暗闇の雲×フリオニール
2012/11/11 13:48


話しかけてくるわけではない。宙を漂っているために足音もない。彼女はまるで空気に溶け込むようなさり気なさで、ただただ俺の後をついてくる。が、その静寂こそが何よりも騒々しいと、酷く落ち着かないと思うのは俺の精神が未熟だからなのだろうか。
――いいや、あんなに只ならない雰囲気を纏った人(……なのか?)にぴたりと影のように寄り添われ、平常心を保てる人間などこの世にどれだけいるというのだろう。少なくとも俺は、少数派である特例ではないようだ。
「……どこまでついてくるつもりなんだ?」
足を止めずに問いかける。緊張で喉が詰まってしまいそうだった。やっとのことで吐き出した声は妙にか細く、上擦っている。そんな情けなさを笑うように、背後で空気が揺れる気配がした。
「お前がどこを目指しているのか分からない。なのでどこまで、とは言えん」
「はあ!?ちょっ、本当にどこまでついてくるつもりなんだ!?」
「どこまででも。「世界の果て」なるものがあるのなら、そこまで付き合うのも悪くはない」
「いや俺そんなところまで行かないぞ!ていうか、ほんと、なんで俺に!」
「冗談だ」
「……は?」
「冗談、とはこういうことを言うのだろう?ふふ。飽きれば去る。お前はただ歩いているだけでよい」
いつの間にか、足が止まってしまっていた。躊躇いながらも振り返ってみると、相変わらず微笑、のようなものを浮かべた彼女がせっつくような目で俺を見ている。早く行け、と言うのだろうか。大人しく従うのは癪だったが――というよりも彼女の意図が分からなすぎて薄ら寒い心地になっているのだが、実際こんな何もない場所で足を止めているのも時間の無駄になるだけだ。
前を向く。努めて平静、を装ってなんてことない歩行を再開させる。やはり彼女は黙って俺に追従する。空気に紛れながら、ひたすら静かに。
「――俺に目的地はないよ」
沈黙が耐え切れなくて、思わず彼女に話しかけた。今度は足を止めないように、と妙な義務感に駆られながら。
「この辺りの地形がどうなっているのか見回っているだけで、どこへ向かってるってわけじゃない」
「なにが言いたい?」
「ええと、だから――」
あなたは退屈することになると思う――同じ場所をぐるぐると回っているだけだから。
そんな言葉が出かかって、慌てて喉の奥へ飲み込んだ。どこからか現れたこの人は「敵意はない」という言葉を最後に、黙って勝手について回っているだけなのだ。どうして俺が、退屈させることに罪悪感を覚える必要があるんだろう。
「わしは退屈していない」
「へ」
まるで俺の心の中をそっくりそのまま覗いてきたかのようなセリフを吐くものだから、思わず足を止めて振り返る。すると間髪入れずにふよふよと漂う触手が伸びてきて、先端に膝の裏を小突かれた。慌てて、前を向く。歩き出す。背後からくすくすと、如何にも愉快だと言わんばかりの忍び笑いが聞こえてくる。
「お前が見ず知らずの地で右往左往する様は中々に愉快で、中々に飽きが来ぬものだから、わし自身困惑しているところだ」
「……なんだそれ、全く分からないぞ」
「さあ、わしにも分からん。だからこそ、愉快だというのだ」
愉快、愉快と繰り返すものの、容貌からして人間離れしている彼女に果たしてそうした感情があるものなのか、と内心首を傾げる。疑っている、というよりは違和感だ。ただ武器をたくさん扱えるだけの人間である俺と、おそらくは超常的な存在である背後の彼女。何一つ共通項は見つからないし、気の合う間柄になれるとも思えない。――だからこそ彼女は、俺に付きまとうなんてことをしているのだろうか。全く己とは交わらない相手だからこそ、興味を引かれて――丁度、俺にもそういう気持ちがあるように。
「この先、酷い段差になってるな。なあ、足元には気を付けて――って、ああ……あなた、浮いてるんだったな」
「ふふ。放っておけばよいものを、お前は逐一話しかけてくるのだな」
「……一緒にいるのにお互い黙っているのも気まずいじゃないか」
「ふむ、そういうものなのか」
目線だけで背後を伺うと、彼女はなんだか嬉しそうに目を細めている。その理由は分からないが、なんとなくああ、綺麗だな、と思った。彼女はきっと、そんな形容をしてはいけないような、恐ろしい存在であるはずなのに。




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