此れを“裏切り”と言うのだろうか


俺がこの本丸にきてからもうどれくらい経ったのだろう。そんなことがふと気になって姫乃の部屋へと足を運ぶ。

「姫乃、俺だ。入ってもいいか?」
「どうぞ」
「なんだ、また書類とにらめっこしているのか」
「仕方ないでしょう、ここには私しか審神者がいないんだから。というか、誰かやってくれるなら今頃みんなに手合わせ申し込んで稽古してるわよ」
「ならあとで俺と手合わせしよう!近頃の俺はひと味違うぜ?」
「あら、それは楽しみね。用事はそれだけかしら?」
「ああ、そうだった。君に少し聞きたいことがあったんだ」

私に聞きたいこと?そう言いながらようやくこちらに顔を向けてくれた姫乃は見るからに不機嫌そうだった。不貞腐れている、と言ってもいいのかもしれない。ここの所、戦いが日に日に激しくなっていてそれに比例するように政府からの通達もたんまり届くようになって姫乃はずっと部屋に籠りがちだったからな。

「俺がここに来てどれくらい経ったんだ?」
「1年3ヵ月と9日かしら。今日で1年3ヵ月10日目ね」
「これは驚いた……君はそこまで細かく覚えているのか」
「当たり前でしょ?私にとってみんな家族みたいなものなんだから」
「家族、か……俺にはあまりよく分からない感覚だな」

粟田口派の面々をはじめ、こう言ってはなんだが"家族ごっこ"をしている連中がこの本丸には多い。俺たちは刀だ。同じ刀匠に作られればそれは兄弟と言えるかもしれないが、姫乃のいう家族とは何か違う気がするというのもまた事実だ。

「鶴丸。人の姿は、心は不自由でしょ」
「俺は別に不自由なんてしていないぜ?飯を食ったり自分自身を振るって戦ったり遊んだり悪戯したり、満喫していると思うが」
「それでも寂しいんじゃないの?でなきゃそんなに私を訪れる必要もないでしょ。貴方は近侍でもないんだから」

寂しい?俺が?そんなはずはないとすぐに否定できないのはなんでだろう。そして、この目から溢れる涙はなんなのだろう。
ぽろぽろと流れるそれを止める術も俺は知らないのだと気づいたときには俺は姫乃に抱きしめられていた。

「よしよし、今まで分からなかったのね。気づいてあげられなくてごめんなさい」
「何が……」
「貴方は永い時を過ごしてきたわ。けれど、家族と言える者も兄弟だと言える者もいなくて周りに嫉妬していたのよ」
「しっと?」
「そう。いつだってみんなが羨ましかったのでしょ。自分にはない存在がいること、楽しげに過ごすその姿に」

宥めるように俺の背を撫でる姫乃の手が羽織越しでも伝わってくるような気がして余計に涙が溢れていった。
そして、ずっと心の奥底に蹲っていたこの感情の名を知ってすっきりした気分になったのもまた事実だ。

「鶴丸、貴方の家族は私、それに同室の2人だっているしもっと言うならばこの本丸にいるみんなが貴方の家族よ」
「君は、俺の家族……」
「そ。私だって別に人の感情に聡いわけじゃないけど、いつも私を訪れる鶴丸の顔を見れば嫌でも気づいたよ。いつも何か思い悩んでいることくらい。ただ、その原因が何なのかが分からなかったの、ごめんね」

何度も何度も、姫乃は俺に謝った。決して姫乃が悪いわけじゃない。でも、そう言葉にできないほど俺は泣いていた。
墓から暴かれようと、神社から持ち出されようと何をされても平気だと思ってた。俺は刀だったから、意思なんてないのだと思ってた。
でも本当は不安で仕方なかったのかもしれない。次々に代わってゆく主がみな俺を欲しがり褒めてくれた。それでも俺の心は満たされなかった。ようやく落ち着けるようになったときには刀の時代は終わり、俺は厳重に保管されるだけの存在となった。
……ああ、そうか。墓で朽ちることになろうと、神剣と崇められるようになろうと、一族伝来の刀となろうとなんでもよかった。ただ俺は1つの場所に永く留まりたかった。

「君は、人間は、また俺をどこかへやるのか?」
「っ!……そうよ、私が死んだら次の審神者に引き継いでもらえるように交渉してある。でも今度はここにいるみんな一緒に、というのが条件だからもう貴方は独りぼっちじゃない」
「でも君はいないんだろう」
「……ええ。私は人間だから、貴方たちとずっと一緒にいたいと願っても永劫に思える時を生きる貴方たちと共にいることは叶わない、きっと。でもその時が来るまで私は鶴丸、貴方の家族なの。いつでもここに来ればいいし、思っていることを話していいの。全部私が受け止めてあげる」

ぎゅっと姫乃を抱きしめ返せば笑って、まるで幼子をあやすようによしよしと撫でてくれる。ずっと燻っていた重苦しい感情は気づけば温かく優しいものに変わっていた。
他の刀剣男士たちと比べれば随分華奢な俺だが、それでも俺を抱き締める姫乃はさらに華奢で。この細っこい身体から溢れ出る優しさと強さがたしかに壊れそうになっていた俺を救ってくれたのだと思うと胸がきゅーっとなる。

「なぁ姫乃」
「なに?鶴丸」
「人は嬉しいとこう、胸の辺りがきゅっと痛くなるのか?」
「え?うーん……少なくとも私はならないかな」
「そうなのか?なんなんだろうなこれ」
「さぁ?鶴丸、そろそろ落ち着いた?」
「ああ、みっともない姿を見せたな。悪かった。だが、もう少しだけこうしていてはだめか?」
「ええっ?私の仕事終わらないじゃない……もう仕方ないなぁ、今日だけの特別サービスだよ!」

姫乃をそっと抱きしめ直すと姫乃の身体はすっぽりと俺の腕の中に収まった。温かくて柔らかくていい匂いがして。心臓が心地よく高鳴った。
相変わらず姫乃の手は俺の背を撫でていたが、次第にそっと腕を回すだけになった。特に言葉を交わすこともなく、ただ俺たちは抱き合っていて。それが居心地よかった。

この瞬間から姫乃の特別になりたいと思うようになった。誰よりも1番に姫乃を守り、今度は俺が側で支えようと思った。
早い話が俺は主であるこの女性を自分のものだけにしたいと思ったのだ。たとえ、彼女が家族だと言ってくれた仲間を裏切ってでも、俺は姫乃が欲しくなった。
そんな春先の1日だった。




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