苦くて甘いO


走っていた。いや、逃げていたが正しい。
何処へ向かっているのかも分からない。
ただ、今だけは彼に見られたくなかった。

冗談ですって言わなきゃいけなかった。
全部本気だったんです。

気にしないでくださいって笑わなきゃいけなかった。
私が貴方を愛してたと覚えていて。

気にせず食べてくださいって茶化さなきゃいけなかった。
私の初恋だったんです。

どれも出来ないまま、私は逃げ出すしかできなかった。

「ごめんなさい…ごめんなさい…。」

両手で顔を覆って泣いた。
早く泣き止まなきゃ。早く戻って全部が嘘だって言わなきゃ。
そう思ってるのに、涙は一向に止まらない。
何で?こうなるって分かってたのに。最初から覚悟してたはずなのに。

「大好き、にな、て…ごめんなさいぃ…。」

膝の力が抜けて、そのまましゃがみ込む。胸が苦しい。なんて惨めなんだろう。
これじゃまるで大っ嫌いな悲劇のヒロインじゃないか。



「どうして謝る。」



聞き慣れたテノールに肩が跳ねた。
どうして、追って来たの。鼻声のしゃくり上げる様な私の質問に答えないまま、斬島さんは私の元へと歩く。

「好いた相手が自分と同じ感情を抱いていると知って喜ばないほど俺は捻くれていないが…それともアレは冗談の類だったのか?」

真顔で好きと同義の言葉を言われて、一向にやむ気配のなかった涙が止まる。

「う、え!?あ、違っ、でも…私は生者で、斬島さんは獄卒で…。」
「そうだな。だが、それは別に大した問題じゃないと思うぞ。実際に過去に獄卒が生者と祝言を挙げた例がある。特にお前の場合は輪廻の輪から外されると思うから死後も大丈夫だと思うが。」
「サラッと大事な事を言われた気がする!?…じゃ、じゃあ全部私の取り越し苦労だったってことですか…。」
「よく分からんが、俺はお前の思いが聞けて嬉しかったぞ。」

な、何て事だ…あんなに自己嫌悪と絶望の繰り返しは私の勝手な思い込みのせいだったなんて…。思わず大きなため息を吐く。まずは安堵、その次に自分の行動を思い返して一気に顔に血が集まる。ヤバいヤバいヤバい、誰か穴掘って!私そこに埋まるから!!コンクリートに舗装された道の上で私は再び顔を覆った。なにこれ死にたい。

「大丈夫か?どこか怪我したのか?」

そんな私を見て慌てだす斬島さん。混乱してる頭がもうショート寸前だ。ああ、もう…どうにでもなれ。キッと彼を睨みつけるように見上げる。

「斬島さん、大好きです。付き合ってください。私の初恋なんですから、異議は認めないんですから!」

やけくそ気味に伝える。きっとこんなひどい告白滅多にないんだろうなぁ…。

「ああ、俺も大好きだ。」

最低な告白を嬉しそうに受け入れてくれた斬島さんは、そのまま私の腕をとって立ち上がらせようとしてくれる。

「あ。」

少し力が強すぎたのか、私は立ち上がったままバランスを崩して前へと倒れ込む。本当に最後までグダグダだなぁ。数秒後には訪れるだろう痛みを予想して、目を閉じる。しかし、訪れるだろう痛みの代わりに腕を引かれ、何かに包まれる感覚がした。

「…え。」

視界には街頭に照らされた海松色。

「怪我はないか?」

上からのテノールにようやく自分が彼の腕の中にいるのだと気づく。と同時に再び顔面に熱が集まる。心臓の鼓動が痛いくらいの速さにに加速する。

「あ、ありがとうございます…大丈夫です…。」
「…いや、気にするな。」

恥ずかしさのあまり顔があげられず、そのまま目の前の服に顔を埋める。背中に回っている手がピクリと動く。あれ?これ傍から見たらただの変態女じゃ…。

「あ、ありがとうございます!斬島さん反射神経すごいんです…ね…。」

真っ赤になってるだろう顔を混乱のあまり斬島さんへと向けて、言葉に詰まった。

「…そうか。」

私を支えてるだろう腕とは反対の手で口元を隠した彼の顔も赤く染まっていた。
正直驚いた。いつも冷静で真面目な彼が私如きで赤く染まるほど、感情を乱してくれるとは思わなかったから。同時に目の前の男性をひどく愛おしく思う。恋は好きになった方が負けだと言うけど、彼になら負けてもいいかもしれない。

「……斬島さん、もう少しだけこのままでもいいですか。」
「…ああ。」

背中に回された腕の力が少しだけ強くなる。
もう少ししたら家へと帰って、姉上殿達を起こさなきゃいけない。

でも、今だけはもう少しこのままで居たい。

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