「あ、あつい…」
目の前がぐらぐらと揺れる。身体中にはりつくいやな汗とひどい頭痛で何をするにも苦痛だ。
脇に挟んでいた体温計がピピ、と鳴る。見たくないなあ、と思いながら、腕を上げることすらおっくうで、しばらくこの耐えがたい体調不良にじっとしていた。
「入るぞー」
どうにもならない不快さに耐え忍びながら、だるさに指先一つ動かせずにいると、突然大きな声と立て続けにドアを開ける音がする。
ノックもなしに部屋に入ってくるとはなんて無礼者だ、とはっきりとしない頭で思った。いましゃべったら吐きもどしてしまいそうで、不満や文句の一つも言えずにいる。
「おい、薬と飲み物持ってきたぞ。熱は測ったのか?」
近くにあった椅子を、わたしが横になっているベッドのそばに寄せて座る。
わたしは喉元までせり上がる吐き気をなんとか押しこんで答えた。
「…測ったけど、まだ見てな、うっ……」
あまりの顔色の悪さにさすがに驚いたのか、今吐くのはやめてくれよ、ぼやきつつとためらいもなくこちらへ手を伸ばして体温計を抜きとる。
「げ、三十九度?とりあえず薬飲め。起きられるか?」
薬を飲めばすこしは楽になるかな、そうだといい。
鉛のように重たい身体をにむち打ち、なんとか上半身だけ起こすと、慣れた手つきでさっと背中を支えられる。背中に回された手がひんやりしているようで気持ちが良かった。
「ごほ、吐いたら、責任持って処理してね、お兄ちゃん…」
兄の返事もきかずにさっと薬を口に放り込んで、なかばひったくるようにして、ややぬるくなった水を一息にあおる。
水と一緒に吐き気も飲み干してしまったのか、さっきまで自分を苛んでいた気持ち悪さは薄れていった。
「ったく、なんだってこの時期に風邪なんか引いてるんだ。」
「わたしだって、引きたくて引いてるわけじゃないの。」
兄はむくれるわたしの額を、あきれ顔で小突いた。
「あほ。夏風邪はばかが引くんだよ。」
「もう、まだ言うし。ばかあにき。」
「言ったな、こら。」
自然と会話が途切れたとき、計ったように兄を呼ぶ声が下から聞こえる。母だ。きっとまた何か雑用を頼むつもりなんだろう。
何か身に覚えがあるのか、それともわたしが考えたのと同じことを思ったのか、至極面倒そうな顔をしながらも、母に返事をしてゆっくりと椅子から立ち上がった。
ベッドに寄せていたのをもとの場所に戻して、いまだ身体を起こしたままのわたしに、「ゆっくり寝てろよ。」と一声かけて背を向けた。
言われたとおり横になると兄はすでにドアノブに手をかけていて、たまらず声をかける。
「お兄ちゃん、ありがとう。」
びっくりして目を丸くした兄がおもしろくて、ちょっとだけ笑ってしまった。そしたらなんだか急に眠気がおりてきて、逆らうことなく目を閉じる。
まどろみのなか、早く治せよ、とずいぶんやさしい声が聞こえて、閉じたまぶたの裏に兄のほほえみを描いた。
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tityle:
誰そ彼さんからお借りしました。
ドルチェの魔法/三ツ井