やがて、精液の匂いの立ち込める部屋の中で、リオはのろりと身を起こした。脱ぎ捨てた服を取り上げようと腰を屈める。
「リオ」
 シーエが腰にシーツを引っ掛けただけの姿で呼んだ。背を流れる乱れた髪とあられもない格好で寝そべる姿はとても司祭のものとは思えなかったが、首に掛けたロザリオが否応無くそれを突き付けてくる。何か言いたげな彼を牽制する様に、リオはヘーゼルの眼を細める様にして仄かに笑った。
「日が昇る前に帰らないと」
 此処は、神の家。本当なら、異形の自分には足を踏み入れる事さえ許されない。
「近頃はこの辺りも物騒だから、お前もお気を付け」
 シャツに片腕を通したリオの背中に、シーエの声が飛んでくる。リオはまるで取り合わないといった風に受け流し、背中越しにひらひらと手を振った。
「やれやれ、判っているのかね…」
 彼の背中を見送り、苦笑と共に呟く。シーエは毛布をたぐり寄せ、寝返りを打った。ミサまでには未だ時間がある。

 リオは馬車で来た道を歩いて戻る。最初は人気が無かったが、獣道を抜け、石畳の敷かれた通りに出ると何人かの酔っ払いや娼婦と擦れ違った。灯りの点いた酒場からは賑やかな喧騒が洩れてくる。
 シーエが言ったのは、多分ヴァンパイアハンターの事だ。何処から嗅ぎ付けたのか、最近首都から離れたこの小さな街にまでヴァンパイアハンターがやって来る様になっていた。
 嗅ぎ付けられたのは、自分か、他のヴァンパイアか。どちらにせよ、今まで以上に慎重に立ち回らねばなるまい。
『獣の匂いがするよ』
 ふとシーエの言葉を思い出し、彼は腕を上げて肩口に鼻を押し宛ててみた。けれど、微かにシーエの匂いがしただけで、自分では判らなかった。
ハンターはどういう訳か鼻が利く。というより、鼻が利くとしか考えられない。人間よりも格段に身体能力に勝るヴァンパイアだが、普通にしていれば人間とさほど変わりはない。人を襲っている現場を目撃でもしない限り、一見しただけではそれと判らないはずだ。だからこそリオは、夜間限定とはいえこうして外を出歩ける。
 どうして、狩られなければならないのか。
 快楽殺人者じみた狂人ではない。ましてや、化け物でもない。今ではもう、余程の飢餓状態に陥らない限り、理性を失う事もない。血の通った、言葉も感情も痛みもある『人間』だ。
『人は己の理解を超えたものを恐れる。そして人は己が弱い事を知っているから、恐ろしいと感じたものを攻撃せずにはいられない。だからリオ、無闇に人を襲ってはいけないよ』
 未だ幼かった頃、飢えを制御する術を知らなかった頃、祖父は穏やかにそう窘めたものだった。
 彼は祖父と自分以外のヴァンパイアを知らない。たまたま周りにヴァンパイアがいなかったのか、自分と同じ様に人間に紛れているのを、気付かずにやり過ごしてきただけなのかは判らない。
 祖父は温厚な人だった。滅多に人間を襲う事は無く、やむにやまれず襲う時も決して殺しはしなかった。祖父には飢えを凌ぐ方法と殺さずに血を分けて貰う方法、人に紛れて生きる方法を教わった。よく真夜中に農園に忍び込んで、家畜の血を飲んだものだ。その祖父も遥かな昔に死んだ。
 シーエは、どうして恐れなかったのだろう。

「恐れる? お前を?」
 シーエは膝に乗せたリオの頭を撫でながら鼻で笑った。いつからか、リオは精液の補給が済むと、ベッドに腰掛けるシーエの足元にぺたりと座る様になった。そうして頭を差し出す様に、自分から彼の膝に頭を乗せる。
「あの時のお前は怯えた仔犬の様だったよ」
 彼は追憶に眼を細め、小馬鹿にしているとも取れる表情を浮かべて、膝の上で微睡むヘーゼルの瞳を見下ろす。黄金色の輝きを奥に隠した眼差しは、いつもより幾分暗く見えた。
 今でも鮮やかに思い出す事ができる。
 そう、あの時彼は、煌く黄金色と敵意を剥き出しにして、震えていた。
 人はあの輝きを恐れる。人ならざるものと戦慄く。
