No title
土を踏みしめる自分の足音を耳に歩いていたら水辺で一人立っている少年がクラウドの視界に入った。姿くらいは見たことがあったのかもしれないが、記憶にはない。名前すら浮かんでこない中で辛うじて分かるのは、彼がコスモスの戦士だということだけだった。
無意味な戦闘を避けたいクラウドにとってあちらに気配を悟られるのは避けたかった。気付かれぬ内に立ち去ってしまおうと踵を返そうとする。
だが、何故だろう。掌を心臓に寄せて瞳を閉じているその姿から目を離せなかった。
例えばそれが見る人をも必ず惹きつける容姿の美しさやカリスマ性であったならばクラウドは全く足を止めずに立ち去っただろう。そうではないのだ。
少年の厳かな表情から感じられたのは、哀悼、だった。
まるで棺に花を手向けた後のような、クラウドもよく知っている感覚が背中をなぞって足を動かなくさせてしまう。
やがて瞼がゆっくりと押し上げられ、腕も下げた少年が、立ったままでいたクラウドへとグレーの瞳を向ける。僅かに見開かれた目は、すぐに細められた。
警戒心のない笑顔がクラウドに咲く。
「はじめまして、だよな。何か用?」
「悼んでいた、のか?」
「え?どこも痛くないけど」
「違う。そういう意味じゃない‥誰かの、死を」
「はは、そんな風に見えた?」
軽い声で受けられたせいで、自分の早とちりだったかとクラウドは口を噤む。
そんなクラウドの気持ちを知ってか知らずか、少年はやはり軽い‥ある意味では乾いたような‥口調であっさりと言うのだった。
「あってるよ」
「‥‥そうか。すまない、邪魔をした」
「いいよ。誰でもいいから傍にいて欲しい時ってあるだろ?オレ、今はそういう気分だからむしろ助かった」
近しい人間の死の記憶は、意識して毅然としていないとあっという間に涙腺を揺らしてしまうことをクラウドは知っている。彼の不自然な程の明るさは、きっと無理矢理作っているものだ。本当は、悲しいし、つらい。
喪失によって空いてしまった心は同じ様に埋まることは二度とない。それを分かち合いたいわけでもないのに、誰かと寄り添っていたいと思ってしまうその気持ちも理解出来る。
クラウドが少年の為に足を止めたのは、おそらく同情からだった。
風が吹いた。微笑んでいる口元が遊ばれた髪で隠される。
「変な話だけどさ、一人になりたくてここに来たのに、あんたがこうして話してくれると気が楽になった」
垂れ目がちな幼さの残る瞳が揺れ、誤魔化すように腕を組む。『誰か』さえ来なければ一人で流せた涙がそこで燻っているように見えて、胸が締め付けられた。
泣いたらいい、など、クラウドが軽々しく言うわけにはいかない。
「なあ、オレはヴァン。あんたは?」
「‥クラウドだ」
ヴァンと名乗った少年はクラウドの腕を取って、その場に座らせた。クラウドが驚いて瞬きをしている間に、彼も隣に胡坐をかく。
文句を言おうと口を開こうとしたところで、悪戯っぽく笑ったヴァンと目が合って言葉を飲み込んでしまう。ヴァンは、掴んでいた手を手首辺りまで下ろし、しかしそれを離すことはせずに遠くを見つめた。
波が寄せてくる音がする。
友人でもなければ家族でもない、はっきり言ってしまえば敵同士の自分達がこの優しい水音を聞いているのは、不似合いな気がしてならなかった。
クラウドが現れたことでヴァンの何が埋められたわけでもないだろう。誰でもいいから傍にいて欲しい欲を、本当に言葉通りそうしているだけに過ぎない。軽々しく涙を見せられない相手を隣に、ヴァンは一体どんな思いで、誰の死を胸に重く留めているというのか。
「クラウドは元いた世界の記憶って覚えてる?」
「ああ」
「オレはあんまり覚えてないんだ。けど、ふと思い出す時があったりしてさ、
大事なことだったりすると、何で忘れてたんだろって自分を責めたくなる」
「今みたいにか?」
クラウドを掴むヴァンの手の力が強くなった。
「うん、その通り」
先程のように明るくではなく、眉を下げて無理に笑う。まるで水面に小石を投じた時の震えのようだった。クラウドの何気ない一言で崩れてしまうくらい隣にいる彼はかなしいのだ。覚えていなかったことと、思い出してしまった事実が。
この世界ではじめからほとんどの記憶を持っていたクラウドにとってヴァンのようにふと思い出す経験は無いが、覚えているからといってそれが良いばかりではないのは身を以て実感している。糧に出来るかどうかは、その人次第だとしか言いようがない。
唇を一文字に結んで、ヴァンは一度視線を落とした。泣いてしまうのかと構えたけれど、顔を上げた頬に涙の跡はない。
クラウドの手の甲に伺うように重ねられたヴァンの指、そして掌は、驚くほど冷たかった。
「寂しいのを、あんたでどうにかしたいと思うのは、間違ってる?」
棺に花を手向けた後に残る理由ある喪失感が漠然とした不安と相まって、見据えるべき世界が真っ暗になってしまうあの感覚。
迷子になってしまったこころが温もりを求めて彷徨ってしまう怖さを、クラウドは、
(知ってる)
「間違っては、いない。だが、正しくもない。一時の不安を埋めるだけになるがそれでもいいのか」
悲しげに口の端を上げて、ヴァンは姿勢を崩して膝で立ってクラウドの前へ移動した。何もかも理解した表情でそっと顔を寄せて呟く。
それが、いいんだ。
掠れた声が耳に入ると同時に唇が重なった。
口付けを受けながら、この何にもならない関係を終えて別れた後で、ヴァンが然るべき所へ戻った時に自然に笑えるようになればいいと願って、クラウドはゆっくりと瞼を下ろした。
短い時間しか話していないけれど、ぎこちない笑顔は彼に似合わないと、そう、思ったから。
writer セザール