三日程仕事で家を空けていたレスタトと落ち合ったのは、馴染みのマスターのいるいつもの喫茶店だった。カウベルを鳴らして木製のドアを開けると、グラスを拭いていたマスターが顔を上げた。
「よぉ、クローヴィス、久し振りじゃねぇか」
 愛想良く声を掛けてきたマスターに返事をして、クローヴィスは店内を見回す。
「デイヴなら奥にいるぞ」
 マスターはそう言って店の奥を示した。
 彼はレスタトの事をデイヴィスの愛称であるデイヴと呼ぶ。今はこうして地元密着型のこぢんまりとした喫茶店のマスターに収まっているが、彼も以前は情報屋をやっていた男だ。
 クローヴィスは彼が示した先に視線を走らせた。一連の事件に関して触れてこない所をみると、隠居が口癖の彼は本当に何も知らないらしい。知らないなら知らないに越した事は無いと思い、黙って店の奥に歩を進める。
 レスタトは一番奥の席にいた。空いてさえいれば、彼はいつもそこに座る。クローヴィスが黙って向かいの席につくと、レスタトは読んでいた新聞から顔を上げた。
「早かったね。調子はどうだ? 未だ痛むか?」
「問題無い」
 身体を気遣う様に少しだけ心配そうな顔をした彼に、クローヴィスは短く答えた。傷が癒えるまで暫く仕事はするな、無茶もするなと、レスタトと中条に散々釘を刺されていたクローヴィスは、此処の所本当に大人しくしていたのだった。お陰で考え事をするには丁度良かった。
「それなら良かった」
 レスタトは頷きながら相好を崩した。
「で、どうだった?」
「今週中にはあそこを出るよ」
 伊達に時間を持て余していた訳ではない。あり余る時間を利用して不動産屋を回ってもいた。
「安普請だけどまぁまぁな物件を…」
「そっちじゃなくて」
 レスタトはクローヴィスの言葉を遮って、拍子抜けした様に溜め息を洩らした。
「行ったんだろ?」
 諦めを含んだ、何処か醒めた眼で彼はクローヴィスを見つめた。中条に言われるまでも無く、クローヴィスがルカに逢いに行かないではいられない事など判っていた。その事で責めるつもりなどなかった。
 クローヴィスは一瞬きょとんとしてから、直ぐに彼の言外の意を汲んで静かに首を振った。
「逢えなかったのか?」
 レスタトは驚いた様に言った。クローヴィスはもう一度首を振る。
「いや、そうじゃなくて。ルカは関わってなかった」
 あぁ、そういう意味か、と思う。クローヴィスの表情は判りにくい。
「そっか…」
 レスタトは呟いて小さく頷いた。そこへ、マスターに命じられたらしい、こちらも顔馴染みのウエイトレスがクローヴィスのカプチーノを持ってやって来た。どうも、と会釈して受け取る。
「それよりさ」
 レスタトは読みかけの新聞を乱雑に折り畳んで脇へどけると、ルカについてはそれ以上追及せずに話題を転換した。クローヴィスがルカは関わっていないと断言するからには、それなりの根拠があるはずだからだ。
「どうすんだよ、これから」
 幾らか真剣な面持ちで問う。クローヴィスの暗殺を企てた奴をどうするのかと訊いているのだ。
 実際、あれ以来逆に不気味な程音沙汰が無い。あのライブハウスでの襲撃が成功したとでも思っているのだろうか?それとも、一連の暗殺劇は同一人物によるものではなく、別の人物がたまたま同じ時期に殺しを依頼しただけだったのか?
