花火の夜にどん、どんと遠くから花火の弾ける音が聞こえてくる。
ああ、もう始まったか。
ほんの少し歩調を速めた。
夕暮れ時、いつもなら家路を急いでいるであろう町人たちの足が、今夜だけは少し浮ついた風に鴨川を目指す。
その顔はどこか子供のように輝いていて、ふと隣を見下ろせば、葵の表情も似たようなものだった。
「おい、口開いてんぞ」
「げ。うわ、やだ」
到底女とは思えない反応が返ってきて、思わず失笑する。
慌てて口元を押さえる姿が可笑しかった。
隊士等に交じって生活させている内に、元々のさばけた性格が、更に度を増したと思う。
新八らとよく一緒にいるせいか、素行も少しガサツになった。
こいつの親が今の葵を見てどう思うだろうか、なんてことを考えると頭が痛い。
「今日くらいちったぁ淑やかにしてろ」
俺の歩幅に合わせてどかどかと大股で歩いていたのに気付いて、ほんの少し歩みを緩める。
こいつは裾が捲れるのなんて一向に気にしないで、こちらに歩調を合わせて歩くから、つい、今夜は女物の着物を着させてるんだってことを忘れてしまう。
その格好にどこか違和感を覚えるのは、見慣れないからか。
「別にわざわざお雅さんの着物借りなくたって」
不慣れな着物が不便なのか葵は口を尖らせる。
女の格好は暑いと言ってやたらとそこら中を引っ張るものだから、襟元が少し崩れていた。
自分の襟元を示して、着崩れていることを教えてやると、渋々襟を引っ張る。
「私、袴姿でよかったんじゃないの」
「生憎、俺に男を連れ歩いて喜ぶ趣味はねぇよ」
「だったら千鶴ちゃんと来ればよかったのに」
「はぁ?だから、ただの花火見物じゃねぇっつったろ」
「はいはい、市中巡察の一環なんでしょ。ならやっぱり、いつもの格好の方が好都合じゃん」
「なんだ、副長命令に文句でもあるのか」
「まさか」
おどけた風に肩をすくめて見せる姿がこれまた可愛くない。
どうにかならないものか、と頭を悩ませ始めたのは、何もこいつの両親に顔向け出来ないとかそういう理由だけではないことを最近自覚し始めた。
自覚してしまえば、自分の気持ちなんか明白で、女々しいとは思いながらも隊務を口実に女の格好までさせて連れ出した。
「ところでお前、簪どうしたよ」
ふと、結い上げた髪に最低限の簪しかくっついていないことに気付いた。
先程の違和感はこのせいか。
着物ばかりが華やかで、頭の方はと言うと実に質素だった。
ここに来るまでそれに気付かなかった自分に呆れる。
確か、着物と一緒に髪飾りの類もお雅さんは準備してくれていたと思うのだが。
「あんな小さくて華奢なもの、すぐに失くしたり壊したりするしね」
飄々とそう言ってのける唇にため息が出る。
なんで失くしたり壊したりが前提なんだよ。
「ちょっと来い」
ぷらぷらと遊んでいた葵の手を取ると、手近な小間物屋に引き摺り込む。
葵が戸惑っている間に、着物の色に合いそうな紅色の簪をひとつ買い求めた。
その場でその簪を適当な髪に差し込んでやる。
「よし」
「何が『よし』なの」
こんな勝手なこと、とこちらを睨み据えながら、今差したばかりの簪を引き抜こうとするから、その手を捕まえて、強く握りしめる。
汗ばんだ小さな手が、俺の掌の中で小さく抵抗した。
それを逃がさないよう更に力を込める。
「今日くらい淑やかにしとけっつったろ」
そう一喝して、手を引いたまま歩き出した。
「こんなのが頭に差さってちゃ、壊さないかばかりが気になって隊務に支障が出るよ」
顔を見なくったって、声だけでふくれっ面なのが分かる。
その格好で、普段通りの巡察をしようと思っていたとは呆れた。
こちらの意図には一切感づいていないということか。
その鈍さに救われているようで、じれったくも感じる。
「端からそんな格好のお前なんかアテにしちゃいねぇよ」
「じゃあ十人に囲まれたらどうするの」
「そんなのどってことねぇよ」
俺を誰だと思ってやがる。
そう豪語してやれば、背後の声が笑う。
声と一緒に繋いだ手も揺れた。
「手、放してくれない」
「そりゃ無理な話だ」
「どうして」
「捕縛対象が悪さしねぇようにすんのは当たり前だろ」
私は長州の浪士じゃない。
そう言って、また葵が笑う。
つられるようにして、俺も笑った。
「観念して大人しく捕まっとけ」
叶うなら、この先ずっと、いつかその心までもを捕らえるまで。1/1