不意打ち
仲間、とは。
セシルはホームと呼んでいる森の深部、拠点としている開けた場所の下草の上に仰向けに寝そべって、空を眺めながらゆるゆると考えていた。
空は記憶にある故郷の空より少しだけ色が薄く。
視界の端には僅かな風を得て揺れる、生い茂った木々の葉が映っていた。
雲は無い。
木々の葉を透かして、下草に模様を描く太陽の光が時折目を射って、セシルは目を閉じた。
ざぁ…と。
風に揺れる木々の葉が耳に心地よく。
武装を解いた楽な装いの身体に、緩やかな風が当たるのが気分が良い。
仲間、とは…。
と、セシルは考える。
さて。仲間、とは、何か。
共に居る者か。
いや、1つところに居ないでも仲間は仲間。
では、志を同じくするものか。
いや、一概にそうとも言い切れない。
逆に、志を同じくするからこそ、敵に回る可能性もある。
では、仲間、とは、何なのか。
…結局のところ、相手を仲間と認めるかどうかという、個人の感情がものを言うのではないか。
セシルはそう考えている。
自慢ではないが、自分は難しいことは良く解らない。
頭の良さとは、勉学如何では測れないのだ。
自分は頭の良い方ではない。
仲間とは、などという抽象的な問題等、結局自分には感情論で解を導くのが精々。
…と…。
取り留め無く考えていたセシルは、ふいに他人から自分に向けられている視線を感じて…。
ふ…と。
考えることを止めた。
ゆっくりと、目を開く。
相変わらずの、色の薄い空と、生い茂り、揺れる木々の葉。
時折目を射る、眩しい木漏れ日。
セシルは目を開けた後、暫く視界に映るそれらを眺めていた。
が、ややあって。
自分の右手側に、すい…と、視線を向けた。
「ちょっと…いいかな?」
「…オニオン?」
同じ木漏れ日の下。
視線の先に、木々の葉と日の光が作る木漏れ日の模様を全身に纏わせたオニオンが、何やら思い詰めた様子で佇んでいた。
セシルと同じく、武装は解いた装いで。
だが抜き身の剣を提げていた。
それでもセシルがオニオンに警戒をしなかったのは、仲間である所以だ。
その切っ先が、不意打ちで気を抜いた今の自分に向けられることは無い。と。
つまりは信用しているからだ。
その信用はセシルだけが例外ではない。
証拠に、ホームの中で散々としている仲間達も、抜き身の剣を提げセシルに近付くオニオンに、何ら警戒を示してはいなかった。
仲間、とは。
絶対の信頼を寄せる相手でもある、と。
セシルはつと、頭の隅で考えた。
「あの…さ」
「ん?」
オニオンが困ったように話し掛けてくるのを、セシルは気を抜いた様子で応じる。
「あーっと…、あのね」
「…」
引き続き、何やら言いづらそうに首を傾けるオニオンに。
セシルは今度は、黙って起き上がった。
背中に付いた何枚かの下草の葉が、セシルが完全に上体を起こした後、一瞬おいて剥がれ、ひらひらと地面に戻っていった。
オニオンは、やはり言い辛そうに呟いてくる。
「ちょっと…思い付いたんだけど…」
何を、とは、訊かなかった。
オニオンは剣を提げて来た。
答えはそれで充分だった。
セシルは。
騎士であるこの少年に、手加減でもって自分への攻撃を当てることを、唯の1度も許したことはない。
同じ騎士であるが故、本来自分には届かない攻撃に、手加減、等という行為で言い訳の装飾を付け、当てられることは非礼、と捉えている。
オニオンもそれを解っている。
解っていて、セシルに攻撃が届く方法を、日々模索している。
ということをセシルは知っている。
…今回。
模索していたその過程で、何か思い付いたのだろう。
恐らく、そういうことなのだろう。
セシルは立ち上がった。
利手に白と青の戟を呼び、切っ先で地をなぞるように軽く振る。
ここまで来て。
初めて、ホームに散る仲間達が2人に注意を向けた。
…2人とも武装は解いている。
にも拘らず、得物は通常の戦闘で扱うものと同じ。
一撃でも当たればただでは済まない。
だからこその注意。
