「で、これが一芝居?」
 クローヴィスは部屋の真ん中で仁王立ちになり、腕を組んでレスタトが転がした物体を見下ろした。
「そういう事」
 悪びれる様子も無くあっけらかんと答えるレスタトをじろりと睨み付ける。彼は渋い顔のまま深々と溜め息をついた。
「どういう事か説明してくれ」
 腕組みしたままソファに腰を落とすと、レスタトも向かいのソファに座った。
「今夜此処でお前は殺される」
「此処で?」
 クローヴィスは心底嫌そうな顔をした。
「そう言うだろうと思ったけどさ、他でやろうとするともうちょっと大掛かりな事になるだろ。此処が一番面倒な事にならなくて済むんだよ」
 もう充分面倒な事だよとげんなりしたが、口には出さなかった。再び、レスタトが抱えてきた物体に視線を向ける。
「で、それは?」
 寝袋に似たシートにくるまれたそれが何なのか位、本当はわざわざ訊くまでも無かったけれど。
「お前の身代わり」
 レスタトは煙草を咥えたまま言った。クローヴィスが顎で示した先には見向きもせずに、ライターを数回鳴らして火を点ける。
「見る?よくできてるよー」
 彼は煙を撒き散らしながら感嘆の声を上げた。
「いや、いい」
 クローヴィスは首を振った。自分と同じ顔に整形された別人の身体を見たいと思う程悪趣味では無い。だが、計画の全容は漸く見えてきた。彼と似た背格好の麻薬の密売人か何かを捜して来て、中条に整形させた。大方そんな所だろう。レスタトはクローヴィスを殺したと見せ掛けて、この偽の死体をクライアントに提示するつもりなのだ。殺害場所に此処を選んだのも、予め身代わりを用意しておけるからだった。街中でこれをやろうと思ったら、それが身代わりであれ何であれ、生きている人間を殺すという暗殺劇を繰り広げなければならない。レスタトの言う「面倒な事」になるリスクは高い。
「日が暮れる前に、お前は最低限の荷物をまとめて此処から出て行け」
 何でも無い事の様に言うレスタトを恨めしげに横目で見ながら、クローヴィスは何度目か判らない溜め息をついた。それから、ぐるりと部屋の中を見回す。住めば都とはよく言ったものだ。取り立てて拘りがある訳でも無く、適当に決めた物件だったが、それなりに気に入っていた。
 出て行ったらもう戻って来る事はできない。彼は自身を奮い立たせる様に膝を叩いて立ち上がった。物持ちでは無いので、元々殺風景な部屋には無ければ困るものも未練のあるものも大してありはしなかった。しかし、やはり必要なものは多少ある。
「今夜は遅くなるかもしれないから、先に寝てていいわよ」
 レスタトがジャケットの内ポケットから取り出した何かを人差し指の先でくるくると回しながら、気色悪い声を出した。クローヴィスは彼の冗談には答えずに、引ったくる様にして家の鍵を指先から引き抜いた。
「なぁ…」
 少しして、クローゼットの中を覗き込んでいたクローヴィスが呼んだ。
「ん?」
「まさか車まで手放せとは言わないよな?」
 手を止めてひょいと顔を出した彼は、レスタトから受け取った鍵をぶら下げながら恐る恐るといった調子で切り出した。そこには家の鍵と一緒に車の鍵も付いていたからだ。
「あぁ、その事だったら、心配するな。お前の車は俺が持ってく」
 念には念をという事か。何処で誰が見ているとも限らない。
 車まで手放さずに済んだ事に安堵して、クローヴィスは荷造りに戻った。さして時間は掛からなかった。銃と銃弾を幾つか、それから着替えのスーツとシャツを二、三枚、それらを鞄に突っ込んだ。少し考えて、三丁ある愛銃の内の一丁は置いていく事にした。一番上の引き出しを開け、そこに銃弾と共に置き、再び閉める。効果があるかどうかは判らないが、軽いカムフラージュの様なものだ。殺し屋の部屋に銃が無いのは可笑しい。
 リビングに戻った彼は、自分の愛車の鍵をレスタトに投げた。
「傷付けるなよ」
 冗談とも本気とも取れる口調で言うと、レスタトはひらひらと手を振って笑った。
「まさか。ペーパーじゃあるまいし」
「だってお前の車オートマだろ」
 瞬間、レスタトの笑みが固まった。
「あ…お前のマニュアルだっけ…」
 引き攣った笑みを張り付かせたまま、眼だけでクローヴィスを見上げる。クローヴィスは悪戯っぽく片方の眉を上げて頷いた。
「じゃ、後は任せた」
 まるでただ仕事に出掛けて行くだけかの様な気軽さで言い残し、彼はさっさと部屋を出て行った。一度決断してしまえば行動は早い。それが彼のいい所だ。
 部屋を出たクローヴィスはなるべく人目を避ける為にエレベーターは使わず、非常階段を使って一階まで降りた。遠く聳えるビルの角に隅を抉られた夕陽が眩しい。

 クローヴィスがいなくなってしまうと、レスタトは全てのカーテンを引き、明かりを灯して映画を一本観た。少なくともあと何時間はクローヴィスが生きていると、周りの住人たちに思わせなければならない。そうしておけば、仮に此処からレスタトの家へ辿り着くまでの間に誰かに目撃されたとしても、帰宅した後に襲われたという事になって、怪しまれる事は無いだろう。
 彼が選んだのは、二時間程のスパイもののアクション映画。暇潰しにはこういう小難しくなくて楽に観られる、尚且つ眠くならないものが最適なのだ。
 観終ると、彼は行動を開始した。明かりを落とし、身代わりの男の身体をシートから引っ張り出してベッドに横倒え、窓硝子を外側から割る。そして、サイレンサーを取り付けた銃口を眠らせた男に向けた。
「それにしてもよくできてんな」
 顔を背けて引き金を引く。自分で言い出した事だとしても、別人だと判っていても、真正面から撃ち殺せる程図太い神経は生憎持ち合わせていなかった。
 全てを終えると、彼はそっと部屋を後にした。駐車場に停めてあるクローヴィスの車に向かいながら、どうして彼はマニュアルに拘るのだろうと取り留め無く考えていた。

 マニュアルを運転するのなど、何年振りだろう。それでもクローヴィスのレクサスは駄々をこねるでも無く軽快に夜の街を飛ばしてくれた。普段走らない様な道を適当に流し、適当な場所で車を停めて、レスタトは報告をはじめた。
 通常、仕事を請け負う時には仲介人をふたり程通す。クライアントと実際に仕事をこなした殺し屋の双方の安全を図る為だ。要するに、こちらに本当の依頼人が判らない様に、相手もまた誰が最終的に請け負ったのか判らない仕組みになっている。勿論例外はあるが、今回彼はその手順で依頼を受けていた。レスタトが車の中から報告の電話を入れたのは、ふたりの仲介屋の内のひとりだった。その仲介屋がもうひとりの仲介屋に報告し、最後にクライアントの元へ届く。そして、今度は逆のルートを辿って、前金を引いた残りの報酬が、仲介料を差し引かれながら、レスタトに支払われる。
 酷く事務的な報告を済ませ、レスタトは車を自宅へと走らせた。前方には、漸く顔を出した臥待月。不気味な程の朱い月へ向かって走っている様だと、ひとり笑う。


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