リナリアの願いが叶った日


うちの主はたぶん、どこの本丸の主よりも美人だと思う。贔屓目なんかなしで僕はそう思う。
肌は陶器のように白く透き通り、さらりと腰ほどまで伸びた白菫色の髪と切れ長な菫色の瞳と相まって人ならざるもののような、はたまた薄幸そうな曖昧な美しさを持つ不思議な人だ。
巫女服の上に羽織をきて、いつも気だるげに言葉少なく過ごしている。考えたくはないけど、きっと僕らに興味がないんだと思う。

「ねぇ」
「なんだい?主」

主はよくぼんやり窓の外を眺めながらこんな風にいつも側に控えている僕の名を呼ぶ。
続きはいつも決まっていて。

「なんでもない。呼んだだけよ」
「そっか、わかったよ」

僕の返す言葉もいつも決まってこうだった。
僕がこの本丸に来てから近侍は僕の役目になった。誰もやりたがらないこの主の近侍を僕だってはじめは快く思っていなかった。誰が近侍をしてもこの調子らしく、短刀くんたちは今でも主を怖れて用がなければ近寄りもしないほどだ。
でも毎日毎日主の横顔を眺める生活を送るうちにわずかにだけど、主の表情の変化がわかるようになった。今ではあんなに嫌だった近侍の座を誰かに奪われるのが恐ろしくもある。
例えば、頬杖をつきながら窓の外を眺めている時は大抵物思いに耽っているときだ。こういう時は絶対に僕を呼んだりしない。
それから今みたいに窓の外を眺めていた視線をちらりとこちらに向けて僕を呼ぶ時は決まって何か言おうとしてやめている。本当にわずかに眉が顰められることに気づいたときはようやく僕は主のことを少し理解できたような気がした。
それから主が話すのを辞めた時はしつこく話しかけない方がいいということもその時に学んだ。話しかければかけるほど主は頑なに口を閉ざしていった。結局、主が話してくれるのを待つ他ないことに気づいた僕はこうしてただ側に控えている。

「貴方は、私の側にいるの、嫌じゃないの?」
「えっ?」

いつものように今日も無言の時間が続くものだと思っていた僕は咄嗟には反応できなくて聞き返してしまった。主はこちらに身体を向けることはなく、先程と変わらない様子で空耳だったのかと思ったほどだ。

「みんな、私の側にいるのが苦痛みたいなのに貴方は平気なの?」
「苦痛に思うはずがないだろう?」
「え……?」

ほんの少し顔をこちらに向けた主はいつもより幼く見えた。きっと表情らしい表情を初めて見たせいかもしれない。少し目を見開いて不思議そうな顔をしている。
主のこんなに油断した顔を見るのは初めてでほんの少しからかってみたくなった僕はにやりと笑いながら口を開く。

「主みたいな美人そうそういないからね、眺めているだけでも僕は幸せだよ?」
「さすが、伊達男は言うことが違うわね」
「ははっ!まぁ、半分は本気だけど本当は主の側にいるのが楽しいから、かな」
「楽しい?変なことを言うのね。私は貴方と楽しくお喋りした覚えはないのだけれど」
「そうだね。でも主の横顔を眺めているのはとても楽しいよ。主は今何を考えてるんだろうとか、どうしたらこちらを向いてくれるんだろうとか色々考えながら主を眺めていると少しずつ主の考えていることがわかるような気がするんだ」
「そんなの……気がするだけよ。貴方たちに私の気持ちなんて分かりっこないもの」

ほんの少し調子に乗った罰だろうか?主の冷やかな視線が僕を貫いた。
本来ならここで退いているが今ここで退いたらそれこそ主のことをこれから先何十年だって理解できない気がした僕は不敵に笑ってみせた。

「それはどうかな?僕はこうして主の側にいて、少しずつ主のことがわかるようになったつもりだったんだけど主には伝わってなかったんだね」
「理解するも何も、私は貴方たちにそれを望んだ覚えはないし理解してもらおうなんて思ってもいないわ。それでも貴方が私を理解したいと思うのはなぜ?まともに話すらしないのに」
「大事な主だからね。それだけじゃ理由として不足かい?まぁ、強いて付け足すなら物憂げな美人を放っておくなんてかっこつかないだろう?」
「ふふっ、なーにそれ。ひょっとして口説いてるの?でも諦めなさいな。気づいてるとは思うけど私は貴方たちに興味がないのよ」

口元だけで小さく笑った主はまたふい、と視線を窓の外へと戻してしまった。でも突き放すような言葉とは裏腹に髪の間からかすかにのぞく耳が朱に染まっていて。僕は初めてこの主を人間だと思えた。

「ねぇ主」
「……なにかしら」
「主って恥ずかしがり屋さんなんだね」
「そんなことないと思うけれど?」
「だって耳が真っ赤じゃないか」
「そ!そんなことはないわ、よ?」

僕が指摘すれば露骨に身体をびくつかせて、横顔からでもわかるくらい目を泳がせて。頬も薄く色づいたのがわかった僕はそっとバレないように笑って主の側に近づいた。

「な、なに!?呼んでいないわよ?」
「ごめんね主。あんまりにも主が可愛いから近くで顔を見たくなっちゃって」
「か、からかわないで……そんなこと、私が許すとでも思ってるの?」
「別に許しを得ようなんて思ってないさ。嫌なら突き放せばいいだろう?」
「それは……っ」

そっと微笑みながら主の手を取って掌を僕の口元に寄せれば主はまるで金魚のように真っ赤になりながら口をぱくぱくとさせていた。

「あ、なた……その意味をわかっていてしたの?」
「どうだと思う?」
「どうって……そんなの私にわかるはずないじゃない」
「それじゃ駄目。もっと僕のこと考えて主」
「なんで……貴方今までそんな素振り見せなかったじゃない」
「そうだね。僕は刀で、心を持ったのがここ最近のことで主に対してのこの感情がよくわからなかった。でも今やっと分かったんだ。伝えてもいいかい?」
「だ、だめ!恥ずかしいもの!」
「残念だなぁ。じゃあ今日はこれで我慢するから1つだけ約束してくれないかな?」
「……なにかしら」
「窓の外だけじゃなくて僕のことも見て欲しいな」
「わかったわ。……気が向いたらね」
「ははっ!今はそれで充分だよ」

不器用で素直じゃない可愛い主に口をついて出そうになった言葉を押し止めるようにもう一度主の掌に口付けた。

リナリアの願いが叶った日

(あ、それから主、その顔僕以外には禁止だからね)
(……貴方以外私に近付かないんだから無用の心配でしょう)


素敵企画サイト可符香さまに提出作品。
ありがとうございました!




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