仲間2人に何があっても、直ぐに側へ駆け寄れるように。
仲間、とは。
無意識に自分が気遣うことのできる相手でもある。と。
セシルは再び。そう、考えた。
「えぇっと…!」
皆に注意を向けられたことが解ったのだろう。
オニオンがあからさまに慌てた調子で視線を彷徨わせるのを、セシルは落ち着いた気持ちで見ていた。
慌てる、ということは。
要するに、見られたくない、ということだ。
とどのつまりは…自信が無い。
だから第三者に注意を向けられたくない。
ならば…。と。
セシルは僅かに首を傾けた。
…今回のこれは、付け焼き刃。
けれど、技を練る価値があるかどうかだけは試してみたい。
と、いうことではないだろうか。
…悪い気はしない。
首を戻し、僅か。
微笑んで、セシルは思った。
自分との手合わせを糧に、精進して貰えるなら、悪くない。
ややあって、焦るオニオンにセシルは静かに告げる。
「周りは気にしない」
「…え」
焦り、視線を彷徨わせていたオニオンが、きょと…と。
セシルの声に顔を上げた。
「さ、…おいで」
「…。はい」
セシルの言葉に。
オニオンが何を考えたのかは、解らない。
が、応えた瞬間。
オニオンは剣を利手で中段に構え、セシルへと跳んでいた。
速攻。先手。
攻撃の基礎だ。
…オニオンの、最も慣れた攻撃方法でもある。
セシルはオニオンの進撃に、慣れた様子で…反射とも言うべき反応の速さで軽く後ろへ跳んだ。
…彼とは何度も手合わせをしてきた。
彼の攻撃手段は…もしかするとそれ以外さえ…もう熟知している。
セシルは、オニオンが更に踏み込み追撃を掛けて来るのを、僅かに左へ身体をさばき、右へやり過ごしてオニオンの背後に廻ろうとした。
…と。
そのまま通常どおり、前方に行くかと思っていたオニオンがその場で急停止した。
そのまま身体を左へ回転させ、セシルの進行方向へ…自分の背後へ回ることを…妨害する形で剣を水平に凪いでくる。
…成程。
と、セシルは思った。
相手の攻撃・戦闘手段を熟知しているのは、どうやら自分だけではなかった様だ。
確かに自分には、通常、攻撃を左に避けるきらいがある。
…しかし。
セシルは自分に向かって水平に向かってくるオニオンの剣を視界の端に捉えつつ、丁度、回転によって、先程の進行方向から完全に後ろを向く形になったオニオンの左肩を軽く突いた。
…どたっ。
何とも情けない音を立てて、オニオンが地面に倒れる。
「…」
「…」
…沈黙。
「えーっと…」
後、倒れた体制のままでオニオンが呟いてくる。
セシルは僅かに苦笑して言った。
「…急停止は、軸足に非常に負担が掛かる。加えて、速度を完全に殺した後でないと、身体の均衡を保って次の行動に出るのは難しい。現状、僕らの中でこれができるのは肉体改造されているクラウドだけだ」
身体の均衡が取れていないから、押されるだけで倒れてしまうんだよ。と。
「え、でも」
オニオンは勢いよく起き上がって見上げて来た。
「ウォーリアとか、バッツとか、セシルもさ、普通に急停止後に動いてるよね?」
「うん」
セシルは頷いた。
そして、けれど…、と、話を続ける。
「あれは速度を完全に殺しているんじゃなくて、殺し切れなかった分を重心移動で流しているだけなんだよ」
「重心移動で?」
「そう。だから、それまでの慣性方向と速度から逸脱した動作は出来ない」
そうして、セシルは笑った。
「だから、発想までは正解」
「くっそ!」
オニオンは悔しげに吐き捨てて立ち上がった。
「もう1本!」
「どうぞ」
セシルが応えた瞬間。
至近距離に居たオニオンがいきなり向かってきた。
…。
セシルはするりと右に身体をずらした。
セシルが左へ避けるものと思っていたらしいオニオンに動揺が生じる。
そんなオニオンに、セシルはおもむろに軽く左腕の肘を曲げ、左手を上げた。
そうして、オニオンの進行線上、丁度首に当たる部分で…。
…ただ手を広げておいた。
「ぐぇっ!!」