「う〜ん、どうしようかね」
 クローヴィスはソファの背もたれに寄り掛かって、腹の傷を服の上から軽く叩いた。そんな彼の様子に、レスタトは苦笑を禁じ得ない。
「お前なぁ…。野放しにしておく訳にはいかないだろ?」
「そりゃそうだけど」
 クローヴィスは煮え切らない口調で語尾を濁した。
 レスタトの言う事は理解できる。もしも本当にゼータスが絡んでいるのだとしたら、このままで済まされるはずが無い。だが、実際途方に暮れているというのが正直な所なのだ。ゼータスに関して噂以上の情報を得る事はできず、確かな事は何も掴めていないままだった。
「それにしても、立て続けに二度ってのは余程の恨みでも持ってんのか、はたまた敵が多いのか…」
 レスタトがぼやきながら思案げに腕を組むと、クローヴィスはくすりと笑った。レスタトが眼を上げる。
「何で笑うんだよ」
 彼は眉を寄せてクローヴィスを軽く睨み、非難する口調で言った。
「いや、同じ事を考えてた」
 クローヴィスは首を振って否定の意を示したが、尚も滲む様に笑っていた。馬鹿にしたのではなくて、レスタトが同じ事を考えていたのが可笑しかったのだ。
「笑い事じゃねぇよ」
 レスタトは怒った振りをしながら内心で安堵していた。何事も無くて本当に良かった。クローヴィスがルカと接触するとろくな事にはならない。また酷く傷付けられて帰ってくるのではないかと、それだけを案じていた。
 それでも止めなかったのは、彼の意思を尊重したかったから。
 いや、嘘だ。言っても聞かないと判っていたからだ。
 けれど、こうして見ているとまるで憑き物が落ちたかの様だ。こんな風に笑えるなら大丈夫、そう思った。
「同じ事を考えてたって言ったな? お前はどう思うんだ?」
 レスタトは不意にあたりを憚る様に、身を乗り出して声を潜めた。
 敵はひとりか、複数か。
「確証は無いけど、同じ奴の気がする」
 それがゼータスであろうと、無かろうと。
 クローヴィスの返事に、レスタトは頷いた。
「俺もだ」
「でも、だったら真っ先にお前に接触を図ってくるだろ。そこが腑に落ちないんだよな」
 クローヴィスは腕組みしながら首を傾げた。仮にも死体をひとつでっち上げ、クライアントを騙したのだ。クローヴィスが生きていると判れば、別の殺し屋を雇う前にレスタトを消す事を画策するだろう。幾ら仲介人をふたり立てているとはいえ、その気になれば依頼を受けた殺し屋を突き止める事など造作も無いはずだ。
 だが、それでもどういう訳か偶然が重なったとは思えないのだった。何か一筋の意思の様なものを感じる。
 ふたりは少しの間黙り込んだ。灰皿に乗せられた煙草の先から細い煙がゆらゆらと立ち昇っていた。細く流れていた有線放送の曲が終り、束の間沈黙が流れる。
 レスタトの頭を別の可能性が過った。
 もしも。
 もしも俺とクローヴィスの関係を知った上で、俺たちが狂言を演じる事を見越した上で、俺に依頼をしてきたのだとしたら?
 クローヴィスの暗殺が本当の目的では無い?
 いやいや、それはないと、レスタトは馬鹿げた考えだと頭を振った。そうだとしたら、あのライブハウスでの襲撃は無かったはずだ。第一、そんな回りくどい事をする理由が判らない。クローヴィスを殺した様に見せ掛ける事で誰かが得をするとも思えない。
 不意に視界の隅で何かが動く気配がした。顔を上げると、クローヴィスの顔色が変わっていた。真っ青になって戦慄している。くちびるが小さく震えていた。考えに耽っていて彼の様子の変化に気付かなかったレスタトが、声を掛けようとした、その時だった。
「マスター、止めて!!」
 勢いよく立ち上がったかと思うと、彼は鋭く叫んだ。テーブルが音を立て、飲みかけの珈琲が揺れる。マスターが何事かと振り返った。
 何が起こったのか判らずに、ただ彼の異様な様子に驚いていたレスタトは、だが次の瞬間、唐突に鼓膜に飛び込んできた音で全てを理解した。
「有線!!」
 間髪入れずに言い放つ。何が何だか判らぬまま、その剣幕に気圧される様にしてマスターは有線のチャンネルを変えた。
 クローヴィスの震える青いくちびるが、つと歪められた。吐き気を堪える様に軽くくちびるを噛み、彼はそのまま席を立ってしまった。
「クローヴィス…」
 思わず腰を浮かせかけたが、追う事はできなかった。
 レクイエム。
 あれは、リズの為のレクイエム。
 未だ少しも癒えてなどいないのだと思った。こんなにも呆気無く、傷はまた開く。こんなにも呆気無く、彼は四年前に引き戻される。この四年間がまるで無かったかの様に。
 レスタトは崩れ落ちる様に椅子に腰を落とし、深々と溜め息をついた。
 どうする事もできない。そこは、俺の踏み込めない領域。単なる情報として彼の過去を知りはしても、俺は当時を知らない。クローヴィスが自分の口から話してくれたからといって、無闇に立ち入って気安く慰めの言葉など掛けられるはずがなかった。


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