頭が痛い。
 逃げる様にあの部屋を去ったクローヴィスは、割れそうな頭と鈍い痛みの残る身体を引き擦りながら、繁華街を歩いていた。外に出た途端に眩しさに目眩を憶えた。降り注ぐ穏やかな日差しが、まるで突き刺さる様に痛い。
 逃げ込んだのは、通りに面した小さなバール。カフェとバーが一体になった様な店だが、未だ日の高いこの時間帯ではカフェの色合いが濃かった。数組の客が思い思いに午後のひとときを楽しんでいる。
 バンコと呼ばれるカウンターに人はおらず、クローヴィスは奥の端に陣取った。
「ビール」
 近付いてきた店員に、メニューも見ずにそう告げる。真っ昼間から飲んだくれる趣味は無かったが、アルコールに逃げずにはいられない気分だった。カフェラテを片手に優雅にお茶をする気になどなれない。
 かしこまりましたとだけ言って直ぐにビールを注ぎにかかった店員の動作を見るともなしに眺めながら、彼は重い溜め息をついた。
 どうしてこんな事になった?
 こんなに簡単に流されてしまうなんて。
 鳴り響く耳鳴りに混じってルカの声が聴こえた。
 君が、私を求めたんだよ。
 違う。
 求めたのは情報。俺が求めたのは真実。真実に辿り着く為の手掛かり。
 貴方じゃない。貴方なんかじゃ…。
「クローヴィス・クランツバーグ…だな?」
 唐突に名前を呼ばれて振り向くと、いつの間にか隣に見知らぬ男が立っていた。
 じろりと素早く観察する。見憶えなど無かったが、どうやら向こうはこちらを知っているらしい。
 尾けられていた?
「何だ、あんた」
 質問には答えずに、不審そうに眉を顰めて問い返す彼を、男は不敵な笑みを浮かべて見つめ返した。
「情報屋。いや、民間協力者と言うべきかな」
 民間協力者。その一言で察しがついた。ベアトリーチェが雇ったのはこの男だ。
 だが、その情報屋が何故声を掛けてくる必要があるだろう。面が割れない方が動き易いだろうに、どうしてわざわざ自分から出向いてくる?
 どうにも胡散臭い。びしりとスーツを着込んだ寡黙そうな男は黙っていれば紳士に見えなくもないが、信用する気にはなれなかった。彼女の事を信頼しているからといって、無条件でこの男の事まで信用する程お人好しではない。
「何の用だ」
 クローヴィスは相手を睨み上げた。お世辞にも愛想がいいとは言えない彼が仏頂面をすると大層人相が悪くなったが、アルベルトと名乗ったその男は全く意に介さなかった。
「まぁそう怖い顔をするな。俺はお前の敵じゃない。取って食ったりはせんよ」
「巫山戯るな」
 益々険しい顔をしたクローヴィスに、アルベルトは軽く肩を竦めた。
「別に用は無い。ただ少し気になっただけだ。死に損なったらしいじゃないか」
 あのライブでの一件を言っているのだろうか。流石にベアトリーチェが見込んだ情報屋だけの事はある。耳が早い。
 しかしそれにしたって嫌味な男だ。どうして彼女はこんな男を雇ったりしたのだろう。
 不快感を顕にあんたには関係無いと言おうとしたクローヴィスだったが、ふと思い直して口を噤んだ。
「あんた…何か知っているのか?」
 声を落として訝しげに問い掛ける。接触してきた理由はそれなのか。
 アルベルトは眼を伏せて小さく首を振った。
「いや、未だ何も。だが、気を付けた方がいい」
「?」
 未だという言い回しが引っ掛かりはしたが、不意に真顔になって言った続きの言葉の方がもっと気になった。クローヴィスは眉を寄せた。
 アルベルトがゆっくりと眼を上げる。その瞳が困惑するクローヴィスを捉える。
「ゼータスが動き出したらしい」
 真顔のアルベルトの口から飛び出してきたのは、予想だにしない名前。
「ゼータス、だと?」
 その突拍子も無さに、驚くというよりは呆れて、クローヴィスは鼻を鳴らした。
「あの組織は随分前に壊滅したはずだ」
 アルベルトとて知らないはずは無い。ゼータスといえば裏社会に生きる者ならば知らない者は無い巨大な組織だ。麻薬取引、売春斡旋、人身売買に臓器売買、銃の密売と、ありとあらゆる違法行為を手広く行っていた闇の組織。最早それだけでひとつの市場を形成していたと言っても過言では無い。
 だがそれも過去の話だ。
「どうやら残党がいた様だ。水面下で立て直しを図っていたのが、最近になって遂に動き出したらしい」
 まさかと思ったが、語るアルベルトは至って真剣な面持ちだった。クローヴィスの顔がすっと青ざめる。また思考回路がこんがらがる。
 一体何がどうなっている?
 何ひとつ解決していないのに、不穏な動きばかりが加速していく。どうしてこう次から次へと…。
 そこではっとした。
「奴らが関わってるっていうのか?」
 眉間に皺を寄せ、これ以上無い程に怖い顔をして問うクローヴィスに、アルベルトはもう一度肩を竦めた。
「残念ながら未だ何とも。だから言っただろう、気になっただけだと」
 あぁ、成程。ベアトリーチェに何を依頼されたのかは知らないが、俺の事を嗅ぎ回る内にゼータスの噂に行き着いたという訳か。
 そして、言葉を濁しはしたが、その噂を耳にしたアルベルトもまた、彼と同様にゼータスが一枚噛んでいると踏んだのだろう。このタイミングでそんな話を聞けば誰だってそう思う。だからわざわざ接触してきたのだと考えれば筋も通る。少し探ってみる必要がありそうだと思った。
「御忠告どうも」



 ZETUS
 よもやその名を再び耳にする日が来ようとは。
 あれは頭を潰されて崩壊したのだ。それをやったのは、他でも無い、ルカだ。
 往々にして組織というものは、それがどんなに大きなものであれ、いや、大きければ大きい程、頭を潰せば後は勝手に崩れていく。末端の構成員など所詮は取るに足らない無能な木偶の坊ばかりだからだ。ゼータスとて例外ではなかった。司令塔を失った彼らは迷走し、滑稽な程呆気無く瓦解していった。
 だが、終ったかに思えたあの組織が、此処へきて息を吹き返すなんて。あの巨大な組織を再建するだけの手腕と資質を備えた人物がいたなんて。
 仕掛けてきたのは本当に奴らなのか?
 奴らが俺を始末する理由が何処にある?

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