生まれ育ったエリアの、美しく豊かな花畑を守りたかった、最初はただそれだけだった。
 生きる為に戦い、襲い掛かる敵はこの手で倒した。気付けば究極体となり、騎士の王と呼ばれ、世界を守護する者としてこの地に君臨していた。今の自分には、ロイヤルナイツとしての責務と誇りがあった。
 そうして過ごすうちに、気高い貴方にはこの花がお似合いです、と真紅のバラを差し出された。色とりどりの花が咲いていたこの地は、今ではそのバラが咲きこぼれるローズガーデンになり、それがこの城を守る垣根となっていた。


「ああ、ロードナイトモン様だ!」
「本当だ、この街を助けてくれたロードナイトモン様だ!」
「今日も凛々しいお姿だ!」
「どうしましょう。アタシ、今あの方と目が合ったかもしれない!」
「馬鹿、あのお方は皆にお優しいのだぞ!」

 管轄エリアの街を、ひとたび歩けば一般デジモンからの歓声が沸き起こり、背後を控えるナイトモンたちが揚々として花を撒いていく。敬慕の念を持ってみられるデジモン、ロードナイトモン。それが今の私だった。
 望んでこうなった、というよりも気付けば祭り上げられるようになっていた。尊敬の眼差しで見られるのは悪い気はしないが、かえって私は彼らの期待に応えるべく振る舞いを正すようになった。
 そのお陰か、城には捧げものを持って訪れる者が多くなった。この人間も、その一人だった。

「あなたにぴったりだと思って、データを再現して持ってきたんです」

 両手いっぱいに花を抱えて、は私の城へ現れた。手に持っているそれは春から初夏にかけてリアルワールドに咲き乱れる花で、白色、濃度の異なるピンク色があるそうだった。が持ってきたのはいちばん濃い色の、鮮やかなピンクだった。
 自らをハッカーと称しデジタルワールドを巡ると、そのパートナーを助けてからというものの、はこうして定期的に私の元を訪れるようになった。
 のハッカースキルは中々のものではあるが、パートナーはまだ成長期で、この世界を渡り歩けるほど強くはない。しかしこの者は恐れることもなく、今日も私に近づいてくる。

「ツツジの花です。この濃いのは日本語でツツジ色、と言うんです。ほら、あなたと同じ色です」

 遥か頭上の私を見上げ、どうぞと花を差し出した。見たことはなかったが、どこにでもあるような、ありふれた花だと思った。同じではないが、確かにそれは私の身を覆う鎧と似た色をしている。

「そうか。私に似合うのはバラだと、知ってのことか?」

 私の背後にあるガラスを隔てた向こう側には、一面のバラが広がっている。この城を取り囲むようにして、ローズガーデンが広がっている。デジタルワールド西方にあるロゼモンの宮殿と、この城はバラの名所として対をなす存在であった。

「あなたに最も似合うのはバラですが、私はこの花もあなたに映えると思うんです」
「……どこにでもあるこの花が、か」
「ええ。どこにでもあるけれど、私はこれを見るたびにあなたを思い出すので! きっとあなたにこの花を捧げた今日を忘れませんよ」

 あまりにきらきらと目を輝かせながら言うので、私としたことが呆気に取られてしまった。堂々とこの城に乗り込んでくるだけあって、という人間は他の者とは違う考えをしているようだった。
 現に、こちらが受け取ろうとはしていないのに、いつの間にやらスマートフォン型のデジヴァイスを取り出し、自身が片手に持っているツツジが一緒に映るようにして、私を撮影し始めた。それまでは脇に控え、ずっと黙っていたナイトモンが「か、勝手に撮るな!」と騒ぎ出した。
 しかしながらカメラを向けられるとポーズを付けてしまうのが私の性分だった。人間に怒っていたナイトモンは私の様子を見て言葉を失い、肩を落とす。
 自分を慕う者に対しては歓迎する。それが私がロードナイトモンたる所以でもある。

「屈んでもらってもいいですか!」
「その位置からだと逆光になるだろう。この位置が良い」
「なるほど!」
「ロ、ロードナイトモン様。そろそろよろしいのでは……」
「そうですか? じゃあ、そういうワケでこれ!」

