硝子と鉄の杭O


「ふ、ぬんっ!!」

慌ててドアノブにつかまり、床の上にちゃんと立っている足に体重をかける。バランスを崩して尻もちは着いてしまったが、まぁ奈落の底へ落ちるよりかは遥かにましだ。
バクバクとトップスピードで鼓動を刻む心臓が痛い。なんだこの命がけのドッキリ!何?校長の性癖暴いたのがダメだったの!?でもあんなところに堂々と置いてるほうが悪いと思うんだが。深く息を吸ってゆっくりと吐き出す。流石に今はラマーズ法とかでボケるほどの余裕はない。

「しかし、まいったなぁ…。」

資料室のドアは一つ―――校長室へとつながるあの扉しかない。そのうえ校長室はどうやったって通れそうにもない。まぁ、要するに閉じ込められたわけだ。

姉上殿の再三にわたる忠告を上回る方法で誘拐されて、目が覚めるとそこは廃校だった。出口を探してたら獄卒に眼球を舐められ、食人宣言をされ、挙句の果てには怪異や怨霊の疑いをかけられたので逃げて、今に至る。

「……あ、これもう殆ど獄卒のせいだわ。」

斬島さん以外何であんなにキャラ濃いの?何でクレイジーな方向にふっきっちゃったの?むしろ斬島さんがレアなの?温度差ヤバすぎてグッピーなら死んでたよアレ。
八方塞がりな現状と厄介事しか運ばない連中に頭を抱えて座り込む。

チャリッ

ポケットの中から金属の擦れ合う音。手を突っ込んでみれば数個の金具が掌の上にある。そういえば、校長室でも拾ったんだった。今までに拾った金具の数は6個。見たところ金具を繋ぐことはそう難しくはないが、繋げてもネックレスには程遠い長さにしかならないだろう。金具はきっとまだ校舎に落ちていて、きっとそれを回収しない事には進展もないのだろう。なんだこのリアル脱出ゲーム。
大きな溜息を吐いた時だった。

―――割レタ
――――――コレデ出レル
――自由ダ
――――奴ハ消エタ

変声器で弄ったような無機質な、生気の無い声が部屋に響く。音源は何処だろう?この資料室にそんな音の出るような機械なんてなかったはずだが。振り向いた先―――見上げるほどの高さの本棚の後ろにある――――段ボールに遮られたスペースにある、一枚の姿見が煌々と光を発していた。

「…境ちゃん?」

鏡と言えば境ちゃんしか思いつかない。彼女は人でこそないが、何度も助けてくれたこの校舎内で一番信頼できる存在である。あの声を聞いてから嫌な予感にざわつく胸を見ないふりして鏡へと近づく。青白い光を放つ鏡面に恐々と伸ばした手が触れる。木の枠にはめられた硝子は、少し寒いくらいの室温とは反比例するように生暖かい。何とはなしに、ガラスの向こうの世界へと手を押し付ける。

ぽちゃん。

硬質な感触だった表面がまるで水のように手を、腕を、体を受け入れる。不思議と恐怖も疑問も抱かなかった。深いプールにゆっくりと沈むように鏡の中へと私は体を進める。



ゆっくりと閉じていた瞼を持ち上げる。
視界に映るのは薄暗い教室。チカチカと点滅する電球は白ではなく青白い光を教室中へと放っている。

シャキン
  シャキン

金属の擦れるような音が一定のリズムを刻んでいる。でも一体何処から?
教室を見回そうと振り向いた体が思わず固まる。教室の隅の床から、大きな針山が出たり引っ込んだりしていた。

「Oh…世紀末ゥ…。」

少し前までの緊張感が一気に切れる。なんだこの前衛的にも程がある飾り。北斗七星だとかの武術の継承者が暴れまわる世界になら有りそうだけど…私、必殺拳だとか秘孔突いたりなんて出来ないよ。つか、そんなことできたらSAN値こんなに減ってない。やばい、これは境ちゃんのセンスが非常に不安になってきたぞ。どうするよ教室出たとたんに「汚物は消毒だー!」とか火炎放射器(withモヒカン集団)が現れたら…。

「早く境ちゃん探そう…。」

バッグを握りしめ、扉へと駆け出す。
…冗談のつもりだが、やっぱりちょっと心配なので一応確認してから出る。当然ながら、モヒカンも攻撃的な肩パッドをつけた人間もいないのでそのまま廊下へ。また一から探索しなおしはキツイなぁと思いながら歩いている時だった。

「…オゥ。」

もう何が来ても驚かないんじゃないかな、私。壁に開けられた、人一人なら悠々と通れるほどの穴に思わず遠い目になる。なんだろう、この…如何にもなラスボスへのルート。コツコツとレベル上げした勇者が、激レアなアイテムを使って魔王城へ行ったのに「魔王?温泉旅行中だよ。始まりの村へ」と言われたような肩透かし感。
まぁ、残り時間がどのくらいなのか分からない現状なのでありがたくもあるんだが…やっぱり複雑な気分。

「よっと。」

何の飾りもない、両端のカンテラに照らされた道をひたすらに進む。

カツリ
 カツリ

数分も経たないうちに正面から差し込む光で着いたのだと分かる。全体的に青白かった校舎とは違い、その部屋から零れるのは暖かい色の光。心細さを感じ始めた頃だったので喜び勇んでその光源――部屋へと駆け込み、愕然とした。

「…え。」

部屋の中央に散らばる硝子片、正面に立てかけられた姿見は肝心の鏡の部分だけが欠けている。綺羅綺羅と光を反射し輝くそれは、本来は一枚だったはずの鏡。境ちゃんの本体。脚の力が抜けて床に膝をつく。

「嘘でしょ…境、ちゃん…?」

伸ばした指先は鋭利な破片に触れる。静電気の様に走った指先の痛みが、まるで一向に出口を見つけられない私の所為だと責めているように感じた。鼻の奥が痛い。視界がぼやける。硝子に零れ落ちた水滴にようやく自分が泣いているのだと理解した。

「…獄卒なんか大っ嫌いだ。ごめん、境ちゃん…ッ…絶対に貴女を連れて脱出するから!」

私を守ろうとした優しい怪異との約束を守るべく欠片を集める。集めたそれを持っていたタオルで包んで鞄の中へ。未だ止まらない涙を手の甲で拭って立ち上がる。

境ちゃんがここまでやってくれたのに脱出出来ませんでしたなんてオチじゃ締まらない。絶対に、ここから生きて境ちゃんと脱出するんだ。

割れた鏡を潜り、暗闇の中へと一歩踏み出した。

OBack