WOL×アルティミシア
2012/10/24 22:01


まるで白鳥。もしくはギリシャ彫刻。
ぼんやりと発光するかのような、微細なうぶ毛の生えた白い肌の上には、くっきりと筋肉の線が浮き出している。
長身の彼にとっても水が腰の辺りまであったのがせめてもの救いというか、いや、暗くてこちらからもよくは見えないのだが。

正直な話、これだけの偶然もまた珍しい。
さっさと時でもなんでも止めてしまえばいいものを、動転した気が邪魔をして、ただ岩陰に隠れるしかないアルティミシアの口からは舌打ちが一つ漏れる。
単刀直入にいうと、敵で、しかも異性と水浴び場が被ってしまった。デフォルトで現在真夜中、互いに全裸。

しかもそれだけでなく、被った者というのが相手にするのが困難な、秩序きっての話を聞かぬ、そのくせ行動は冷徹そのもの、鬼を具現化したような男。
仮に見つかれば何のためらいもなく斬りかかってくる上、以前戦った時に至っては足で全体重を載せて翼を踏みつけてきた。
骨が折れる鈍い音が根本である肩甲骨の辺りまで響いたのも、治るとはいえ流石にこたえたものだ。
目深に被った兜の奥で氷点下に凍てつくあの眼差し、思い出すだに背筋に冷たいものが走る。

見つかりたくない。というかそもそも気づかれたくもない。
もし翼で飛び立とうものならすぐにやって来て引きずり下ろすくらいの気概は持ってそうであるが、しかし残念なことに、彼が絶賛遊泳中のその先に、利用してきたデジョントラップがある。
ぶくぶく泡を吐きながら頭まで沈めたりしつつどうにかバレないよう帰れぬものか悩む彼女を余所に、悠々と泳いでいた彼も深く潜っていく。

「なんであんなのがいるのよ」
「何がだ」

あてもなく呟いた瞬間のことだった。
心臓がぎゅっと縮んだか、目を剥いたのが先かわからないが、いつの間にか泳いできたらしい、横に立っていた彼からとりあえず五メートルほどは引いた。

気配を殺して近づいてくるのだけは反則だろうアサシンか何かかお前は。
咄嗟の機転で刺青を隠した彼女を、訝しげに睨む彼は、次に目がいった下方でたじろぐ。

「……失礼」

引き締めた唇のために削げたように影ができ、くっきりとした二重瞼の下で淡い紫色の瞳も所在なげに忙しなく揺れ、彼はくるりと向こうを向いた。

まだ狂ったように打っている心臓のあたりを両手で押さえていたアルティミシアは月光を浴びて水面に映る自分を恐る恐る覗き、ほっとしてそこに触れた。
広がる波紋が不安と魔女を打ち消す。
きっと、誰だかわかっていないのだ。
素顔など晒したくなかったが、背に腹は変えられぬ。
アルティミシアは警戒を解かずにちらと彼を見る。

たくましい肩としなやかな筋肉のついた手足、安らかに上下する程好いの厚さの胸と、引き締まった腹部。
それでもどことなく笑いを誘う健康的なナルシズムは見えない。
破滅的で、どこか悲壮で……痛ましい雰囲気を漂わせた体。
見事に鍛え上げられているというのに、暗い叙情をたたえ、ひどく不健全な気配をまとわりつけたその体に感じた抵抗感が薄れることもない。

理性的で、人間離れした自制心と、呆れるほど高潔で高邁な思想を持つ、光源に最も近い人。
光源がある内は、風からも、冷気、熱気からも、過ぎゆく人々の闘魂からも、影が消えることはない。
対象が揺れなければ、影は微動だにしない。当たり前の物理法則だ。
光が強い分この者は影も濃く、まっすぐ一直線の長い闇で足元をひたしている、筈だった。
違うのだ。
無慈悲なまでに激烈な明かりの元では、たった一点の影すらも見出だせぬ。近いのではない、そのもの。

気味悪さに目を背ける彼女が背中合わせになった時、

「……私はどうすればいいだろう」

質問口調の低い声に、肌がふつふつ粟立つ。

「もう行きますから……どうかそのままにして」

粟立つ肩甲骨から翼が生える。
重く羽ばたく音と共に、彼女の体は浮き、俯いたままの彼を横切った。
急いで服を取り、肩に羽織りながらワープする。

「……どうすればよかっただろう」

再び呟く彼は、あれが魔女だとは気づいていた。
高慢で近づきがたく、軽蔑と敵意に満ちた眼差しであたりを睥睨しているかと思えば、相手に勝ちを譲ってとぼけてみせる、高度に社交的な笑みを持つ女など、見た目を変えようが、身に纏う空気でわかる。
誘惑でもしようものなら、迷わず戦う気でいたのに、しかし初対面の男女を思わせる緊張感をもたらしていた会話が、彼を留めた。

一人残されたウォーリアは、水面に映る怜悧に切れ上がった瞳に向かって、ぽそり。

「私は間違ったことをしたかな」

月虹に照らされたまま、光源は僅かに揺らいだ。




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