枝がだらりと膝を付く大樹を越えて、黄金色の稲穂を越えて、暗黒蠢く谷を越えて、芳醇な薫り漂う葡萄畑の、そのまた向こう。
年期の入った煉瓦造りの家に1人で暮らしているのは、名前という青年だった。
名前は、先祖代々、家に続いてきた技術を受け継いだ…所謂職人である。それ故か、頑固で強がりな性格をしていた。
「ハーッハッハッハ!」
…煉瓦造りの家から、名前の笑い声が辺りに響いた。
名前は毎日、幾度か高笑いをする。頑固で強がりな性格の顕れなのかどうなのかは知り得ないが、自分自身を誇るような雰囲気を含ませていた。
しかし、今日の高笑いはいつものそれとは少し違った―…
「ハーッハッハッ!ハーハッハ!ハーッハッハッハ…!ハッハッハー……はぁ、はぁ…」
「名前!大人しくしないと熱下がらないよ!」
「熱なんかねェよ!」
「さっき測ったらあっただろう!」
「平熱だ!」
「39度越えが平熱ってどういうことだい!」
「そういうことだ!全っ然平気だ!今から、ジョギン、グに行けるくらい余、裕だ!」
「じゃあ、行ってみなよ!」
「行ってやるよ!…………よーし、今日はこのぐらいに、してやろう」
「2歩しか動いてないし、ジョギングじゃないし!辛いんだろ!?」
「辛くねェ!」
顔を真っ赤に染めて、眉を歪ませ辛そうに呼吸を繰り返す姿は、誰がどう見ても病人の証だった。そう、今日の高笑いが少し違って聞こえたのはそういう理由があったのだ。
今、名前の看病をしている四天王ココは、名前の数少ない友人の1人だ。数時間程前、久し振りに難癖のある友人に会いに行こうとグルメフォーチューンを出た。家の扉の前に着き、ノックを2度したが返答はなく…そっと中を覗いた所、道具を抱えて倒れる名前を発見したのだった。
「変に強がって悪化しても知らないよ僕は!」
「っだ、から、病人で、はないと、言ってい、る!」
「へえ、そうかい」
「っ?…ぐあ゛あっココ貴様ァ!病人の腹を突くとは、な、にを!」
「よし、病人と認めたな!」
「貴様…謀ったな!卑怯なり!」
「何を言っているんだ!寝ろ!」
「ぐぎぎっ……っ、」
いがみ合い、お互いの手を押し合うが名前は直ぐに力を抜いた。そのまま、ベッドに腰を掛け、しばらく肩での呼吸が続いた。
どうやら、体力の限界らしい。ココは深く溜め息を吐いてから、名前の肩にそっと手を置く。すると、名前は虚ろな目でココを見上げた。
「……ん?、なんだ……物凄く良い女が目の前に居る…俺と結婚を前提に付き合ってください」
「どうした!?…しっかりするんだ、僕だよ!ココだよ!」
「コ子さんですか、良い名前だ」
「何を言い始めたんだ!」
「俺の友人にもココって名前の奴居るんですよ奇遇ですね、コ子さんもしかして何処かで四天王してませんか」
「名前、ゆ、湯気が……頭から湯気が出ているよ!早く横になるんだ!」
「………コ子さん…俺たちまだ出逢って数十秒なのにそんな…、最近の女性は積極的なんですね」
「…仕方ない、ノッキング!」
「ぐへぁ!」
崩れるようにベッドに倒れ込んだ名前を見下ろして、ココは額に滲んだ汗を拭った。
「(…消化しやすいもの、作っておこうか)」
部屋を出て行くココの表情は、溜息を吐きながらもどこか嬉しそうに緩んでいた。
―…両親や兄弟も全て亡くして、一族の技術を引き継いだ名前。いつも、このようにつよがってしまうのは、若くして家を背負う者としての屈強な意志を持つが故だった。
しかし、ココは名前に…少しは弱音を見せてほしい、頼ってほしい、と考えていた。
このままではいつか重大な病気にでも罹ってしまうのではないかと心配していたのだ。
今日は、身体だけではなく、心を休ませるいい機会かもしれない。今日は無理やりにでも休ませて、存分に面倒を見てやろうと、こっそり決意したココであった。
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bkm