唐突に思い出した。
昔、昔。あれは太陽がじりじりと皮膚を焼く夏。
家族旅行の途中で迷子になった私は、一人の美しい方に会った。
勧められるまま、更々と静かな音を立てて透明な水が流れる川に足を浸す。
単純な私は逸れてしまった恐怖よりも水の気持ち良さに心を早々に奪われた。
人では有り得ない程の美貌の女性の笑みと鈴のような声。美人ってマジで世界の正義だよね。
「私は怪異ではないけれど、怪異というのは大概が人間に友好的ではないのよ。
霊とて元が同じ人間であっても、人を害しないとは限らない。彼岸と此岸の溝はあまりにも深く、あまりにも大きい。故に軽い気持ちで手を出してはいけないわ。」
「こがんとしがん?」
「そうね、死んじゃったかどうかって事よ。まぁ、最近は信心を失ってしまった人が多いから、お前みたいに視れる子の方が珍しいし…。でも、視れない人が見れるように出来てしまう事もあるのよ。」
「どうやって?」
「ええ。何だったかしら、お前たちの言う…何だったかしら?とにかく交霊術よ。」
「こーれーじゅつ?」
「そう。確か…中に詰める米を肉に見立てて、人形に霊を降ろすの。とはいえ、本来は霊と交信するにはそれなりの対価が必要だし、精々アレで呼び出せるのは低俗な霊か悪霊くらいでしょうね。」
「あくりょー…。」
「穢れや罪しか持たない上にあれのしつこさったら…本当、嫌になるわ。」
「わるい子なの?」
「そう。とても悪い子なのよ。」
年を経て、あの方の言っていたことがようやく分かった。ニュースで見かける証言。惨事の犯人の生涯を辿ってみたが、特筆すべき点が無いという事が偶にある。そんな時、犯人の周囲の人間は口を揃えてこう言う。
『そんなことをする人間ではなかった。』
だが、それが同じ皮を被った別のナニカならば?元が誰なのか分からない人間ならば猶更だ。
「ふふ。可愛い子、お前は一層関わってはいけないよ。お前からは仙桃の様にとても良い香りがする。それはきっと奴らにとっては毒であり、蜜なのだから。」
皺ひとつない美しい白い手がちんちくりんな私の髪を梳く。
「本当は隠してしまいたいくらいだけど、今は一人隠したくらいで大騒ぎしちゃうんですもの。面倒な世になったものね。さぁ、もうお帰りなさい。このまま真っすぐ進んだならお前の家族が待っているから。もう迷ってはダメよ。」
「お姉ちゃんは一緒に行かないの?」
「ええ、私はここにいなきゃいけないの。ほら、お前の両親が待っているわ。」
幾ら子供とはいえ、かなり失礼な口をきいたものだと思い返すたびに鳥肌が立つ。日本の神様って人に優しい方が多くてホントよかった…。言われた通り、真っすぐに示された道を進む。せせらぎの音が蝉の劈く声に変った頃、私の両親と姉上殿が真っ青な顔で私の方へ駆け寄って来るのを見た。結局、旅行は途中で中止になり家に帰ることになったが。
それから数年経った、今。彼の方が仰っていた交霊術が何なのか理解した。襖の戸を一枚挟んだ先でうろつく何かの存在に気が遠くなる。
完璧に巻き込まれマシタワー。
**********
学校の宿題を協力して終わらせるという名目の下、訪ねた親友の家。途中近所のおばさんに押し付けられるように渡された塩飴は、きっとこの炎天下のせいで溶けかけているだろう。インターフォンを何度押しても反応のない一軒家に首をかしげ、ドアノブに手を伸ばした。
ガチャリ
鍵がかかっているだろうという予測は外れ、易々と開くドアに増々不審感を抱く。
「あ、あのー!」
鍵が開いているという事は誰かが中にいるという事なのだから、声をかけてみるが一向に返事が来ない。仕方なく中へと入る。
バタンッ!!
まるで磁石か何かに引き寄せられたように、勢いよく閉まったドア。慌ててドアノブを回すが金属の擦れる音がするだけで、ドアは開かない。この時点で何となく察しはついていた。あ、これ怪異だわと。そうと分かってしまえば、逃げ場のなくなった玄関にいつまでも居る必要もない。勝手知ったる何とやらとばかりに近くのドアから室内へと入る。
「お、おじゃましま〜す…。」
畳張りの居間には大きなテーブルと椅子が数脚。DVDデッキの上に置かれたテレビは昼間だというのにカラーテロップを映し、耳障りな音を立てている。一体この家、家族総出で何やってんだ?