そのまま突っ込んで来たオニオンが、首をセシルの構えた手に引っ掻けて、その場で崩れる。
蹲り、涙を溢しながら盛大に噎せるオニオンの側にセシルは片膝をついた。
そうして、オニオンの背中を叩いてやりながら告げた。
「奇襲は、相手が気を抜いている時でないと、必ず失敗する」
「気…、抜いてっ…なかった、のっ…?」
「抜いているように見えた?」
終わりを宣言していないのだから、抜く訳がない。と。
言えばオニオンは悔しそうに歯噛みをする。
「でも、気を抜いているように見えたのなら」
ややあって、咳が治まったらしいオニオンの側から立ち上がりながら、セシルは言った。
「これも発想までは正解」
「ああもうっ! 最後1本!」
相当悔しいのだろう。
立ち上がったオニオンは地団駄を踏む勢いで言った。
仲間達は、2人のやりとりが、例え真剣を使っているものだとしても、実害を伴わない稽古だということが見て取れたのだろう。
早々に、2人から注意を外していた。
…だからだろうか。
「ふふ、どうぞ」
と…。
セシルが言った瞬間。
オニオンは、今までの表情とは違う、何とも言えない、困ったような、泣きそうな表情を見せた。
「…オニオン?」
「…あのさ」
セシルが呼び掛けると、項垂れてしまう。
「僕はさ」
多分、君に勝てることはないだろうから、と。
オニオンは言った。
そうして、得物である黄と青の剣を、地面に突き刺して手を放した。
剣は木漏れ日の中、時折、木々の葉で薄められていない日の光を受けて、眩しい程に光った。
「ちょっと…内緒話なんだけど…」
「…? 何だい?」
オニオンが剣から手を放したことと、完全に戦意が抜けていることから、セシルはオニオンの接近を許した。
屈んで片側の髪を耳に掛け、若干曲げた片膝に戟を持った手をつき。
内緒話、というオニオンの言葉に耳を澄まして…。
「セシル」
先ず、己が名前を呼ばれた。
そして。
「…好きだよ」
…。
言葉の意味を。
セシルが理解するまで、暫く掛かった。
緩やかな風が、2人の髪を揺らして通り過ぎて行った。
耳に掛けていた髪を押さえる手が外れ、屈んでいた体勢から、若干背筋が戻る。
此方を見上げているオニオンの真剣な眼差しと、目が…合った。
未だ言葉の意味を理解出来ていないセシルはしかし、無意識にオニオンの緑の虹彩の中に、悪戯や悪意を探して…。
…全く。
見当たらなかった。
セシルは短く、らしくない悲鳴を上げて飛び退いた。
完全に戦意が抜けてしまったセシルの手の内で、戟が空気に溶け、消える。
呼び戻そうと思っても、酷く動揺した現状では、戟は全く応えなかった。
大して動いた訳でもないのに、派手に呼吸が上がり、頬に朱が昇る。
「…あれ?」
オニオンが困ったように苦笑した。
「君ってそんなに純情だったっけ?」
「な、なんっ…、ちょ…、…はぁ!?」
「まぁいいや」
オニオンは踵を返し、地面に突き立てた剣まで戻り、引き抜いた。
…そして再び踵を返すや否や、切っ先をセシルへ向けて突っ込んできた。
…セシルは。
全く。反応、出来なかった…。
オニオンの剣の切っ先は。
セシルの胸の直前で止まっていた。
全く動けなかったセシルを、オニオンは見上げてくる。
「言っとくけど」
セシルの悲鳴が呼んだか。
異常を察して集まってくる仲間達に聞こえないよう、小声で、しかし真剣な眼差しでオニオンは言った。
「1本取りたいからって、動揺させたい為だけに告白したとか、そんなこと思わないでよね」
そんなことの為に告白したんじゃない。と。
射るような目で言われて。
改めて、先ほどの言葉が単なる仲間内の好意という意味合いではないことを思い知らされる。
…膝から力が抜ける。
予測ができない。対処ができない。
大きく。よろめいて。
「ちょっ…と、待ってくれ」
「嫌だ」
即答されて、二の句が継げない。
「だってセシル、待つと逃げるんだもの」
それとも、もっと逃げ場を無くした方がいい?
