その夜、隣で眠る彼の穏やかならぬ呼吸で眼が醒めた。彼は頭を左右に振りながら、何かから逃れようとしている様だった。時折聞き取りにくい声で何事かを口走る。意識が無い事は明らかだった。
 ルカは暗がりの中で身体を起こし、クローヴィスの肩に手を掛けた。
「クローヴィス」
 落ち着いた声で名を呼ぶ。それから彼はクローヴィスの身体を軽く揺すった。だが、クローヴィスが眼を醒ます気配は無く、現実の身体への刺激と夢のそれとが混同しているのか、ルカの手を振り払おうといた。
「クローヴィス、起きなさい」
 半ば呻く様な声で尚も魘され続ける彼の身体を、今度は少し力を籠めて揺すった。発作でも起こしたかの様に乱れた呼吸を繰り返していた彼は、一度びくりと身体を震わせて唐突に眼を開けた。
 夢を見て魘されていて、ルカに起こされたのだという事を理解するのには少し時間が掛かった。彼は眼を見開いたまま、暫く闇を見つめていた。殆ど何も見えはしなかったが、暗闇の中にルカの気配を感じた。
「ルカ…?」
 その存在を確かめる様に、彼はか細い声で呼んだ。
「おいで」
 夢の内容も、魘されていた理由も察しはついていた。ルカは起こしていた身体を再び横倒え、腕を伸ばして彼の背中に回した。抱き寄せた小さな身体は未だ小刻みに震えていた。
「ルカ…俺がリズを…殺したの…?」
 彼の首と胸の間に顔を埋めたクローヴィスは、酷く怯えた様子でそう訴えた。
 一体誰がそんな風に彼を責めたのだろう。
「違う。そうじゃない」
 宥める様にそう言うと、彼は嫌々をする様に大きく首を振った。
「俺がリズを殺した」
 彼はそれきり言葉に詰まって、悲痛な嗚咽を洩らすばかりだった。ルカは黙ってひとしきりそれを聞いていたが、やがて彼が幾らか落ち着きを取り戻してきた頃、何処か淋しそうにぽつりと呟いた。
「大切な何かを失う痛みを私もまた知っている」
 それはまるで美しい詩でも読むかの様だったが、経験に裏打ちされたものだけが持つ悲愴さが、そこはかとなくあった。
 どんな慰めの言葉よりも強く胸を打たれて、クローヴィスは思わず顔を上げた。こんな風にルカが自分の事を話す事は滅多に無い。こんな風に、自分の痛みを曝け出すのは。もしかすると、はじめてかもしれない。
「ルカ?」
 一体何の事を言っているのだろう。クローヴィスは訝しげにルカを見上げた。自分の頭の直ぐ上にルカの顎があったが、表情までは暗くてよく判らない。けれど、一瞬にしてルカを取り巻く空気は元の色に戻っており、彼がそれ以上その事について話す気が無い事だけは理解できた。
「忘れろとは言わない。だが、いつまでも過去に捕われるのはもうやめなさい」
 クローヴィスは再び彼の胸に顔を寄せた。
「俺は許されるのかな…」
「それを決めるのは私ではない」
 最後は突き放す様に無機質な声で言う、無慈悲な言葉が何故か心地良くて。
「ねぇ」
 やがて穏やかな呼吸を取り戻したクローヴィスは、ルカの腕の中で不意に尋ねた。
「どうしてあの夜あそこにいたの」
 あれがレクイエムだと判った理由は納得できても、そこが判らない。そもそもどうしてあそこにいると判ったのか。
「君が呼んでいる様な気がしたから、かな」
 ルカは微かに笑いながら言った。相変わらず冗談なのか本気なのか判らない。
「呼んでないよ、ルカの事なんか」
「そうかい? 私には聴こえたよ、君の呼ぶ声が」
 事も無げに口にし、笑う。
 貴方が言うと、それが真実であるかの様に思えてしまう。
 でも。
 真偽の程がどうであれ、リズが死んだあの夜、打ちのめされて壊れそうになった俺を支えてくれたのは、紛れも無くルカだった。
 貴方は狡い。傍にいて欲しい時には何でも無い様な顔をしていつも必ずそこにいる。
 ルカの過去に何があったのかは知らない。訊いてもどうせ答えてはくれない。
 それでも、もしもふたり同じ傷を抱えていたなら、どうしようも無く救われた気がするの。


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