あぁ、リズ。君が無事で良かった。
 心からそう思うよ。
 他の何よりも、君を失う事に耐えられないから。
 君を護れない事に耐えられないから。
 窓枠に置かれた花瓶に眼をやる。白と薄い紫の落ち着いた色合いの花束が挿されていた。花の名前はよく判らない。多分リズが生けたのだろう。
 起こしたベッドにもたれて眺めながら、何と無く、彼女らしくない花だと思った。
 心は不思議と穏やかだった。押し殺している訳ではなくて、本当に何も込み上げてこないのだ。まるで現実味が無い所為かもしれない。もうピアノを弾けないかもしれないという実感が無く、十日も意識が無かったと言われても他人事の様にしか思えなかった。慌ただしく出入りする医者や看護師は終始沈痛な面持ちだったが、この身に起こった悲劇に実感は無く、何と答えればいいのか判らない。
 そんな調子だから、このまま意識が戻らないのではないか、戻っても脳に障害が残るのではないかと心配したと告げられても、彼は、はぁそうですか、と気の無い返事をし、逆に彼らを面食らわせた。
 ぼんやりと左腕のギプスを見下ろしていたら、唐突にドアが開いた。どうせまた看護師だろうと何の気無しに顔を上げたクローヴィスは、そこにリズの姿を認めて笑みを浮かべた。
 けれど、彼女はクローヴィスと眼が合うなり顔を歪め、俯いてしまった。
 竦んでしまったのだ。逢いたくて堪らなかったはずなのに、その胸に飛び込んで確かな息吹と温もりを感じたかったはずなのに、そうする事ができなかった。掛ける言葉さえ見つからない。
 彼はリズを手招いて、来客用の丸い椅子を勧めたが、彼女はその場から動けなかった。スライド式のドアは音も無くひとりでに閉まり、そう広くはない部屋にふたりきりになった。
「泣かないで」
 部屋の隅に立ち尽くしたまま突然泣き出した彼女に、クローヴィスは困った様に言った。そして密かに心を痛めた。この間は意識が朦朧としていて気付かなかったが、最後に見た時より随分やつれた様だ。
「笑えって言うの、酷い人」
 リズは鼻を啜り、火がついた様に更に泣き出す。
「そうだよ」
 彼は言ったけれど、どうしてこれが泣かずにいられるだろう。どうして笑えるだろう。
「俺の為に泣いてくれるのは嬉しいけれど、やっぱり君に泣かれると堪える」
 ぎこちなく肩を竦めるクローヴィスを見て、リズはあぁ恐れていた通りだ、と思った。
 この人はもう何もかも悟っていて、覚悟を決めてしまったのだ。
 クローヴィスが再度彼女を手招く。彼女は今度は大人しくそれに従った。手の届く場所まで近付くと、彼は彼女の肩を片腕だけで抱き寄せた。
「ごめんね、クローヴィス」
 彼の肩口に顔を埋めて、やっとの思いで呟いた彼女に、クローヴィスは不思議そうな顔をした。
「どうして君が謝るの」
 そんなのは馬鹿げているとでも言いたげに、彼は鼻先で笑い飛ばす。
「だってあたしの所為だもの。あたしの所為でこんな事に…」
「だからどうして君の所為なんて事になるのさ」
 貴方は何も知らないからよ。
 逆の立場だったら、貴方はきっと自分を責めるはず。
 あたしを庇ったからこんな事になった、それは曲げられない事実だもの。
「リズ、君の所為なんかじゃない」
 彼は泣きじゃくる彼女を宥める様に囁いて、震える細い肩に回した腕に力を籠めた。
「だから笑って。君は笑っていて。そして歌って」
 ねぇ、どうしていつもそうなの。嘆いて、喚き散らしてくれた方がよっぽどよかった。
 貴方の優しさが今は堪らなく痛い。



 それから少しして、リズは死んだ。
 病院の屋上から飛び降りたのだ。遺書の様なものは無かった。
 ねぇ、どうして突然俺の前からいなくなってしまったの?
 俺は君に再起して欲しかったのに。
 もう一度歌って欲しかったのに。
 俺が君を追い詰めたのかな?
 もう歌えないと泣きながら言った言葉が、俺が聴いた彼女の最後の声になった。



 更にそれから少し経ってからだった。
 あれが事故ではなく事件だと知ったのは。
 クローヴィスの元を訪れた警察官が、現場となった劇場のステージから銃弾が発見されたと言った。その警察官がベアトリーチェだった。何者かがクローヴィスとリズを、或いはそのどちらかを狙ってシャンデリアを落下させたのだ。
 余りの衝撃に言葉が出なかった。
 そいつの所為でリズは死んだっていうのか?
 どうして。
 どうして。
 どうして。
 恨まれる様な事も、命を狙われる様な事も何ひとつしていないはずだ。それなのに、どうしてリズが死ななければならない?
 リズは殺されたのだ。
 そいつがリズを殺した。



     ■ ■ ■



 だから殺し屋になった。
 リズを死に追いやった事件の真相を突き止める為に。誰が何の目的であんな事件を起こしたのかを知る為に。
 君は酷く自分を責めていたね。
 そんな必要なんて少しも無かったのに。
 誰かが、殺したい程憎んでいたのだとしたら、きっとそれは俺だ。君じゃない。
 だから君がいなくなる必要なんて何処にも無かったんだ。

 必ず真相を暴いてみせるよ。
 例えどれだけこの手を血と罪悪に染めようとも。
 報いは受けよう。
 全てが終ったその時に。

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