夕餉
今日は貴重だからと普段は使えない干し肉も、リーダーに内緒でこっそり使ってみよう。
肝心なことは何一つとして覚えていないのに、体は、手は覚えていたのだろう、勝手に手が進んでいく。
調味料なんて有り合わせのものしかないが、干し肉は酒に水を加えたものの入る鍋へ入れ、戻しつつ煮る。
「フリオ、お野菜の下ごしらえするよ」
ああ。
かかる声に返事をするも、鍋の中の肉を見つめる逞しくもしどけない若者の眼差しは真剣そのもの、すると相手は心配そうに眉を顰め、火種となる焚き火の、薪の位置を僅かばかり調整しようとする。
「ちょっと強すぎ」
彼女、ティファの眼差しも真剣なものに変わる。調節しようと身じろぐ、何の気なしの彼女の体がフリオニールの腕に密着。
頬がかっと火照り、心なしか暑いのは、たぶん火力のせいばかりでは無い筈だ。
赤々と燃えるそこから、鍋を抱えたまま、彼の腕は突かれたように離れた。
この前は彼女との食事当番でフライパンをひっくり返して皆の食事を台無しにしたばかり。失敗は許されない。
「またこぼしちゃう」と苦笑する彼女も彼の気持ちが分からないわけでもないが、しかしそれでもスペースは限られ、台所と呼べる箇所は狭いのだ。
気づかない素振りを見せて野菜の皮を剥き続ける。
剥いた後は、じゃがいもに人参は大きめの乱切りに、玉葱は繊維に沿って縦切りに。
「ほら、次、お肉。早く早く」
あと三刻もすれば食べ盛りの仲間達が大勢になって帰ってくる。
料理上手なティファに、卵を握り潰しながら割り入れるジェクトやライトニング、火力調節に魔法や召還獣や銃火器を使おうとするライトやスコールにラグナにユウナ、怠け癖のあるバッツやジタンやヴァン、その他諸々に比べれば断然センスがあると見込まれたフリオニール、オニオンナイト、セシル、カインが食事を作らなければ、一体誰が秩序勢の、減っていては戦などできぬ腹を満たすというのか。
今日の当番は4人で回した内のティファにフリオニールという一見すると安心できる組み合わせだが、これがまた相当な穴、結論から言えば先述の通り。
狭い台所で思うように身動きがとれず、かつフリオニールがそういうことを気にする質なのか、ティファの悩ましげな体つきたる故の問題なのか、いずれにせよ作業が捗らない。
と、なんやかんやで肉はちゃんと煮えてきたようで。彼女はボウルに大量に入った野菜を鍋へとあける。
銀色に光るそこは大きなあっという間に野菜で満杯に埋め尽くされ、しかし底の方から沸々と煮えてくる音だけが聞こえる。
かき混ぜて、ゆっくり、じっくり、とろ火でことこと。蓋を閉めて待てば、簡単だが心身共に温まるスープのできあがり。
お皿を準備、スプーンも人数分、出した頃には皆ボロボロで戻ってくる。
ボロボロとはいっても、満足で楽しげなボロボロ、悲しげなボロボロなど、バリエーションに富んだ物ではあったが。
食べた後の片付けはせめて、皆で。
しかし心根の優しい皆のことだ、座っていて、とウィンクまでして食事作りを担当した二人をテーブルにつかせたまま、遠くの洗い場まで行ってしまった。
大勢いたせいで、窮屈でならなかった気のテーブルも、二人だけの空間としては少々広すぎる。
ところどころ食べ物で汚れているところは、バッツか、ヴァンか、誰かが食べ物を零してしまったのかもしれない。
食後のお茶を手放し、布巾を手に取って念入りにその汚れを擦り取る彼女の、神経質な指の動きにフリオニールも立ち上がり、同調する。
今日のスープ、美味しかったな。
なんとなく沈黙が怖くて、咄嗟に口を突いて出た言葉に、彼は酷く狼狽えた。
ティファはきょとんとして、またすぐ笑顔を戻す。心惹かれる笑顔だ。
「当然。でも、突然だね?」
他に言うこともなくて、なんて恥ずかしくて言えない。
しかし顔を赤らめてもじもじする彼の様子は十分、彼自身の羞恥に値するもの。
俯いたまま黙りこくる彼に、彼女はすっかり日の暮れてしまった、雲一つない銀の砂粒をばらまいた川底のような漆黒の夜空を見上げ、冷えてきた、しかし紛れも無い緑の香りを含む、近くの森からの微風を胸いっぱい吸い込んで放し始めた。
「…あのさ、このスープの名前、知ってる?」
今日は貴重だからと普段は使えない干し肉も、リーダーに内緒でこっそり使ってみよう。
肝心なことは覚えていないのに、体は覚えていたのだろう、勝手に手が進んでいく。
調味料なんて有り合わせのものしかないが、干し肉は酒に水を加えたものの入る鍋へ入れ、戻しつつ煮る。
剥いた、じゃがいもに人参は大きめの乱切りに、玉葱は繊維に沿って縦切りに。
肉が煮えればそこに野菜を入れ、とろ火でじっくり、さらに煮込む。
「のーばーらー!何コレ何の匂い!?」
するとたった今帰還して来たのであろう、腰に飛びつくティーダに、
「はーらへったー!!」
足にしがみつくバッツをひっぺがして、フリオニールは続ける。
「はいはいまずは手洗ってこい、それとうがいな」
「やだ」「寒い」
「お前らはいいけど変なばい菌持ち込んで俺らが寝込んだら戦えないだろ、ほら行ってこい」
「だいじょぶ、フリオが寝込んでも看病してやんよ」「俺結構料理得意ッス!」
「ならたまには食事当番を変えて、セシルや俺に楽させてくれよ」
「やだ」「めんどくさい」
苦笑を隠さず、でも最終的には手洗い場まで勝負して駆けていく二人はとても素直で、そのあとからどやどや帰ってくる皆も同じことを繰り返す。
ティナに飛びつかれ、セシルに微笑まれ、スコールは素通りしてジタンに手を引かれて無理矢理「ただいま」をさせられて、ライトとオニオンが粛々と歩いてくる。
最後に帰ってきたのは、無表情に嬉々としたものを含ませ、滲み出している金髪の青年だ。
「…ただいま」
おかえり。
すん、といい匂いに鼻を鳴らし、漸く顔を綻ばせる彼は早くしろよ、食べられないじゃないかとぶうたれる仲間にどやされている。
「あのね、このスープの名前はね、シチューっていうの」
知らないと答えた彼に愛おしそうな視線を向けた彼女は、焦らすことも無くあっさりと答えを教えてやった。
「まぁ、名前は何でもいいよね。私ね、このスープの作り方に、続きがあったのをさっき思い出しちゃって、」
フリオニールから視線を外す。夥しい数の星がいる空をまた見上げた。空気が酷く乾燥している。
「それを、誰かに、ここにはいない人に、食べさせたかった、気がするの」
…元の世界の?
「ん、たぶん、そう」
は、と吐いた息は僅かにも白い。啜り上げる鼻の音は何とも間抜けだ。
じゃあ、早く元の世界に帰らないとな、なんて励ますが、彼女はその首を振って痛ましく自嘲する。
彼女の、食べたら甘そうな色をしている淡い瞳は星空を突抜け、どこか別の空間に焦点が結ばれているようにも見えた。
「誰だか思い出せないもの。それよりも人に作り方を教えて、そうすればいつかその人に誰かが食べさせてくれるかもしれないでしょう」
そちらの方がどだい無理な話だが、フリオニールはそのレシピを教わることにした。教わらなければならない気がした。
ティファは隠し事でも打ち明けるかの如く彼に耳打ちをし、彼は熱心に、一心に、彼女の声に耳を傾け、そのレシピを聞き取り、習得しようとした。
ところが言い終わった頃になってティファの頬へ、フリオニールの肩へ、透明な液体がたくさん零れ落ちた。
ティファの涙だ。嗚咽も混じった声が途切れ途切れに耳元で囁かれる。まだその人に会えないの、まだその人は帰ってこないの。彼女なりに、他に何か思い出しているのかもしれない。
他にどうしようもなくて、誰が見てようがその時は頭が真っ白で、何も考えられなくて、だがむず痒さを伴った疼痛は胸の奥より込み上げる。
仮想現実の中でも、この痛みだけは本物だ。切り捨てることなどできない。
今し方教わったレシピを反芻することで、必死に理性を保ちつつ、彼は彼女を泣き止ませる為、壊れないように、しかしあやすにしては少々強く、力一杯に抱きしめた。
伝える。きっと伝える。たとえ食べさせたい相手が現れなくて、それどころか貴女の記憶が偽りでも、俺はきっと伝えるよ、食べさせてみせるよ。
彼女の体は脈打ったのかしゃくり上げたのか、一つ、大きく波を立てて身震いをした。
優しく大きく逞しいその体に、いっそ戦いが終わるまで自分自身を委ねたかったが、皿洗い場から帰ってきたバッツにヴァンに、ライトニングやらによって引きはがされた。
フリオニールは男性陣に囲まれ泣かしたと揶揄され、ティファは泣いていたこともあり、女性陣から心配される中、互いはしかし、これで良かったのかもしれないと思うことにした。
以来、彼が仲間に眠らされるまでの短い間、台所に、共に立つところを見た者はいなかったという。
気まずかったわけではない。タイミングが合わなかった、それだけだ。
「フリオ、フリオ」
「…」
「おいフリオニール」
「は、はい!」
「…っと」
夢でも見ていたのだろうか。慌てて答えた彼は今、夕食後の皿洗い場にいる。
彼が手を滑らせて落とした皿を寸でのところで掴まえた仲間はしっかりしろ、と濡れた手では小突けないからだろう、代わりの膝蹴りをかましてくる。
…なんだろう、唐突ではあるが、昔、ここに来たことがある、気がする。
「聞いてたか」
「えーと…、うん」
「聞いてなかったな」
「すみません」
横で黙々と皿を洗うクラウドに、また苦笑いをして謝る。
水が手に冷たく、ああ、食事当番な上に皿洗いとは、今日は中々にツイてない。
無数の針で刺されるような痛みが指の節々まで走り、きっと垢切れもできていることだろう。
「何の話だったかな」
ぎろりとこちらを睨んだ視線の主は肩を竦める。
「だから、そのスープをどうやって作ったのかって話」
「え?あ、ああ。これね」
途中までは普通のスープと一緒だよ。
肉類なんかと野菜を多めのお湯で煮てスープにして、バターに小麦粉を溶かして作ったルゥを最後に加えて、ゆっくり煮込むんだ。
名前は、と聞かれて言い淀む。なんだろうなんだったっけ。
ぱりぱり頭を掻いていたが、そういえば自分も同じような質問を誰かにした気がする。…気がする。またデジャヴ。
「ホワイト、シチューだよ」
「…へぇ」
適当な、野菜スープとかでも良かったのに、何か、自分が言い出すには随分と洒落た名前だな。
意外にもすんなり思い出せた。ところが誰に聞いたかはやはり、思い出せない。
彼女が泣いていたことも思い出せない。彼女が誰に食べさせてたかったかは元より知る筈も無い。
クラウドは珍しく満足そうに、そして楽しそうに頷き、なんだか懐かしくて優しい味だったからと付け加え、また、今度は皿拭きを始める。
皿からは、あの時彼女が教えた白く懐かしい料理の名残が拭われていく。そんな彼を見守るフリオニールの、猫のような丸い目つきは優しい。
そんな彼らを見守る夜空に鏤められ、満たされ、輝く星々はずっと無慈悲で、だからこそ哀しく、それ以上に優しい。
writer 牙娘
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元ネタはFF7CCの、母さんのシチューを推してくるクラウド君からのメールより。
シチューの名前すら知らないフリオニール。