 ひくひくと引きつっていたナイトモンの声を受け、私が返事をするよりも先に、は私の身体に花をぎゅうぎゅうと押し付けてきた。
 何がそういうワケでだ、と思ったが邪気のない瞳で見られては私も返す言葉がなかった。

「ふ、ん。まあ、少しのあいだなら飾ってやろう」
「そうこなくっちゃ。さすがですロードナイトモン様」

 は手を打ち、嬉しそうに頬を緩ませた。
 やはり他の人間と比べるとこの者は少し変わっている。

「ロードナイトモン様は、お優しいです!」
「私を誰だと思っている、当たり前だろう」
「ふふ。……あなたはバラを見ているとき、とても優しい雰囲気になりますよね。マスクみたいなお顔をしていても、分かります。うちのおばあちゃんが言っていたんです、お花を大切にする人に、悪い人はいないって」

 外のバラの群れを眺めながら、は言った。私は「そうか」と呟き、同じ方を見ていた。不思議と悪い気は、しなかった。

*

 数日おきにがここに訪れるのが、当たり前になっていた。初めは警戒していたナイトモン軍団や他のデジモンたちでも、一部の者は彼女と打ち解け話すようになっていた。

「ロードナイトモン様。今日はさんと一緒に、バラと桃のコンフィチュールを作ったのですよ」
「ショートモンが焼いてくれたシフォンケーキがあるので、一緒にどうですか?」

 この城でスイーツ作りを担っているショートモンが、今にも歌い出しそうな勢いの明るい声色でそう話した。その横では、手伝っていないはずのケーキ作りも、自分の手柄のように誇らしく笑い、腰に手を当てた。ワンピースの裾が、揺らぐ。

「そうか、頂こう。ショートモンも日々腕を上げているな」
「ありがとうございます!」
「……思ったんですけど、ロードナイトモン様って口がないけど食べれるの不思議ですね!」
「ちょっとさん、言い方に気をつけて!」

 ショートモンがの口を抑えようと慌てふためいた。がいくら楚々とした美しいワンピースを着ていようが、中身は何の変わりもない。
 以前、ここに来るのならばそれ相応の格好をしろ、と私が指摘したことがあった。それからは化粧や服装を変え、より華やかな雰囲気に変わった。デジモンは進化を求めて生きるのが本質であるが、が努力をする姿はそれに近いものがある。

「……それで、最近は強いハッカーチームに取られて、仕事も減っちゃって。ヒマだからSNSにロードナイトモン様の、あのローズガーデンの写真をアップしたんですけど……」
「そうか。人間の言葉で言うと『バズった』というわけか? まあ当然だろうが……」
「いえ、違います! 匂わせですかやめてくださいって、ロイヤルナイツのファン的な人からのリプライが殺到して、炎上しました!」

 それから、ケーキと紅茶を味わいながら、一方的に喋るの話を聞いていた。
 はウケますよね、と軽薄に笑いながらは語っていた。いまいち笑いどころが分からないが、一人で楽しそうだった。
 それよりも引っかかったのは、仕事がない、という言葉だった。人間たちのあいだでは複数のハッカー組織があり、彼女は単独で行動するハッカーだった。強い、とは確かなハッカースキルを持っていて、かつパートナーのデジモンが強力なチームのことを言うのだろう。そのチームが直々に仕事を取らなければならないほど、双方の世界では問題が生じ、秩序が乱れつつある。この様子ではきっと、はその流れを理解していない。
 そう考えを巡らせていると、ドタドタと重みのある足音、話し声が聞こえてきた。

「か、勝手に入られると、私が叱られます……!」
「細かいことはいい! 俺とアイツの仲だ、構わんだろう!」
「……デュナスモン、貴様か」

 足音の正体は、ロイヤルナイツの同胞、デュナスモンだった。外見の通り粗野な振る舞いで、気はまるで合わないが、私とは古くからの腐れ縁のようなものだった。
 デュナスモンは私のいる広間に堂々と上がり込み、豪快に笑いながら話し掛ける。止めようと一緒に入ってきたナイトモンは申し訳なさそうに私を見て、落ち着きがない。

