アドレッセント・アダルツ
水面が揺れる。女神は顔を上げ、聖域でくつろいでいた2人の戦士は臨戦態勢に入る。
静閑の中、肌を撫でるような気配が通り過ぎた。プリッシュは敵ではないと警戒を解いたが、傍らで未だ杖を構え続けるシャントットに気付き、眉を寄せて拳を握りなおした。そんな彼女に一瞥もくれずに前を見据えるシャントットは、誰の目にも明らかなほど不機嫌だ。
「…博士ぇ、俺見てくるよ」
なんとかこの傍若無人な淑女の機嫌を浮上させなくてはいけない。普段そういった空気に疎いプリッシュも今回は何かを感じたらしく、先手を打って聖域の出口へ駆け出した。
ところがそんなプリッシュを待ち受けていたのは酷い仕打ちだった。気を利かせて走りだした彼女にお待ちなさい、と声をかけた大魔導士は、走る彼女に容赦なしのエアロラを放ったのだ。予期しているはずもない攻撃によって豪快に吹き飛ばされたプリッシュは、投げ出された先で尻を押さえて呻いている。
「わたくしが見て参りますわ。あなたはそこで留守番してらっしゃい」
プリッシュはまたまた眉を寄せた。その眉間から滲む感情はいくつもあるのだが、言ったところでまたあの八つ当たりの餌食になるのは明確なので、賢くなったプリッシュはすべてを飲み込み尻をさすり続けた。
聖域からそう遠くない平原に、気配の主はたたずんでいた。花のように柔らかな笑みは、ぎらぎらに尖っているシャントットの視線にも決して怯むことなくほころび続けている。
エアリス・ゲインズブール。
召喚された身でなく、コスモスにもカオスにも属さない彼女の存在を、シャントットは以前から気に掛けていた。ところがとっ捕まえて研究してやろうと戦闘中に呼び出したところで、役割が済むとすぐに消えてしまうので、シャントットのエアリスに対する感情は日々膨らむばかりだった。それは焦燥とも苛立ちとも恋慕ともとれるのだが、何の感情かなんてことは魔導士には全く興味のないことであった。
「わたくしに足を運ばせるとはいい度胸ですわね」
発する声音すら刺々しいのは、淑女の淑女たる所以だろうか。目の前の美しい花を見据えながら高飛車に言い放った言葉には、隠れた心が顔を覗かせている。美しい花には刺があるとはよく言ったもので、案外と意地の悪いエアリスはそれを見逃してはくれなかった。
「あなた自ら来てくれるなんて、普通ならありえないでしょ」
シャントットは無意識に舌打ちをした。その通りなのだ。誰かのために自分が動くことなど稀であると、彼女は自負していた。だがそれを誰かに、殊にエアリスに指摘されたことが堪らなく不快であった。相も変わらず半円を描いたその口を、歪ませてやりたい程には。
シャントットは握りっぱなしでいた杖を、エアリスの可愛らしいピンク色の唇に突き立てた。さすがのエアリスもこれには表情を崩してしまう。ふん、と鼻を鳴らして見上げるつぶらな瞳には、してやったりとでも言いたげな光が閃いている。
「わたくしをあまり不愉快にさせない方が貴女の身のためですわよ」
だがエアリスはやはり怯まなかった。それどころか乙女らしく胸をときめかせていたりした。小さな淑女はそんな事は露知らず、何の反応もないエアリスをじいっと見つめている。その瞳から見取れる感情にエアリスは心を躍らせた。
シャントットがわざわざ出向いたその理由を、エアリスは知っていたのだ。明確な言葉にしなかったのは、奥手な女の子も可愛いかな、と思ったせい。でもやっぱり、ぐいぐい行く方が合ってるなあ、とちいさく一人語散る。つまるところ積極性が売りの彼女は、引っ込めた唇に自分の指を置いて、誘いを投げ掛けるのだった。
「ここに付けるのは、そんな物騒なものじゃないでしょ?」
writer 直井