深夜に響く猫の悲鳴

就職氷河期なんて世間では騒がれている中、私はヘッドハンティングに合っていました。
…なんて言えば唯の自慢だけど、これどっちも死後についてのヘッドハンティングだからね。もう先月も同じ光景を見た気がするよ、主に看護婦と室長補佐の絶対零度の戦いを。

「悪いが先生、向日葵は特務室で引き取る話になっているのだが。」
「しかし室長殿、あそこは女性が殆どいない。向日葵さんをそんな場所にやるのはとてもじゃないが紳士的だとは思えないのだが。」
「つまりアイツらが向日葵に何かしでかすと?」

ラウンドワン!!レディーファイッ!!
脳内で小気味よいゴングの音がする。本人そっちのけで行われる就活、どっちもある意味ブラック企業な気がするんですが。どうすんだよ、助けて労働組合。果たして地獄にあるのか激しく怪しいが。

「第一、リコリス病院の看護婦長は以前向日葵の魂を取ろうとしたことがあると聞いたが?彼女の自由を奪うような場所に就職することを認めるわけにはいかないな。」

さぁ、先制攻撃は特務室代表みんなの頼れるお父さんポジション、肋角さんだ!!いきなり凄いジャブを放ってきたぞ!私魂狙われてたのね!?

「彼女とて自分の部下となった者を態々魂だけで保管することは無駄だと理解しているでしょう。それよりも、彼女の未来を考えるならば獄卒になった時の方が危ないとは思いませんかね?貴殿の部下が度々私の下へ訪れていることも考慮すれば。」

しかしそれを真正面から受ける先生ではない!見事に躱し、物腰穏やかな口調は崩さずに恐ろしい爆弾まで投下していった!っていうかもしかして私病院以外に就職したら又魂狙われるの?何それどうあがいても絶望フラグ。

「実践に挑む前に十分な訓練を積ませるつもりだ。そもそも自衛の手段は何時の時代においても必要だろう。その点特務室はその道の専門集団だ。聞いた話によると、以前病院で暴れた患者が居たらしいが?」

おぉっと!肋角さんも負けていない!爆弾を瞬時に処理し、右ストレートにかかって来たぁ!要するにどうあがいても荒事ってわけですね、分かります。将来が予想以上にバイオレンス過ぎて泣きそうだ。
この時点で私の目は死んでいた。助けて姉上殿、私の将来がマジバイオレンス。境ちゃんと一緒に鏡の世界に引きこもりたい、それかもっと安全な場所に勤務したい。

「…あら。木偶の棒が廊下を塞いでいると思ったら、先生と室長さんじゃありませんの。」

病院の待合室で話していたのが悪かったのだろうか。それとも地下の彼女の趣味の部屋にいるから大丈夫だと気を抜いていたのが悪かったのだろうか?あ、両方か。
ヒートアップ間違い無しな揮発性抜群のガソリン――基、毒舌看護婦長の登場になりふり構わず頭を抱えた。

真打来ちゃったよ!!!!

前回は訳が分かっていないながらも同じ状況に陥った仲間の抹本さんが居たが、今回は私一人。つまり

「それにしても、向日葵さん。いつ看護婦として病院に勤めてくださるのかしら?」

逃げ場がない。

「待ってくれないか、看護婦長殿。彼女は将来、獄卒として勤めることが決まっているんだが?」
「あら、でも特務室に女性はいらっしゃられなかった筈ではなくて?そんな男だらけの場所に彼女一人を放り込むなんてストレスで倒れてしまうのがオチですわ。お分かり?それとも、彼女が絶対にストレスを感じないなんて保証が出来ますの?」

流石ツンドラ系毒舌と名高い看護婦長…肋角さんをあっという間に劣勢に追い込んでいる。その後ろでいつも通りニヤニヤと笑う先生。あ、違う、アレ若干ドヤ顔になってる。しかしこれはこれで問題だ。均衡状態だった会話が病院に就職という方向に傾きつつある現状。私としては未だ生前の就活すら終わってないのにそんな云十年先をヘッドハンティングされた所で「アッ、ハイ」としか言えないし、せめてお迎えが来るちょっと前まで、凄く居たたまれないが先延ばしするのが精一杯だ。
【急募】できれば穏便に、紳士的に婦長を止められる人【求ム】
どのリクルート雑誌も掲載してくれなそうな人材だな。小学生のようなことを考えてた時だった。

「おやおや、毒を吐くばかりで暇を持て余すしかない方々の下で働いた方がストレスがたまると思いますが?それにしても、婦長というのは本当に閑職の様ですね。」

…チェンジで!
口に出さずに堪えた私は本当に偉いと思う。確かに、紳士的だし穏やかだけどさ!!
ほら見ろ!災藤さんの後ろにいる抹本さんが「あーあー、始まっちゃったよ…。」みたいな目してるじゃん!上司への尊敬とかそういう感情全部放り投げて、もうどうにでもなってしまえよみたいな目じゃん。この世は地獄で…そうだ、ここ地獄でした。

