸が浅いのに、布団の中に入ったままじゃ余計息が苦しいんじゃないの?
そっと上掛けをめくる。
眉間にしわを寄せて眠る顔は本当にあどけない。
(僕にガキって言うけど、美緒ちゃんも充分ガキじゃない)
無防備な寝顔に思わず笑みが零れる。
首の後ろに手を差し入れて、起こさないようそっと上体を持ち上げると、頭を枕の上に移した。
布団を掛け直して、汗で額に張り付いた前髪を指先で梳く。
真っ赤な顔と辛そうに歪めた眉根が、熱の高さを物語っていた。
小さく開いた口からは浅く速い息。
余りにも苦しそうで、少しでもその苦痛を和らげてやりたくて、冷えた自分の手を、その額に置いた。
(額を冷やす濡れ手拭いでもあればいいんだけど)
部屋を見渡すけれど、適当なものは見当たらなかった。
そういえば前に、勝手場で水を貰った時、濡れた口を拭う為に毛羽立った布を借りたっけ。
音を立てないよう静かに部屋を出て、勝手場に下りる。
水場の横に前に見たのに似た毛羽立った布が吊り下げてあった。
こちらの方が少し薄くて短い。
取り敢えずそれを拝借することにして、水を張る桶を探す。
桶自体は見当たらなかったけれど、ちょうどいい大きさの器があったから、それに水を張って、布と一緒に部屋に持ち帰った。
湿らせた布を固く絞って美緒ちゃんの額に置く。
何度目かに布を冷やし替えた時、美緒ちゃんの瞼がうっすらと開いた。
焦点の合わない瞳が、僕の顔を行ったり来たりする。
「ばあ、ちゃん」
手、握ってて。
そう呟いて手を差し伸べてきた彼女に思わず苦笑する。
一体どうやったら僕が君のおばあさんに見えるのかな。
そう言いたかったけど止めた。
病人だしね。
今日はちょっとだけ優しくしてあげる。
布団の隙間から差し出された華奢な手をそっと握った。
自由な方の手で美緒ちゃんの髪を撫でると、美緒ちゃんは安心したようににっこり笑って目を閉じた。
「大丈夫、ここにいるから」
だから、お休み。
こくりと頷いた彼女から、再び規則正しい寝息が聞こえて来るまで、僕は彼女の髪を梳いていた。
そうしていれば彼女の顔は幾らか穏やかになる。
うん、長引く熱じゃなさそうだね。
ころりと横向きに顔を倒したその額から布が落ちる。
それを取り上げて、桶代わりの器に浸した。
濡れて、また額に張り付いていた前髪をそっと横に流す。
それに反応したのか、ぴくりと彼女の手が跳ねた。
「……、……て」
彼女の口から微かな呟きが漏れる。
起こしてしまったかな。
言葉を聞き取ろうとして、口元にそっと耳を寄せた。
「……ひとりに、しないで」
うわ言のようにそう言った彼女の眼尻から、すうっと一筋の涙が流れた。
それを指先で受け止めて、もう一度ゆっくり彼女の髪を梳く。
怖い夢でも見てるのだろうか。
つい、幼い頃の自分と重ねてしまった。
早くに両親を亡くして、毎晩孤独な夢に魘されていた昔の弱い僕の姿を。
「大丈夫、大丈夫だから」
眠っている彼女に、言い聞かせるように呟く。
一人じゃない。
美緒ちゃんは、一人なんかじゃないよ。
ぎゅっと繋いだ手を強く握る。
僕は近藤さんみたいにはなれないけど、でも今だけはここに居るから。
ちゃんと感じて。
繋いだ手の温かさを感じて。
一人じゃないって分かるから。
一人じゃないから。
迷子になった幼子を宥めるように強く手を握ったまま、僕はその額にそっと口付けを落とした。
88/194