 あんなにも、美しいというのに。
「リオ…」
 相変わらず緩やかに頭を撫でながら、穏やかに呼ぶ。今夜の彼は祭服を纏ってはおらず、白いシャツを羽織っただけの姿だ。蝋燭の火によるものなのか、透けた肌の色によるものなのか、鈍い橙色に染まるシャツが酷く艶かしい。彼の細く繊細な指が髪を滑り落ちていく感覚と、今しがた体内に取り込んだばかりの彼の精液が身体を巡っていく感覚に、リオは束の間の安らぎを憶える。
 祖父がいなくなってからというもの、外ではこうして無防備に微睡む事はできない。昼間、太陽から隠れて眠る時も、いつだって神経を研ぎ澄ませている。そういう癖がついてしまった。動くものがあれば、例えそれが蟻一匹でも反応する。
「お前さえよければ、ずっと此処にいていいんだよ」
 紡がれた言葉に、リオはうっとりと閉じていた眼を見張って頭を上げた。驚きと困惑がない混ぜになった表情でシーエを見上げる。シーエはその声と同じ様に穏やかに微笑んでいた。
「そんな事、できる訳…」
「どうして?」
 心底判らないとでもいう様に無邪気に問い掛けてくる彼が信じられない。リオは益々困惑し、面食らった。
「どうしてって…だって此処は、神の家だ」
 口に出した事で今更の様に背徳感が込み上げて、彼は苦しげに顔を歪め、俯いた。
「お前は十字架も聖水もまるで平気じゃないか」
 長年に渡って信じられている迷信を引き合いに出してシーエは笑い、胸元のロザリオを指先に絡ませる。
確かに、ヴァンパイアが十字架や聖水を苦手とするというのは嘘だ。ついでに言えば、噛まれたものがヴァンパイアになるというのもでまかせだ。それが真実なら、人間とヴァンパイアの比率はとうの昔に逆転している。
 だが。そういう事を言っているのではない。からかっているのかと鼻白み、口を開きかけた、その時だった。
「私の主はそんな心の狭い方ではないよ。お前を爪弾きにしたりなどしない」
 見下ろす視線はいつに無く真摯で、リオは思わず口を噤んだ。
 それでも。
 再び俯き、きゅっとくちびるを噛む。
「駄目だ」
 神がどれ程慈しみ深く寛大な方だとしても、他の司祭やシスター、信者たちに知れたらどうなるか、そんな事はわざわざ言うまでも無く判っているはずだ。自分ひとりが吊るし上げられるだけならいい。だが、それでは済まない。シーエにも他の司祭にもシスターにもそれは及び、教会の権威は失墜し、引いては信仰そのものが消滅する。十字架と聖水、神の加護、実際に効果は無くとも、ヴァンパイアに対抗するとされるそれらの拠り所を失えば、人々は恐慌に陥る。
「そう…」
 ややあって、シーエは酷く平坦な声で言い、話を打ち切ってベッドに転がった。銀色の長い髪がシーツの上に広がる。
「上がっておいでよ」
 所在無げに床に取り残されたリオを、寝そべったまま呼ぶ。今のは全部ただの冗談だとでもいうかの様に、いつもの彼がそこにいた。それを合図と受け取ったリオは、呼ばれるままに仰向けに横倒る彼に身体を擦り寄せた。神の家だと言った、その舌の根も乾かぬ内に、と自嘲しながら。
 脇腹と腕の間に身を寄せた彼の顎を、シーエの指先が掬う。吐息が重なる。リオは変わらず、ふっと音の無い熱っぽい息を、合わせたくちびるの隙間から洩らした。
 反対の手が背中を這い、背骨をなぞって腰から侵入する。尾?骨を通り過ぎてそのまま伸ばされた乾いた指先に、リオは身体を強張らせた。
「や…」
 小さな悲鳴を上げて思わず身を引く。
「じゃあほら、自分で濡らしなよ」
 シーエはそう言うなり、顎を掴んでいた指をリオのくちの中に突っ込んだ。リオは一瞬苦しそうに眉を寄せ、「あ」とも「え」ともつかない呻きを上げた。
「ちゃんと濡らさないと痛いのはお前だよ」
 シーエは薄く笑いながら、舌を、頬の内側を、歯の裏を容赦なく蹂躙する。喉の奥に指を突っ込まれ、嘔吐いたリオは涙目になりながら、それでも彼の長い指に舌を絡ませた。ふふ、とシーエが眼を細めて笑う。