「…ん?」
テーブルの上に置かれた一枚の紙。鉛筆で殴るような筆跡のそれは次のように書かれていた。
ますかくっしっぐえよとょてにに。いだたむいずっよ
「…ダイイングメッセージをこんな複雑にする余裕があったら普通に伝えろよ。」
毎回不思議なんだよね。推理小説で被害者のダイイングメッセージは何であんなに手の込んだものになるのか。そんな事考える余裕あったら逃げろよ。っていうか、もっとわかりやすく犯人を伝えろよ。友人の余裕っぷりに頭を抱えた。
♪♪♪〜
唐突にピーっという音が急に止み、テレビから不安感を煽るような暗い音楽が唐突に流れ始める。カラーテロップの代わりに映るのは何処かの工場の写真。そこをスタッフロールさながら沢山の名前と年齢らしき数字が現れ、消えていく。
高梨 茜(48)秋谷 健二(60)
不知火 乃々子(25)明智 遼(18)
明智 優(19)明智 知代(45)
相模 双太(33)厚川 サヤ(89)
桶狭間 信長(108)堺 文彦(60)
三橋 有紀香(22)赤井 一郎(73)
御園 雄介(5)ウィルキンソン 双田(51)
宇佐 ポルナレフ(13)西島 葵(28)
江波 盛人(70)大崎 真澄(54)
お、おお?なんだこのスタッフロ―ル、共通点も何もなさそうな人々の名前が画面の下から上へと流れていく。数十人目の名前が表示された時だった。
三島 夕華(17)三島 汐里(46)
三島 信之(49)桃園 向日葵(17)
そこに出たのは私と友人一家の名前。勝手に個人情報を流出しやがった。このチャンネル何処だクレームつけてやると携帯を取り出すと同時に浮かぶ言葉
本日の犠牲者はこの方です。
ご冥福をお祈りいたします。
「…は?」
唐突に出た公共放送に相応しくない言葉に動きが止まる。犠牲者?どういう…
トンッ
トンッ
トンッ
微かな階段を下りる音に友人かと襖に駆けよろうとする。一体何でこんな手の込んだドッキリをしたんだと問い詰めようと思い、ふと我に返る。友人の家は築60年をリフォームした家だ。故に古い階段が軋んだ音を立ててしまい、階下に部屋のある両親に気付かれずに家を抜け出せないとぼやいていた。実際に私が彼女の部屋にいく時にギシギシと軋む音を立てていたのを覚えている。
少なくともこんなに微かな音では無かった。
「……。」
何故か鳥肌の立つ腕を抑えながら、こっそりと居間の収納スペースへと身を隠す。廃校舎の一件からどうしてか厄介事に巻き込まれやすくなってる気がする。…いや、まだ厄介事と決まったわけじゃない!息を潜め、少しだけ開けた戸の隙間から居間を覗く。そうだよ、考えてみれば、おばさんや友人たちのドッキリとしか思えな…。
スッ
木枠と襖の擦れる音、僅かな希望すらも裏切るように室内に入ってきたのは一体のぬいぐるみ。茶色い柔らかそうな生地のデフォルメされたクマは本来なら抱きしめたいくらいには可愛らしいが、今は恐怖を煽る材料でしかない。
「もォいイかィィ?」
キャァァァァァアアアアシャベッタァァァァァァァァァァァ!!
声帯なんてない筈の布と綿の塊が粘りつくような声をあげる。いや、聞く前に動くなよ。お前、それ完璧ズルだろ。実際にやったらめっちゃディスられるやつだからな!頭の隅では冷静にツッコんでこそいるが、心臓も思考もそうはいかない。ともすれば聞こえてしまうのではないかと思う程の鼓動、口を押えることで何とか潜めている息。
超常現象が真昼間からとかどういう事なんですかね!?
押入れの私に気づかないまま、ぐるりと部屋を一周し廊下へと出ていく人形。もうこれ完璧アウトですわ。ええ、紛うことなきオカルト案件です。っていうか、友人達は一体どこにいるのさ…。
階段を上る微かな音に深いため息を吐く。私知ってる、これ絶対解決するまで玄関のドア開かないんでしょ?やだー、もう完璧廃校での一件と同じ状況じゃないですかー!しかも死亡率ぜったいグレードアップしてるしー!これ脱出系ホラーゲームじゃねぇよ。絶対脱出できない系ホラームービーだよ。
「ほんと、どうしよ…。」
体育座りのまま、頭を抱えた。