main | ナノ

自分の影に飲み込まれる


片腕に抱えた今晩の食材を、ずん、と地に下ろす。地響きが空気の振動とともに遠くへ遠くへ。

「またか、クソガキィ」

切り立った崖で寝転び空を見上げている男が居た。風に揺れる髪を手でおさえながら地響きの根源──見るまでもなく明らかなそれを確かめるべく振り向く。

「…クソジジィ」

そして表情を歪ませ、べっと濁った唾を吐き出すのだ。

誰に似たのか、口の悪さは一級品。孫をもつ感覚とは到底思えまいそれに、呆れて目を細める。

「ばっはっは!外へ出てまだ三年も経っておらん、それみたことか、貴様にはまだ早かったという証拠だなぁ!」
「言ってろ老いぼれ」

歯軋りしながら背中に向けてくる視線は痛くも痒くもない。弱い。どうせまた下らないことでも考えているのだろう。まぁいい。とにかく、だ。

「その牛豚を運んで来い。運べないならテメェの飯はねえと思え」

目を丸くし見開く姿を視界に捉え、グルメ研究所所長 マンサムは、にやりと笑む。仕込みがあるんだ早くしろと手を小さく上げれば、後方から少し遅れてぎゃんぎゃんと喚く声が聞こえた。




アーモンド形のくりくりとした瞳は濃い隈に占拠され型崩れしている。胸を上下させ所長室のソファにぐったりと沈んでいる。

「名前」
「……」
「暇ならワシの肩でも揉め」
「指折れるわハゲ」

勢いよく上半身を起こし、これが暇に見えるのかジジイ遂に視力逝ったなアッハッハッハッ牛豚なんか運べたのが凄いわコノヤロー!!なんて高笑いを交えて自虐的に言葉を並べてはソファに逆戻り。リッキーがのしのしと歩み寄り、慰めるかのようにひと鳴きした。

マンサムは向かいのソファにどっしりと腰をおろしてウイスキーのコルクを押し上げる。直に口をつけて飲む姿に名前は、いつか呑まれればいいんだと怨めしく思う。

「これで何度目だぁ?」
「さあね」
「チビの頃から繰り返した短期間のも含めるとざっと7回ってところか」
「7は無い!6だ6!」
「ばっはっはっは!覚えてるじゃねーかぁ!!」
「ぐうっ」

誘導されまんまと答えてしまう名前は早くも自己嫌悪に陥り悔しいのだろう、うなだれながらソファに拳をぶつけていた。

「成長してねえなぁ」

成長していない、のは名前自身とて分かっていた。逃げ帰って来たのだ。のこのこと、無様に、忠告を聞かず、啖呵をきって飛び出したというのに。
爺と孫、否、親子同然の扱いをし育ててくれたマンサムに感謝を忘れた事など一度もありはしない。IGO開発局長兼グルメ研究所所長という肩書きを持つ彼にとって名前には未知の食材を求めて旅をし、食の有り難みをもっと肌で感じて欲しいと考えるが妥当であろう。だがマンサムは違った。「名前自身の好きなことをやればいい。旅は常に弱肉強食、死と隣り合わせ。ようやくノッキングが出来るようになった程度のお前に強要するつもりはない」と本人相手に、いつもの豪快な笑いとともに言い放ったのだ。

「お前また痩せただろう」
「痩せてねえ」
「脂肪は減ったが筋肉も衰えている。ワシの目は誤魔化せんぞ」
「ジジィの出す飯は太りそうなもんばっかじゃねえか!露骨に偏ってんだよ!」

テーブルに運ばれる野菜中心と少量の肉に瞳を輝かせ席につき、いただきますと手をあわせてから箸を伸ばす。

「これ以上お前に背負わせたくないんだがなぁ」

自ら茨の道を歩む必要など何処にある。お前には幾らでも選択肢があるというのに、何故ワシと同じ方へ向い来るか。何故突き放したのに追い掛けて来るか。黒い、黒い、その影に──ゆらゆらと揺れ迫る闇に取り込まれてしまうぞ。なぁ、名前よ。

帰って来いとは言わない。
ただ、無理はするな、と。

その思いを乗せて名前の背中へ「楽しいか?」と投げ掛ければ、上等な食材を咀嚼しながら、穏やかな笑みを浮かべて振り返った。

「当然だ、世界はこんなにも不思議と奇跡に満ちている」




prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -