クローヴィスは軽く溜め息をついて、キッチンからリビングに回った。こんな時間に電話をしてくるのはあいつしかいない。急かす様に点滅しながら唸り続ける携帯電話を取り上げ、開く。
 案の定、相手は彼の仕事の相棒、レスタトだった。
「未だ起きてた?」
 通話ボタンを押して電話を耳に押し宛てると、間髪入れずにレスタトの酷く能天気な声が飛び込んできた。
「未だ、じゃない。もう、だ」
 溜め息を洩らしそうになるのを堪えながら、独り言の様に呟く。
「?」
「何?こんな時間に何か用?」
 レスタトの無言の問いには答えずに、クローヴィスは言った。用があるから電話を掛けてきた事くらいは判っている。幾ら彼でも用も無くこんな時間に掛けてはこない。
「仕事の依頼が入った」
 短く答えたレスタトの声音は先程までとはがらりと変わっていた。クローヴィスは微かに眉を顰め、黙って続きを待った。
「ちょっと厄介な依頼なんだよね…」
 レスタトは彼にしては珍しく余り気乗りがしないという様子で言葉の端を濁した。
「どんな?」
 クローヴィスは怪訝な顔をしたまま、携帯電話を耳と肩で挟み、テーブルの端に浅く腰掛けて煙草に火を点けた。最初の一口を吸い込み、吐き出すまでの間、レスタトは躊躇う様に押し黙っていた。いい加減先を促そうとした所で、漸く口を開く。
「お前の暗殺」
 流石に思ってもみなかった内容に一瞬言葉が出ない。
「は?」
 僅かな間の後で口を突いて出たのは、我ながら間抜けな声だった。
「断れよ、そんなの」
 クローヴィスは非難する様に言った。
「俺が断っても、誰かがお前を殺しに来る」
 電話の向こうのレスタトの声は相変わらず低く、険しい。
「それに、お前だって放っておけないだろ、自分を殺そうとする奴」
「まぁ、そりゃそうだけど」
「だから一芝居打とうと思うんだよね」
 不意にレスタトは悪戯っぽい口調になって、そう言った。
「一芝居?」
 彼の言わんとする所がいまいち把握できなくて、クローヴィスは首を捻った。灰が長くなっていた事に気付き、辺りを見渡して灰皿を捜す。
「まぁそういう訳だから、大人しく殺されといてよ」
「おい……」
 平然と言うレスタトにクローヴィスが抗議をしようとした時には、既に電話は切れていた。吐き出す場所を奪われて行き場を失くした言葉を仕方無く飲み込みながら、彼は困惑の表情で一方的に切られた携帯電話を見つめた。
 気が付けば、空が白みはじめていた。厚く閉ざしたカーテンの向こうが幾らか明るく、闇に沈んでいた輪郭が主張をはじめる。
 クローヴィスは煙草を消し、ベッドの脇にあるサイドボードまで歩いて行って引き出しを開けた。
 眠る様に静かに横倒る、黒い相棒。
 俺は殺し屋だ。
 もう、ピアニストじゃない。
 彼女を失ったあの日に、ピアニストの俺も一緒に死んだのだ。
 彼は銃を手に取り、ベッドに座った。
 選んだのは、自分。ただ彼女を死に追いやったあの事件の真相を知りたかった。
 だから、いつかこういう日が来る事を、何処かで判っていたのかもしれない。誰かが、報復に来る事を。
 どんな理由であれ、人を殺して生きてきたのだ。それも数え切れない程の人を。恨まれるのが仕事の様なものだ。そんな事は覚悟の上でこの世界に身を投じた。
 それでも、未だ殺される訳にはいかない。未だ何処にも辿り着けていない。
 いつの間にか手に馴染む様になってしまったひんやりとした重さを掌に乗せたまま、クローヴィスはカーテンの向こうの空を睨んだ。
 俺の、暗殺…。
 これは果たして報復なのだろうか。誰かが何処かで、俺と同じ負の感情に取り憑かれているのだろうか。
 手元を見下ろす。
 嘗て鍵盤を弾いていた指で今、引き金を引いている。
 俺の手によって、負の連鎖が引き起こされている。


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