と、剣を引き首を傾げて言った後、叫ぼうとしてか、大きく息を吸うオニオンの口を、セシルは慌てて利手で塞いだ。
オニオンは目で笑って、叫ぶために吸った息を吐き出す。
セシルはそっと…手を放した。
「そんなに慌てなくてもさ。叫んじゃえば僕にも逃げ場がなくなるんだから、少し安心すればいいのに」
「…な、にを、どう安心しろって言うんだい…。それに、それは僕に対して君自身を人質にとる行為だよ…?」
「勿論。それも狙いだからね」
きっぱりと告げられて、またしても言葉に詰まる。
…否。
詰まったのは言葉か。
呼吸が…胸が詰まったのではないのか。
そこまで…そこまでして、自分から答えを得たいのか。
その関係を、何と呼ぶ?
「…逃げ場くらい、くれないか…」
大体、僕ら同性だろう。と。
弱弱しく、呟いたセシルに、オニオンは少々眉根を下げた。
「…それって僕、断られてる?」
「っ! …そうじゃ…なくて…」
「じゃあ…」
と、オニオンは今度は笑って言った。
大声で叫んで逃場無くしてもいいのに、しないであげてるんだから、逃げないでよね。今日の夜くらいには返事宜しく。と。
一方的に告げて踵を返し、立ち去るオニオンの背を力なく見送って…。
セシルは瞬間、顔を伏せ利手と反対の手で口を抑えた。
利手で身体を抱える。
…あれ?
と、思う。
何故動揺する?
何故、赤くなる?
何だいこれは?
彼はただ仲間というだけで…。
あれ…そもそも仲間って何…?
仲間と認めて信頼する人?
では、仲間と認めて信頼していて、更に――。
…。
もしや…これは…。
セシルは口を抑えていた手を外して額に当てた。
頭にまで朱が昇る。…くらくらする。
酷い動悸に、セシルは息を吐いた。
始め、皆に注意を向けられてオニオンが焦ったのは、まさかこの為か。
皆に聞かれたら、まずいことだったからか。
だったら何故、皆の居るところで決行したのか。
手合わせに離れた場所へ誘うことだってできたのではないのか。
もしや、「大声で叫んで逃場を無くす」のは、半ば本気だったのでは…?
…解らない。
もう彼がわからない。
セシルはもう1度、落ち着こうとして息を吐いた。
…駄目だ。落ち着けない。
何故か自分は、先の様な直情的な物言いに酷く弱い。
…本当にそれだけか?
物言いだけで、普通、こうも動揺するか?
「…セシル? 具合、悪いのか?」
不意に。
近付いてきた仲間の1人に、そう、声を掛けられた。
動揺が過ぎるらしく、それが誰なのかさえ判別が付かない。
ただ…。
セシルは誤魔化す為の言葉を口にしようとした自分に気付いて首を振った。
「セシル?」
内心で苦笑する。
…確かに、隙あらば逃げようとするな、僕は…。
大きく…息を吸う。
「平気。ただちょっと…」
「ん?」
「…。……。…何…だろう…。嬉しかった…んだと、思う」
「…?」
完全に顔を伏せ、髪が垂れた状態では、セシルの顔色が解らなかったのだろう。
仲間が首を傾げた気配がした。
セシルは今度は、表情に出して苦笑する。
…逃げないでよね、か。
セシルは顔を伏せたまま、利手にもう1度、戟を呼んだ。
清々しい程全く呼び出せなかった。
これは…あれだ。
そう。
もう駄目だ。
解ったよ逃げないよ。
セシルは吹っ切れたように、半ば自棄で朱の昇った顔を上げた。
writer るて
…………………………
今回初心にかえって馴れ初めを書いてみようと思ったのですが、
オニオンが想像以上のじゃじゃ馬で、プロットが「起承転結」の「起」以外逸脱しまくりました…。