渇く。渇く。渇く。
 目眩がする。視界が揺れる。手足に力が入らない。
 彼は震える身体を押さえ、よろめきながら、人目を避ける様に路地裏に身を潜めた。途中、何人かが怪訝な顔で彼を見たが、気にしている余裕は無かった。煉瓦造りの壁に背を預け、深く息を吸う。
 余りの飢えに我を忘れそうだった。
 自身の両腕を抱き、爪を立てる。痛みが辛うじて理性を繋ぐ。
 カサリ、と物音がした。はっとして顔を上げると、視界の隅を鼠が横切っていく所だった。街灯の届かない薄暗がりの中で、黄金色の瞳が閃く。
 彼は恐ろしい速さで鼠を捕らえた。キィと一声鳴いたそれの喉笛にかぶり付く。鼠はもう一度か細く鳴き、痙攣し、やがて動かなくなった。
 軽くなった鼠の身体から顔を上げた彼の瞳は元のヘーゼルに戻っており、彼は口元の血を拭うと、その亡骸を路地の片隅に横倒えた。
 早く、行かなければ。
 この程度では、到底飢えは癒せない。
 彼は重い身体を引き擦って路地を出る。通り掛かった馬車を止める。
「教会へ」
 早口で言い、座席に身を沈めて顔を伏せる。手綱を握る老人が一瞬不審そうな眼差しを送った。
 当然だ。ミサはとっくに終っている。こんな夜更けに教会へ行くとなれば、余程の事情があるのかと思う。
 馬車はやがて舗装された石畳の道を抜け、足元の悪い砂利道に差し掛かる。車輪が石を踏む度に、車体が大きく揺れる。
「お兄さん、随分具合が悪い様だが、教会じゃなく医者に行った方がいいんじゃないのかい?」
 老人が振り向きながらしわがれた声で言った。彼は億劫そうに眼を開け、顔に掛かる髪の間から老人を見やる。
「いいから教会へ行ってくれ」
 覇気の無い掠れた声で告げると、老人はやれやれといった風情で小さく首を振り、また前を向いた。
「わしは構わんがね」

 森を背にしてひっそりと佇む、小さな教会の門を入る。老人の馬車はカラカラと元来た道を戻っていく。降り際、ぺこりと頭を下げた彼に、老人は帰りはどうするのかと尋ねた。それが待っていようか、という遠回しな申し出だと悟った彼は、それには及ばないと首を振った。
 外壁を白く塗られた聖堂へと足を踏み入れる。祭壇には灯りが灯されていた。此処は駆け込み寺だから、困った者、迷える者がいつでも来られる様に、常に灯りを絶やさない様にしているのだと、前に司祭は言っていた。
 誰もいない聖堂で、それでも並んだ長椅子は、不意の来訪者を歓待する様に鎮座する。
 彼は精魂尽きた様にその場にふらふらと倒れ込んだ。
 少しして、司祭館の方から足音が近付いてきた。美しい銀色の長い髪をキャソックの背に滑らせた神父が、蹲る彼の姿を見つけて歩み寄ってきた。
「今度は随分遅かったね」
 神父は慌てる風も無く彼の傍に膝をつき、薄く笑いながら言った。彼は僅かに頭をもたげたが、言葉を発する事はできなかった。
「全く、痩せ我慢をするからそういう事になるんだよ」
 呆れた様に言い、横倒る彼の髪を撫でる。
「まぁいい。おいで」
 神父は彼の身体を抱え上げ、片腕を自分の肩に回して立ち上がらせた。そのまま足元の覚束無い彼を支えて、司祭館まで歩いていく。