「大変だねぇ、向日葵ちゃんも。」
「同情よりも、現状打破の手段が欲しいです。」
「え?あー…えーっと…うーん…あ、あった。」

切実な私の声音に困ったような表情を浮かべ、外套の中を探り始める抹本さん。え、何か嫌な予感するんだけど。咄嗟に彼に制止の声を掛けようとするが、その前に水色の如何にもな薬品が入った試験官が渡された。

「…え、ナニコレ。」
「飲んだ人を分裂させる薬だよ。あ、ちゃんと一通りの臨床実験は済ませてあるから安心してねぇ…。」
「待って、ちょっと待って?どうしてそうなるの?」

嫌な予感が命中したとしか言えない。まさかの斜め上の答えをホームラン級のパワーでぶっ放してくるとは予想してなかった。流石抹本さん!別に痺れもあこがれもしないけど。

「えっと、これを飲んじゃえば向日葵ちゃんが分裂するから、一人が病院でもう一人が獄卒として働けばいいんじゃないかな?」
「「ほう。」」
「そこの大人二人は頼むから納得しないで。お願いだから、その成程名案だみたいな顔しないで。」

いつの間にやら選手交代をしていた肋角さんと先生は、薬を見て感心したような表情を浮かべる。止めてください、飲まないからね?そんな不服そうな顔しても飲まないから!

「あら、毒虫さん。それは確かに素敵な案ですけれど、その場合彼女の魂はどうなるのかしら?」
「重要なのそこなの?もっと突っ込むところあると思うんだけど。」
「ふむ…確かに、魂が欠けていては彼女の体調にも影響がでるだろうしそこは重要だろうね。」
「では、先生。やはり向日葵は特務室預かりの方が…。」
「いや、病院の方が…。」

そろそろ本気で収集が付かなくなってきたぞ。火に油注いだ抹本さんは興味を失ったのか、ぼんやりと宙を見てるし。おい、原因。

「…一体、身内を放ってにゃに勝手にこの子の将来を決めようとしているのかしら?」

天の助けとはこのことだろうか。とにかくキャンプファイアーに油を注いで起こした山火事に打ち上げ花火を投下するような散々たる事をしでかしてくれた抹本さんの後に現れた我が愛猫は私にとっては正しく天使のようだった。

「環さん。」
「あら、環さん。ごきげんよう。」
「ごきげんよう。残念だけど、私の妹は未だ生を謳歌しているのよ。死後の事何て実感がわかにゃいでしょうし、死んでから話し合っても十分でしょう?
まさか、
私の妹である生者を今すぐ死者にしようなんて馬鹿げたことを考えてはいにゃいわよね?」
「流石にそれは冗談が過ぎるのではないかね、環さん。」
「環。」

先生と肋角さんが咎めようと声をあげるが、それに負ける我が相棒ではない。

「あら?ソレは失礼。困ってる私の妹を囲んで大岡越前よろしく就職先を勝手に決めようとしてるから、ついつい勘違いしてしまったわ。分裂させる、なんてことも聞こえたけど、まさか本気ではなかったでしょうしね。」
「「…。」」

ウチの猫強い。
黙ってしまった大の大人二人から水銀さん達へ視線を動かすが、最早そこには誰もいない。災藤さんも水銀さんも逃げたらしい、行動早ぇなあの二人…。

「…あまりうちの子を困らせにゃいで欲しいわね。じゃないと私の持つコネクション全てを使ってでも、




職場にシュールストレミングばらまくわよ。
姉妹の絆を馬鹿にすると酷い目に合うんだから。」

シュールストレミング――スウェーデンで生産されるニシンの塩漬けの缶詰、正直中身よりもその特徴の方が有名すぎる保存食品。世界一臭い食べ物と言われるその缶詰は、飛行機内持ち込み禁止リストにも載せられるほどの攻撃力(悪臭)を持つ。もはや日本ではネタになりつつある食品。しかも武器としても活躍している。良い子は決して「シュールストレミング・復讐」で検索してはいけない。いいか!検索するなよ!絶対にするなよ!?閲覧は自己責任です。

「分かった。だからアレは止めろ。」
「病院にアレは流石に止めて欲しいんだがね。」

うわ、私の愛猫強すぎ!?
一気に引き下がってしまった二人に、先ほどまでの私の苦労は何だったんだと遠い目をしそうになる。結局は説得(脅し)が一番という事なのでしょうか?残酷すぎる世界に泣きそうになった。

「さぁ帰るわよ向日葵。今晩はカツオの刺身なのでしょう?」
「……姉上殿。」
「にゃぁに?」
「…もしかして、カツオの為だけに私を迎えに来たわけじゃないよね?」
「……にゃぁ。」
「ちょっと待って、ねぇちょっと待って?」

可愛らしく一鳴きすると全力で駆け始める姉上殿。助けてくれたのは嬉しいが、理由が理由なせいか喜びも半減だ。愛猫の中の私はカツオに負けたそうです、凄く泣きたい。
家に帰ると境ちゃんが既に刺身を更に盛り付け始めていて、ソレを見た愛猫がボソッと呟いた。

「ご飯の後で迎えに行っても良かったかも。」

その一言に私の涙腺は崩壊した、姉妹の絆なんて無かったんや。この後姉上殿の寝床に滅茶苦茶シュールストレミングを設置した。