「この間、貴方が殺されたなんて噂を耳にしたわよ」
 彼女は言いながら顔を顰めた。知っていたのか、と思う。同時に、先程の違和感の理由が判って、クローヴィスは内心で笑った。確かめに来たというのはそういう意味だったのだ。ピアノは口実で、要するに彼女は彼の生存を確かめに来たのだ。
「知ってたんだ」
「当り前でしょ。とにかくデマだと判ってほっとしたわ」
「デマでも無いんだけどね」
 思わず苦笑が洩れる。
 確かに警察官である彼女なら知っていても何ら不思議では無い。その手の噂を耳にする機会は幾らもあるのだろう。だが、あれが狂言だと何故判ったのだろう。
すると、彼の思考を見透かす様に、彼女が笑った。
「情報屋雇ったの」
「警官が情報屋!?」
 驚きの余り思わず声が裏返りそうになる。彼は信じられないという様に彼女を見た。
「民間協力者って言うのよ」
 彼女は悪戯っぽい眼をした。
 聞けばあの殺人事件の直後に、別件の捜査をしていたベアトリーチェはたまたまクローヴィス暗殺の噂を小耳に挟んだという。そこで情報屋を雇って調べさせた所、生存している事が判ったのだそうだ。更に、その情報屋というのが中々できる奴で、このライブの事まで調べ上げてきたらしい。
「何にしても、またピアノを弾く気になったんならいい事だわ」
 ベアトリーチェは明るく言って、心底安心した様に微笑んだ。クローヴィスがピアノを弾くと聞いても、自分の眼で確かめるまでは信じられなかったのだろう。
 だが、そんな彼女とは裏腹に、クローヴィスは最早繕いきれなくなって、眼を背ける様に俯き、酷く顔を歪ませた。
「ベアトリーチェ……今の俺はもう…」
 どうにか声を絞り出す。言葉にするまでの数秒に葛藤はあったけれど、隠し通す事はできそうになかった。彼女に嘘はつきたくなかった。
「知ってるわよ」
 最後まで言わせずに、ベアトリーチェは事も無げに言ってのけた。クローヴィスは思わず顔を上げた。
 何をと問い返す必要は無かった。彼女が何を知っていると言ったのか、短いその一言で彼は何故か全て理解していた。
 彼女は俺が殺し屋だという事を知っている。
 眼の前で、微笑みはそのままに、彼女の表情が翳る。
「未だ忘れてないのね」
 沈痛な面持ちで呟かれた言葉には深い悲しみと、やはりという諦めが滲んでいた。まるで自分の痛みの様に、その痛みに寄り添う様に。
「だって貴方、何も変わってないもの。あの時と同じ眼をしたまま」
「………」
 クローヴィスは返す言葉を失ったまま、軽くくちびるを噛んだ。全て見透かされている。
「だから言わないで。わたしの立場、判ってるでしょ?」
 確かに。幾らこの街の政府が裏社会を半ば黙認し、放任しているといっても、政府の人間が殺し屋と友人では流石にまずい。彼女が知らない振りを貫き通そうとしてくれているのであれば、俺たちはあくまでただの友人でいなければならない。
 クローヴィスはバーテンダーにスコッチをロックで頼み、それを一気に煽ると、幾らか気を取り直した様に口を開いた。
「君は四年間どうしてたの?」
 ベアトリーチェは少し考える仕草をした。
「色々よ。と言っても殆ど仕事だけど」
 そう言って笑う。赤い水面を眺めながら。
「仕事して、仕事して、仕事して、貴方の事を考えてた」
 今度は笑わなかった。
 クローヴィスは知らなかった事だが、ベアトリーチェはあの事件の後で転属していた。今は政府の極秘機関に所属している。彼女もまた、あの事件によって人生を変えられたひとりなのだった。一介の警察官では捜査にも権力にも限界がある事を知り、捜査官になる道を選んだ。がむしゃらに働き、功績を上げ、今の地位を手に入れてからは、彼女の言う所の民間協力者の力を借りながら水面下で独自の捜査を続けていた。
「わたしがどうして警察官になろうと思ったか判る?」
 不意に彼女はクローヴィスを見上げ、唐突にそんな事を訊いた。
「?」
 突拍子も無い問いに、彼は面食らって眉を顰める。
「貴方みたいな人を救いたいからよ」
「俺?」
 益々訳が判らない。クローヴィスはいよいよ怪訝な顔をした。彼女は穏やかに微笑んではいたが、瞳の奥は真剣だった。
「世の中がこんなんだから貴方みたいな人が増えるの。貴方みたいに、自分で手を下す事を選ぶ人が。貴方だってそうでしょう?警察なんて当てにならないって、そう思ってるでしょう?」
 彼女は自嘲するかの様に言った。皮肉めいていたが、捻くれている訳でも荒んでいる訳でも無く、何処か潔ささえ感じる口調だった。
 クローヴィスは押し黙るしかなかった。彼女の言う通りだった。彼はずっとそう思ってきたし、実際警察機関は傀儡と化している。泣き寝入りをするか、自分の手を汚すか、ふたつにひとつ。彼は自ら決着をつける方を選んだ。
 思い詰めた様な表情で黙り込む彼を咎める風も無く、彼女は続けた。
「世の中にはね、二種類の犯罪者がいるのよ。お金や権力や自分の欲望の為だけに身勝手な犯罪を犯す本当の悪人と、そいつらに人生を狂わされて犯罪に手を染めてしまう、言わば被害者と。被害者が加害者に回るっていうのはよくあるけれど、わたしはそういう二次的な犯罪者を増やしたくないの」
 彼女は怒っている様だった。世の理不尽さに、その理不尽がまかり通ってしまう事に怒っているのだった。その思いが彼女を奮起させ、捜査官にした。あの事件はきっかけに過ぎない。
「貴方はこれからどうするの?」
 真剣な眼差しの中に少しだけ不安そうな色を湛えて。口にはしなかったが、彼女が彼の決断を望んでいない事は明白だった。貴方はもうやめて、わたしに任せてと、彼女の眼が訴えている。
 だが。
「続けるよ」
 クローヴィスは軽く視線を落とし、くちびるに薄く笑みを浮かべてきっぱりと言った。
「目的を果たすまでは。例え最後は君の手で裁かれる事になったとしても」
 もう降りる事はできないから。
 降りるつもりも無いけれど。
 譲れない思いと、彼女に対する罪悪感が混じり合って、クローヴィスははにかむ様な表情をした。その狭間に垣間見えた、挑発的な眼差し。ベアトリーチェはそこに、彼の決意の堅さを見る。何を言っても無駄だと悟った彼女はくちびるだけで笑った。
「そうならない事を祈るわ」


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