Good night


恋に落ちる。恋に陥る。要は状態異常だ。エスナも万能薬も効かないが。

カインは眩しさに左手の甲を目蓋にのせた。テントの隙間からはどうしても光が漏れる。毛布の上に横たわるも、真上に昇った太陽は締め切ったテントの中を明々と照らしていた。寝苦しさに寝返りを打とうとして隣に座る彼の膝が視界の端に入り込む。

「お、朝よりは下がったな」

長い金色の前髪を払い、額にぺたりとのる手のひらが冷たい。カイン自身も自分の体温が平熱より高いのがすぐわかった。
顔を覗き込んできたバッツが肩に手を添え、背中を庇われながらゆっくりと起き上がる。

「これ、飲んだらちゃんと寝ろよ?」

眠り付けないのは熱の苦しさや頭痛のせいか。困ったように笑ってバッツは今しがた調合していた薬をカインに差し出す。手渡されたそれを一気に飲み干せば口に広がる苦味に舌が痺れそうだった。ポーションやエリクサーでもないその薬はカインの記憶には無い代物。
特別、面倒見がいいわけでもなかったバッツに甲斐甲斐しく看病を受けることになったのはカインには想像も出来ない事態だった。

「すまん、バッツ…」
「ん?気にするなよ。困った時はお互い様だろー?」

剣士ばかり集まったコスモスの戦士の中で白魔法に長け、薬師の知識も併せ持つのは彼だけ。
枕元に置かれた水を喉に流し込んで、再び横になると額の上に冷たく濡らされた布が置かれた。持て余した火照る身体がだんだんと冷めていくのを感じてカインは目を閉じる。

昨日。カインは戦地から聖域へ帰投する際に複数のカオスの戦士から襲撃を受けた。
幸いにも帰りが遅い事を不審に思った仲間が駆け付け最悪の事態は免れたが、カインは深手の傷を負った。
その時は場に居合わせたバッツが白魔法を唱え、何とか傷口を塞いだ。
今ではカインの半身は傷痕も無く、しかし魔法で急激に治癒されたその反動として耐えきれなかった身体が翌日の今朝まで高熱を出してしまった。疲れも蓄まっていたのが一気に身体に出たのだろう。
彼にとっては情けない姿を二度も晒し、この上なく恥ずべき事である。どうしようもない失態だ。そう思っているのは本人だけだけで異世界で出会って日は浅いが共に戦う事を決めた仲間同士である。自分よりも他人を気に掛ける者たちばかりだった。

「お前はいつまでそこにいるんだ」
「え?」

聞き返すバッツはきょとんとした顔で、問い掛けたカインまで目を丸くする。

「…持ち場に戻れ。俺は寝る」

自分の面倒はもういい。既に戦場で戦う仲間たちの元に戻らないかと問うと彼は思い出したように頷く。が、一向に立ち上がろうとしない。

「俺はね、いいんだよ。皆に今日はしっかりカインの面倒を見るようにって言われたから」

ニッとはにかむ彼に悪怯れる様子はない。

バッツは自由な男だった。世界中を旅していた事も本人から聞いた話で、冒険を求める姿はまるで子供だったが、その純粋な探求心が彼の力の源なのだろう。
こんな場所で病人を眺めていても彼の好奇心を満たすものは無いはず、と内心カインは不思議に思った。しかし、

「カインの顔こんなにじっくり見たの初めてかも」

自分の顔へジーッと注がれる視線にカインは咳払いして、目を逸らす。いつも竜騎士の兜の下に隠された素顔は滅多に見ることはできないもの。食事や就寝のほんの僅かな間、必要最低限にしか外さないそれ。
熱に浮かれて顔が赤いのは、仕方ない。

「…別に面白いものでもないだろう」
「何だよ、勿体ないなぁ」
「勿体ないだと?」
「うん。隠してるわけじゃないんだろ?」

のびた指先が髪をすくう。バッツはまるで玩具でも見つけたような顔だ。

「綺麗だ」
「フッ…歯が浮くような台詞だな」

思わず乾いた笑いがもれる。からかわれるのには慣れていない。だからカインはこんな時どうしていいか、わからなかった。元より沸騰した後の頭が思考を通常どおりに回るはずもなく。困惑を隠すように、カインは毛布の下で無意識に拳を握り締めた。

「本当だって」
「………」
「俺は本気だよ」
「くどいぞ」

バッツの言葉を遮って、カインは寝返りを打つ。いつまでも彼に構ってる場合ではない。すぐにでも体調を整え、出来るだけ前線に復帰しなければ。
純粋に容姿を褒められた事に照れ臭さもあった。他人に面と向かってそんなことを言われたのは初めてだった。
ましてや同性であるバッツに。

「カイン」

眠ろうと瞼をかたく閉じるが、彼に向けた背中に視線を感じる。

「怒ってる?」

言われてカインはハッとした。確かに一瞬ではあったが彼に苛立ちを覚えた。何故そんなことを言うのかと。笑ってすませることが出来たはずなのに、何をそんなにお互いムキになる必要があったのか。
バッツもバッツだ。いくら彼がマイペースな人間とはいえこの手の冗談が通じるか通じないか判断出来ないような男じゃない

「そんなことは…」
ない、ということはなかった
霞がかかった思考が一気にクリアになる。
カインは気付いてしまった。
ほんの少し前までは淡い気持ちだったかもしれないそれが、バッツの一声で極端に傾く。

「カインも俺と同じこと考えてるんじゃないか?」

動揺に肩が小さく揺れるのを見たバッツの楽しそうな声色が耳元に流れ込んでくる。
悪態を吐く余裕もなかった。

「…さっきのは惚れ薬か何かか?」
「まさか!」

バッツの笑い声にカインは振り向く。
彼はひどく穏やかな顔をしてカインを見つめる。こんな時だけ大人びた雰囲気になるのは止めてほしかった。確信するほどの言葉もないが、彼が駆け引きをするとは思えない。

「俺がここにいる理由、もうわかっただろ」

「…性格悪いぞ」

「カインが元気になってからちゃんと言うさ。その時はちゃんと聞いてくれるんだろ?」

バッツは額の布とずれた毛布を俺に掛け直し、カインの顔にかかる前髪を払う。指先は触れるか触れないかの距離で、彼は遠慮したのだ。あのバッツが。

「だからカイン、今はおやすみ」

バッツが右手をカインの視界を隠すようにかざすとそう唱える。半ば強引にカインは考えることを中断された。
目覚めたら消えてしまう夢にしては味気なく、現実にしては緊張感がない。まだ何も始まってはいない。まだ彼の本心は何もわからない。意識が微睡んでいくなかでカインは目覚めたら彼に何と悪態を吐こうかと考えた。






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