「いい子だね」
 そう言って腰を引き寄せる。リオは素直に彼の腹の上に四つん這いになり、腰を揺らした。充分に濡らした指をくちの中から引き抜き、尻の間に滑り込ませる。
「っは…」
 くちの中と同じ様に引っ掻き回してやると、リオは早くも息を乱しながら、縋る様にしがみついてきた。
「凄いね、リオ。後ろだけでイきそうだ」
 シーエの腹の上で、ズボンの中の膨らみは窮屈そうに質量と硬度を増している。咥え込んだ指を肉壁はきゅうきゅうと締め上げ、リオは悩ましげに眉を寄せたまま、腰を蠢かせていた。
 弧を描く様に一層大きく掻き回して、シーエはずるりと指を引き抜いた。リオはふるりと身体を震わせ、ねだる様に潤んだ淫靡な視線を向ける。
「欲しいの?」
 意地悪な問いを投げ掛ければ、恥らいながら眼を伏せ、こくんと小さく頷く。どうしていちいち恥ずかしい言葉をくちびるに上らせるのかと微かに戸惑う様子は窺えたが、快楽を求める気持ちの方が上回っているらしい。追及も、焦らされる事に対する文句も無く、ただただシーエに貫かれたくて打ち震えている。とろりと惚けた眼で、淫らにくちびるを半開きにし、ひっきりなしに短い吐息を紡ぎながら。
 だが。
「なら自分で挿れなよ」
 仰向けに寝そべったまま事も無げに放たれた言葉に、流石にリオは眼を剥いた。まるで催眠術にでもかかっていたかの様に、それが一気に解けたかの様に、一瞬にして正気に返る。
「ほら、早く。自分で脱いで、自分で挿れてごらん」
 頬を引き攣らせるリオをよそに、シーエは涼しい声で言う。そうして、早くしないと萎えるかも、と残虐な笑みを覗かせる。
 リオは暫く躊躇った後でおずおずと膝立ちになり、今度は別の意味で震える手をベルトに掛け、自分でファスナーを下ろした。片脚ずつ器用に抜き取り、下着も脱ぎ捨てて、再びシーエの上に跨る。彼はシーエのペニスを愛おしそうに取り出し、軽く扱き、根元を握って脚を開き、自分の後孔に押し宛てた。
 そして、ゆっくりと腰を落とす。鼻に掛かった妖艶な吐息が零れる。その間、シーエは両腕を身体の横にだらりと投げ出して自分は微塵も動かず、相変わらず冷酷な笑みを浮かべて、痴態を繰り広げるリオを見上げているだけだった。
「シ……エ…」
 腰を沈めながら、リオが切なげに呼ぶ。
「んっ…ふ…」
 珍しく声を上げて喘ぎ、彼は遂に耐えきれずに自ら腰を振りはじめた。そうして瞳を変化させて乱れる姿の、何と淫らで扇情的な事だろう。
「ぁ、あっ……シー…エ…」
 喉を仰け反らせて喘いだかと思えば、嫌々をする様に左右に首を振る。目尻に滲んだ涙がはらりと散る。
 気持ち良い場所を擦る様に腰を上下させて身悶える彼の姿に満足したのか、自身も限界が近付いたのか、そこでシーエは漸く動いた。胸の上について倒れそうになるのを支えていたリオの両腕を掴み、留めていたエネルギーを放出させる様に腰を突き上げる。腕を下方向に引っ張られている所為で反射的に身体を浮かせる事も叶わず、リオは思いきり最奥を抉られ、形容し難い嬌声を上げた。
 シーエは腹筋を使って上半身を起こすと、しがみつこうとするリオをそのまま押し倒し、くるりと身体を反転させた。それ以上曲げたら背骨がどうにかなってしまうのではないかという程に尻を高く掲げ、再び突き上げはじめる。
「あ゛ぁっ…」
「リオ…今日は随分と、興奮しているじゃないか」
 リオの身体に覆い被さり、耳の後ろで囁くシーエの声も切羽詰まって掠れている。
「あぅっ…」
 激しすぎる律動と強すぎる刺激に、リオはベッドに顔を押し付け、シーツを握り締めて耐える。
「リオ…」
 その張り詰めた低い声が引き金となった。
 シーエがリオの中に熱を吐き出したのと同時に、頭の中も真っ白に塗り潰された。





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