 司祭館に辿り着くと、神父は彼を無造作に床に下ろし、自分はベッドに腰掛けた。ゆうに腰まではある長い髪が、シーツを掃う。
「おいで、リオ。欲しくて来たんだろう?」
 神父がベッドの上から妖しく誘う。リオと呼ばれた青年は這う様にして彼の足元に跪き、震える手で法衣の裾をはだけた。瞳がまた、黄金色の光を宿す。神父は眼を細め、彼の頭に手を乗せ、撫でた。
 リオはゆったりと腰掛ける神父の脚の間にゆっくりと顔を近付ける。くちを開け、舌を出す。そこで神父は微かに顔を顰めた。
「お前、鼠でも食ってきたのかい? 獣の匂いがするよ」
 リオは答えなかった。出した舌先で神父のペニスに触れる。舐め上げ、先端キスし、くちに含む。神父は黙って彼の頭を撫でるだけだ。
 リオは手とくちびるを使って愛撫し続ける。やがて神父の身体が興奮の兆しを零しはじめる。
「本当に変わってるね、お前は。人間の血液よりも精液を選ぶヴァンパイアなんて」
 彼はくすりと笑い、うっとりと湿った吐息を吐き出した。リオは張り詰めたペニスを喉の奥まで咥え込み、舌を絡ませて貪り、吸い上げる。神父が小さく喘ぎ、優しく頭を撫でていた手が、ぐっと髪を掴んだ。
 喉の奥に射精される。噎せ返りそうになったが、リオはくちびるを離さなかった。ごくりと喉を鳴らして飲み下し、一滴たりとも取り零すまいとする様に、最後の一滴まで搾り取る様に、丹念に舐め上げる。
 渇きが癒されていく。身体に力が戻ってくる。まるで生き返るよう。
 リオは荒い息をつきながら、床に座ったまま神父の膝の上に頭をもたせかけた。
「満たされたかい?」
 そう言いながら、神父は再び頭を撫ではじめる。リオは小さく頷いた。彼の手は心地いい。
「こんなになる前に来ればよかったのに」
 神父は微かな笑みを含んだ声で呟いた。
「何なら血もあげるよ?」
 するとリオは酷く顔を歪めて大きく首を振った。
「人の血は飲まない」
「冗談だよ」
 彼は人間の血を飲む事を酷く嫌がる。どうしてなのかは知らないが、ヴァンパイアである彼が生き血を吸うのは、人間が家畜を食うのと同じ事で、自然な事ではないのかと思う。
 だが、彼はどうしても嫌らしいのだ。だから飢えるとこうして自分の元にやって来る。精液を摂取する事で飢えを凌ぐ事ができるらしい。時折思う。自分と出逢う前の彼はどうやって生きてきたのかと。同じ様な精液のパトロンがいたのか、夜な夜な街を徘徊しては跪いて提供を乞うたのか。何度かは人を殺めもしたのだろうか。訊いた事はないが、恐らく数百年の時を、彼はヴァンパイアである事を隠しながらひっそりと生き、多くの人間を渡り歩いてこうして此処にいるのだろう。
 神父は片手で支える様にして彼の頭を膝から持ち上げ、自分も床に降りた。脚の間に彼を挟み、片手を頭に添えたまま鼻先を近付け、くちづける。リオは自然な仕草で眼を閉じ、ほんの僅かに顎を上げただけだった。神父はそんな無抵抗な彼を床の上に押し倒す。首に掛けたロザリオがふたりの中腹で揺れ、長い髪が肩から滑り落ちてリオの頬を掠めた。
「今度はお前の番だよ」
 顔を近付けながら、囁く。ロザリオがひやりとリオの首筋に落ちる。形のいい薄いくちびるがゆっくりと降りてきて、鼻がぶつからない様に少し首を傾けた彼のくちびるを塞いだ。
 今度は長いキスだった。一旦くちびるを離してはまた重ね、重ねては離れ、そうしてやがて神父が舌を伸ばす。リオは受け入れ、おずおずと自分の舌を絡ませる。時折くちびるの端から零れる、どちらのものとも判らない吐息が、淡く切なげに漂う。
 神父はリオのシャツのボタンを丁寧に外し、胸元をはだけさせた。精液を摂取した事で赤みを取り戻した肌はそれでも病的な程に白く、蝋燭の仄かな灯りの中に浮かび上がる半裸体は研磨された彫刻の様に美しい。神父は吸い寄せられる様に、その創り物の様な肌に顔を埋めた。リオは微かに眉を寄せて身じろぎした。
「シーエ、痛い」
 静かな抗議の声。肉の薄い背中が床に当たって痛いらしい。すると神父はあっさりと離れ、ひとりでベッドに移動した。
「じゃあこっちにおいでよ」
 リオは片肘ついて身体を起こし、立ち上がった。中途半端に脱がされた服をするりと自分で落とし、おいでと片腕を伸ばした彼の指の先に立つ。シーエはリオの頬に触れ、うなじを抱く様にいて引き寄せた。自分の膝の上に彼を乗せ、片手は頬に宛て、もう片方の手は細い腰に回してキスをする。リオは両手を彼の肩に乗せ、顔を俯けてキスに応えた。そして、彼が肩から掛けている紫色のアルバを取り去った。
 シーエの指先がリオの背骨の曲線を撫でる。リオはくちびるを離し、彼のキャソックに手を掛け、彼がそうした様に詰襟の胸元を開く。
 途端に、彼の身体の匂いが鼻先を掠める。普段は寸分の隙も無く法衣に包まれているだけに、曝された首筋が、ただそれだけで酷く背徳的だった。
 と、不意にシーエが腰を捻ってリオを押し倒した。投げ飛ばされる様にベッドに背をつけた彼に覆い被さり、ロザリオを押し潰す様に体温を重ねる。首筋に噛み付き、頬骨を舌でなぞる。くすぐったそうに首を竦めたリオの下半身に手を伸ばす。リオは彼の背中に腕を回し、自ら下腹部を押し宛てる様に背中を仰け反らせた。生温い吐息がシーエの耳元を通り過ぎていく。
 リオはとても静かに喘ぐ。吐息が微かに色付いた様な、実に悩ましげな音を洩らす。時に長く、時に忙しく吐き出されるそれは声らしい声を伴わず、ともすれば音でさえないかもしれない程に頼りない。
 シーエはくちびるを這わせながらリオの身体を下っていき、掌の中で形を変えつつあったそれにくちづけた。ぴくりと背中が跳ね、快楽に抗う様に両手がシーエの髪を掴んだ。
 とろりと零れた精液と自分の唾液を絡ませた指先をリオの体内に押し込む。リオは喉を掲げて深く息を吸い込み、長く長く吐き出した。指に纏わり付く、体温より幾らか温かい粘膜を押し広げる様に撫でる。
 一度抜き、指を二本に増やす。緩急をつけて掻き回す。リオの呼吸が速くなる。
「リオ、そんなに引っ張ったら痛いよ」
 シーエは苦笑混じりに言いながら脚の間から這い出し、乱れた髪を掻き上げた。太腿を掴んで脚を開かせ、ゆっくりと腰を沈める。
「っ―――」
 開いたくちびるから妖艶な吐息が吐き出される。リオはこんな時でさえ滅多な事では声を出さない。声を出さないまま、息だけで喘ぎ、薄い胸を上下させて乱れるのだ。
 薄らと開いた瞳が、暗がりの中、異様な光を放つ。興奮した時にだけ現れるこの色が、シーエの情欲を煽る。彼はリオの細い身体に激しく腰を打ち付けた。
「―――――」
 声無き声を残して、リオが果てる。





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