俯伏せに倒れている彼の身体を抱き起こし、乱れ掛かる髪を掻き分ける。
「シーエ……」
 リオの動きが止まる。
 その瞬間、判ってしまった。
 どれだけ揺さぶっても、もう、伏せられたその瞼が開く事はない事が。
 温かい繊細な手は、もう二度と頭を撫でてくれる事はないのだと。
 心地良い優しい声は、もう永遠に名を呼んではくれないのだと。
 何もかも全てが、手遅れだったのだと。
 リオは失われていく体温を留める様に、シーエの肩を抱き締めた。
「あああああぁぁぁ―――」
 悲痛な叫びが炎に包まれた聖堂に響き渡る。
 身体を引き裂かれる様な痛みがリオを襲った。今までに味わった、どんな死線を彷徨った痛みよりも激しい喪失の痛みに、彼はただ慟哭を上げ続ける事しかできなかった。
 伝える事ができなかった。
 どんなにシーエを愛していたか。
 シーエに愛される事がどんなに幸せだったか。
 やっと、彼と共に生きる決意を固められたのに。
 やっと、彼と向き合えると思ったのに。
 一番伝えたかった思いを、一番伝えたかった人に、伝えられなくなってしまった。
 自分が途方も無く愚かで、臆病だった所為で。
「…っ……シー…エ……」
 リオはシーエの亡骸をその腕に抱いたまま、肩を震わせ嗚咽を洩らす。堪えられない悲しみと絶望が、大粒の涙となって身体から溢れては、零れ落ちる。彼はゆらめく炎の中に浮かび上がる、祭壇の主を見上げた。
「Eloi,Eloi,Lama Sabachtani……(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」
 縋る様に、十字架の主に向かって呟く。溢れてやまない涙がシーエの頬を、瞼を、くちびるを濡らす。
 リオは彼の髪を梳き、頬を撫で、その冷たいくちびるにそっとキスを落とした。
 長い長いくちづけだった。
 やがて顔を離した彼は、淋しそうにほんのりと笑う。
「シーエ……ひとりで逝かせたりしないよ。一緒に、逝こう」
 囁くなり、リオは瞳を明るく閃かせてシーエの首に噛み付いた。未だ仄かに温もりの残るシーエの血液を、貪る様に吸い、飲み下す。最早、彼にとっては毒でしかないそれを。
「うっ……」
 不意に、シーエの身体に覆い被さる様にして血を飲んでいたリオの背中が、どくんと大きく脈打った。取り込んだシーエの血が体内を蝕みはじめたのだった。
「んぐっ……」
 胸を掻き毟りたい程の苦しさが彼を襲う。リオは懸命に歯を食いしばり、荒い息をつきながら、それでも尚、シーエの身体に食らいついた。
 程無くして、意識が遠のいてくる。苦痛が僅かに遠ざかる。
 これで、彼の元に逝ける。
 途絶えそうな息の下、ブレはじめた視界で彼を見下ろし、血に塗れた真っ赤なくちびるを笑みの形に歪める。最後に彼の名を呼ぼうと口角を吊り上げる。
 ズガン―――
 響き渡った一発の銃声。
「がっ……」
 衝撃を受けたリオの背が仰け反り、眼が見開かれる。反射的に手をついて上体を支えた彼は、恐る恐る自分の身体を見下ろす。胸の真ん中に穴が開いて血が流れ出していた。彼は撃たれたのだと悟ると、鬼の様な形相で背後を振り返った。
「ひぃっ…」
 炎の中でさえ異様な輝きを放つ、狂気を宿した眼差しに射抜かれ、震える両手で拳銃を構えていた男は、情けない悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。リオはがくりと肘を折り、片手で胸を押さえる。
「駄目、だ…」
 折角飲んだシーエの血が流れ出てしまう。
 彼は流出を押し留めようと、必死に掌で胸の穴を塞いだが、留まる所を知らない血液は指の隙間から次々と溢れ出し、あっという間に床を血の海にした。
「駄…目……シーエ、助…け、て…」
 彼は泣きじゃくりながらシーエの身体にしがみつく。
 お願いだから、シーエの所に逝かせて。
 シーエの所に還らせて。
 薄れゆく意識の中でただひたすらに希う。



 シーエ、必ず迎えにいくって言ったじゃないか。

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