「あ、ココ」
「名前君」
お帰り、と言うと、ここは家でないのに関わらず、ただいまと笑ってくれた。
「来てたんだ。所長、俺を呼んでくれてもいいんじゃない?」
「……お前がココに会うと、五月蝿くなるだろう」
「何々? 副会長も来るような、そんな重大な話なわけ?」
見れば、マンサムとココの向かいにはIGO副会長である茂松が座っている。
俺はつい首を捻った。
「こら! 名前、お前何て口を利くんだ!」
「いい……どうせあいつのことだ、言っても聞かないだろう?」
「うわ、さすが副会長、俺のことよく分かってんね……あ、そういうわけでさ、ココ、ちょっと新しいソースを考えてみたんだけど、味見してもらえないかな?」
「……後にしろ、名前」
「えー、だってさぁ」
この世で、俺のわがままを聞かないのはマンサムだけである。多分。
時折、ナルシストかと思う程都合のよい耳の能力を発揮するが、彼は俺のわがままを聞き逃したことがない。
しかし、それはちょうどいいのかもしれなかった。
好き放題やっている本人が言うのもアレだが、たまには叱ってくれる人が居ないと、俺はダメ人間まっしぐらである。
「……分かった、行こう。すみません、少し待っててもらえますか?」
「仕方ないな……」
マンサムは渋々といった感じで頷き、俺の方に鋭い視線を向けてきた。
……あーあ、後で怒られるかもしれないなぁ。
まぁいっか。てかココには甘いな、あのおっさん。
「ココ、久しぶりだね」
「あぁ。元気にしていたかい?」
「うん、俺は元気。俺までもうろくしたら危ないじゃん? 俺にはさ、所長を介護するっていう重大な役目があるのに……」
ココは苦笑する。俺の言わんとすることを分かったのだろう。
「それで、ソースっていうのは?」
「あぁ、うん。ちょっと甘いソースが作ってみたくてさ、お菓子用の。で、この間小松君にそのこと言ったら、美味しくできたら使ってくれるって」
「小松君の所で? それは凄い」
「でしょ?」
だから余計、気合いを入れて作った。
代わり映えのしない廊下を歩きながら話す。
――厨房は、俺専用で、俺は基本的に新たなメニューを開発する時に使用している。
「もしそのソースが完成して、採用されたら、大分君のメニューが並ぶんじゃないかい?」
「全くね。そのソースを使うメニューも一緒に提供しようと思ってるんだけど――まぁ」
味見ってか、大体完成してるんだよな。
長い廊下ののち、たどり着いて、扉を押し開けながら俺は言う。
「そうなのかい?」
「そうそう。流石に、自分の舌でも美味いか不味いか判断できないものを、人に食わせるわけにはいかないだろ? だから、さ」
仮にも恋人である。……うーん、まぁ、一応。
俺は、殺風景なテーブルの上に載せられた皿を指す。
「ほら、これ」
「美味しそうだね」
「美味しいよ?」
料理人の舌だ、信用してくれていい。しかも、ホテルグルメでもメニューを提供しているような料理人だ。
「……うん」
ソースの材料は……奇抜過ぎて言えないが、その分、見た目は普通にタルトにしてみた。
あくまでソースがメインだから、タルトの生地の味は抑え気味にしてある。
ココがフォークでタルトを口に運ぶのを、俺は黙って見ていた。
「美味しい」
何を使っているんだい、とはココは聞かなかった。多分、料理人にとって、原材料はとても大切なことを知っているのだろう。いや、“も”か。
ココはただ微笑んで、皿に載った全てを平らげ、フォークを置いた。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした。……あの、食べてくれてありがとう、ココ」
「どうしたんだい、急に」
「……別に」
君らしくない、と言われ、視線をずらす。正面から見る勇気が無い。
「あんな、真剣な場所から連れ出したから、少し気まずいんでないかと」
「……まぁ……平気な顔をしては戻れないだろうね。でも、最低限の報告は終わってるから」
「あ、トリコのこと?」
ココは頷く。
「どうなの? トリコは。センチュリースープを捕りに行ったんでしょ? 小松君はスープを飲めたのかな?」
「あぁ……最後の一滴を、小松君が飲んだそうだ。他は全て美食會に奪われ、トリコも片腕をもがれたとか」
「なっ!?」
もはやどこから驚いていいか分からない内容だった。
まさか、グルメショーウインドウがそんなに枯れていたとは……。
「うわぁぁあー。トリコ、大丈夫なのかな?」
「今は癒しの国ライフに居るそうだよ」
「わ、ほんとか! それなら治るかもな」
よかった。別に俺は、トリコに特別な感情を抱いているわけではないが、グルメ研究所の料理長としても仲良くさせてもらっている。
四天王としても、1人の美食屋としても、トリコは尊敬に値する人物だ。
俺の開発したメニューは、多くがトリコが提供してくれた材料にインスピを貰っている。
「ココも、無事に戻ってきてくれてよかった。タルトも食べてもらえたし」
「……それなんだけど」
「ん?」
ココの表情が、いつになく真剣だ。
「名前君は、僕が帰ってくる度に、いつも何かを用意していてくれるよね。それはどうしてだい?」
「え?」
「しかも、殆どが新作のメニューだ」
……ココは聡いな。そういえば、“好き”という感情に先に気づいたのも、ココだった。
今でもココは、失くすことに怯えるように、俺の名前に“君”を付けて呼ぶけれど。
「……名前君?」
「あ〜……バレてたか。俺、バレてない自信あったのに、っていうか、気のせいで終わると思ってたのに」
後悔は、していないけれど。
「だって……ほら。ココは、色んな所に行くだろ? 子供じゃないんだから、いつまでも縛っておけないのは分かってる。だからせめて、生まれた時は違う場所でも、死ぬ時は一緒がいいって」
“大切なもの”を失うことに怯えるココに、強いるのは酷だ。俺もその気持ちが分かる。
だから、“俺”のために帰ってくるんじゃない。
“美味しい料理”のために帰ってきてほしくて。
「俺とココをせめてつなぎ止めるものが、料理であればいいなって、ただそれだけだよ」
「……あぁ、そっか」
ココは立ち上がり、こちらにゆっくりと歩いてくる。
「……ココ?」
「僕は君に、随分つらい思いをさせていたんだね。君のためにと思ってやったことは、全部自分のためだった」
「……距離を置くとか、“君”づけで呼ぶとか?」
「あぁ」
ココが抱きしめてくれる。まるで初めてのように、ぎこちない動作で。
でも嬉しくて、ココの配慮と躊躇を無視して強く強く抱きしめ返す。
「嬉しいよ」
「君が言ってくれたこと、僕は信じてなかったから」
「でも、今は信じてる。だろ?」
じゃなきゃ、抱きしめてくれたりしない。
いつだか俺が、「ココの毒なんて気にしない」と言ったことを、ココはずっと気にしていたのだ。
それから一度も肌が触れることはなかったけど、今はこうして、触れることができている。
だったらそれだけで、十分だ。
俺は料理人でよかった、と心底思った。
(俺が、存在することが)
(君にとって、大きな意味を為していたらいい)
(そうしたら、きっと)
(死ぬ時も一緒に居られるんだ)
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bkm