昔ながらでどこか暖かい雰囲気を漂わせる、小さい頃からの行きつけの駄菓子屋さんは、寂れていく私の町に今も尚佇んでいた。目まぐるしく変化していった私の時間の中に、置いてけぼりを食らった様に何も変わらないそこはまるで魔法がかかっているのかと思った。だから“大人”なんて、そこでは出来なかった。







舗装も何も行き届いていない少し不安定な砂利道を、短期間の実家帰省にも関わらずお土産だとかなんだとかと随分大荷物となってしまった重たい持ち物を抱えながら歩いていた。しかも結構な高さのあるミュールを履いていたため、先ほどから砂利に足をもっていかれて、カクンと足首を捻るたびイライラも募ってくるし、両脇にずらりと聳え立つ立派な大木からは蝉の鳴き声がギャンギャンと五月蝿い。それも相俟ってか、今朝、天気予報で確認した数字より幾分か気温が高く感じる。

そんな道はまだ続いている。こんなことならタクシーでも呼べば良かった。
噴き出る汗を手持ちのタオルで拭いながら、パタパタとそれで扇ぐ。決して涼しくもなんも無いが、しないよりかは今の気持ち的にもましだろう。


「……でもあつい。」




それにしても、この町の空気は何年ぶりに吸っただろうか。

ここ周辺の地域は過疎化が進み廃校続きで、将来も見据えて偏差値が高めの大学進学を希望していた私は、高校進学の際、両親や親戚の反対を強引に押し切って上京した。勿論、仕送りはあったがバイトだって家事だって一人できちんとこなした。
でも。表向きには偏差値高めの大学進学がしやすいように、としていたが本音はもっと別のところにあった。多分、親たちはそれに勘付いていたからあんなに反対したのだと思う。今思えば最低なことをした。


ぐるぐる思考を巡らせ、重たく肺に溜まった空気を存分に吐き出した。空を仰げば隙さえ見せない青に入道雲はもくもく高く昇って終わりが見えないほど。空気も都会のものとは比べ物にならないほど澄んでいる。でもそれを今度は吸ったらなんだか妙に緊張した。それもそうか。ある覚悟でこの空気を吸っているのだから。




そんなこんなで数年前までは学校から家までの近道として使用していた畦道へとさしかかろうとした時。


「あら、藍ちゃんじゃないの。」

老いた女性の声が私をふいに呼び止めた。誰かはわからないが、私のことを藍ちゃんと呼ぶくらいだ。私を知って、私も知る人物なのは明らかだ。ああ、親戚だったらどうしよう。そう意識するとひくっと肩が震え、ドクドクと物凄い勢いで心臓が暴れ始めた。冷や汗が噴き出る。動揺を悟られないように恐る恐る振り返れば、そこには目を細めて微笑むおばあちゃんがそこにいた。



「……駄菓子屋のおばあちゃん…?」
「正解。お久しぶりね、藍ちゃん。」
「お、お久しぶりです。」

大きくなったね、とどこか嬉しそうに笑った駄菓子屋のおばあちゃん、と呼んでいた彼女。何かとお世話になっていて、本当のおばあちゃんかのような存在だった。よかった。私が最後に見たあの日から何も変わってない気がする。ふくよかな顔と優しげな雰囲気を持たせる、目尻の下がった双眸。自然とおさまって来る心拍音に安堵の息を小さく漏らした。



「どう、学校は楽しい?」
「はい、まあ。それなりに楽しくやってます。」
「そう、それならよかった。ああ、そうだ、よかったらお店来ない?話したいことあるし……、」

一度言葉を区切り、私から視線を外した冴間のおばあちゃん。何だろうと頭を傾げる間も無く、軌道を修正したおばあちゃんはトタトタと私の元へ寄って、私のタオルを持つ手を皺くちゃの手でとった。じわじわと暖かい手だ。



「まだ帰るにも気が追いつかないでしょう、おいで藍ちゃん。」
「っ」


静かに続きを紡がれた言葉に首を縦に振るしかなかった。何でもお見通だ、というようにウインクしたおばあちゃんは私の手をとったまま歩き始める。ヒールの所為で私より小さくなったおばあちゃんの背中はそれでも大きく見えて、なんだかとても泣きたくなった。








それから、おばあちゃんに連れてこられた店――――駄菓子屋は、私が小さい頃から通いつめていた時からそっくりそのまま。昔ながらの暖かい雰囲気で私の好きな色とりどりのお菓子がたくさん置いてあった。氷の一文字が書かれたタペストリーと風鈴が備え付けられていて、涼しげな夏を演出していた。時折、風鈴が風に揺られてチリンッと可愛らしい音を出す。それを耳にいれつつ、先ほど手渡されたラムネを呷っていた。



「…っ」

しゅわしゅわ。口内で青が如何にもな音を立てて弾けた。舌にじわじわ広がる仄かな甘みとチリリとした痛み。大袈裟に喉を鳴らしながら、ラムネを流し込んだ途端、炭酸が痺れの勢いを増したような錯覚を覚える。ジクジク喉元が痛い。カッと熱くなった目頭に、縁にうっすら溜まっていく涙。

「いい飲みっぷり。」
「ハハ、それはどうも。」



おばあちゃんと二人でラムネ瓶を片手に、駄菓子屋の前に取り付けられた、だいぶ錆びれたベンチに腰掛けて、笑い話を続けていた。最近、おばあちゃんの身の周りで起きた事とか、年々皺が増えてるだとか(という割にはそうでもないし歳より絶対若い)、最近のお菓子業界がどうだとか、些細な話のはずなのに一つも取りこぼしちゃいけないような気がして、必死に耳を傾けた。嘗て、小さい頃の私がそうしていたように。




「それで、藍ちゃんは、今どんな感じなの?」
「い、ま……、」
「そう、今。」


ぼんやり空を眺めてると、途端に話をふられて中途半端に息詰まった。今、だなんて。在り来たりの生活を送ってるに決まってる。大学に行って、バイトして、休日には友人とショッピングして、恋愛なんかして、極々ありふれた、みんなと同じような普通の生活して……る…?



「…っ私、」
「……、」
「今日ここに帰ってきたのもわけがあって、碌に連絡もしない帰っても来ない娘が今更なんだよ、って言われるのも承知でここにいるのにっ、私、お母さんやお父さんにそんなこと言わせちゃうって、迷惑かけてるって解ってて来たのに…!」


俯いた途端ぼやける視界にたらりと垂れた自分の髪。そっとそれに触れたしわしわの手が耳に掛けてくれた。堰を切ったようにあふれて止まらない涙は握り締めたラムネ瓶に落ちて、そのままつたっていった。


「ほんとは、行きたかった大学に入りやすいようになんてだけじゃなかった…!田畑だけで何もないこの町が好きになれなかったっ。都会の同い年の子が羨ましかった、行ってみたかった。」
「……うん、」
「だから進学にこじつけてこの町から出て行ってやろうって、でも親は当たり前で反対してっ、よくないまま向こうに行くことになって、連絡もしにくくなって、どうしようもできなくなって…っ」


この町を出て行ったあの日から今日までの言いたい事も、ぜんぶぜんぶ、ぐちゃぐちゃのまま連れてきてしまった。あの頃より確実に大人になった筈だったのに、ぼろぼろ溢れ出てくるそれはもうどうしようも無い事で、ただ黙って話を聴いてはたまに小さく頷いてくれるおばあちゃんに縋るしかなかった。



「それをずっとズルズルひっぱったまま高校卒業して大学入って、楽しいこととかあってもそのことをふと思い出して…っ」
「うん。」
「…わたし、婚約したの。だからこのままじゃ駄目って、勘当されるのも覚悟にここに帰ってきたのに怖くて仕方なかった…っ」


そうだったのね、小さく呟いたおばあちゃんは驚きで一度は目を丸めたが、またあの笑顔を私に向けた。それから背中をポンポンと、まるで子供をあやすかのような手つきで叩き、呼吸を落ち着かせるようにまた優しく微笑んだ。



「幸せになるって案外難しいのかも知れない。ただね、子供の幸せを願わずにいられない親なんていないのよ。」
「っ」
「…ほら、帰りなさい。あなたの帰るべき場所はまだなくなったとは決まってないの。」


ベンチからどっこいしょと立ち上がったおばあちゃんが私の手を引いて立ち上がらせた。相変わらず暖かい手をしている彼女。グジグジ涙を手の甲で拭う。



「…うん、」



この町は田畑だけで何も無くて、特に年頃となれば何の面白みもない、嫌いな町へといつしかなっていた。でも段々と寂れていくこの町に今も尚存在し、そしておばあちゃんがいるこの駄菓子屋さんだけは嫌いになんかなれなかった。それはずっと昔からそうでこれからもずっとそうだ。



「行ってらっしゃい、またおいで。」
「…うん。」





それは限りなく優しいに近かった





未来のことなんて誰にもまだ解らないけれど、いつしかまた笑って、ここに帰ってこれるように。



end. title自慰さまより


それは限りなく優しいに近かった/沙夜

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