「ロードナイトモン! オメガモンからの依頼ついでに、寄らせてもらったぞ!」

 少しは落ち着きを持って話すことはできないのか。どうにもこの者は声が不必要に大きい。一声発言をするたびに地響きが起きそうだ。
 ふと近くにいたを見ると、懸命に両耳を抑えながらデュナスモンを見上げて硬直していた。身体の大きさから考えれば無理もないことだが、奴の声が相当に響いたらしい。
 の視線に気付いたデュナスモンは「珍しいな」と笑い、更に言葉を続けた。

「おいおい、ニンゲンのデータなんてロードしても旨くないだろう!」
「この者は違う。いいか、私は貴様のように見境なくロードしたりはしない、いい加減ロイヤルナイツとしての誇りと矜持を持て」
「がははっ。俺には強さこそが誇りだな!」

 そんな軽口を叩き合うのも馬鹿馬鹿しい。いい加減オメガモンの依頼とやらの話の筋を聞き出そうとした、その時だった。

「ちょ、ちょっと、待ってください……。ってことは、ロードされた人間もいるんですか……!? 怖すぎ!」

 腰を抜かし、その場に座り込みながらも、デュナスモンに問い掛ける。怯えている割には質問をする。行動と発言が伴っていないが、ある意味肝が据わっているな、と私は思った。
 デュナスモンはニヤリと笑い、と視線が合うようにしゃがむ。

「ああ、ニンゲンをこう……百人ほど集めて、デカい丼ぶりにぶち込んで、そのまま食べるんだ。噛むとプチプチしているぞ!」
「かっ、釜揚げしらす丼みたいな感じかな……怖!」
「適当な虚言を吐くなデュナスモン。真に受けるな
「う、嘘なの!?」
「はー、横槍を入れるなよユーモアのない奴め。つまらんなー」

 つまらないのは、お前のセンスだ。そう心の中で毒づいて、私はに向き直る。

。コレと話がある。今日はもう帰れ」
「コレ、はないだろう、コレはァ」

 デュナスモンが不満を漏らしたが、どうでもいい。ただ、にはこの話を、聞かせたくはなかった。

*

 デュナスモンが訪ねてから数日経った。は相変わらずの様子で、呼んでもいないのに今日もここへやって来た。

「ロードナイトモン様、パートナー探してたなら言ってくれたら良かったのに!」
「……はあ?」

 いつも少しおかしいではあるが、開口一番に言い放ったそれには、さすがの私も呆れ返ってしまった。誰が、いつ、パートナーを探していた、だと?

「これ、あなたですよね? ほら、今爆流行りしている、パートナーデジモンを探せるマッチングアプリ」
「な……な、何だそれは!」

 は自信満々に端末を掲げた。そこに写っていたのは紛れもなく私の姿だった。バラの画像とコラージュされ、白っぽくなるようフィルタ加工が施されている。そもそも、これはどう見ても盗撮だ。

「あの、ほら。ここに書いてありますよ。ロードナイトモン☆華の二十五歳、究極体。趣味はアフタヌーンティーって」
「低俗な……。ふざけるな」

 つい、の手から端末を取り上げる。
 デジヴァイスが人間の元へ現れ、デジモンと人間がパートナー関係を結ぶようになってから十数年経つ。しかし、中には自然発生ではなく恣意的にパートナーとなる者たちがいる、と聞いたことがある。恐らく、その者たちはこのアプリを利用しているのだろう。あまりにもナンセンスで、見ているだけで頭痛がしてくる。私が二十五歳なんて、どこから来た設定だ。人間ではないのだから私は自分の年齢なんて、考えたこともなかった。
 ロイヤルナイツたる私が頭を悩ませるようなことではないのだろうが、自分の画像が勝手に使われているといい気がしない。開発した人間も、利用する奴らもどうかしている。

「どう見ても荒らしの所業だろう、この私はロイヤルナイツだぞ、大体、この画像では写りが悪い!」
「ええ、いつもこんなものだと思いますけども……。運営のサクラなのかな、このロードナイトモン様。残念だなあ、サクラナイトモン様」

 そうぶつぶつ言いながら、は口を尖らせた。この、も何も目の前にいる私こそが本物だというのに何がサクラだ。サクラナイトモンだ。

「でも、私時々思うんですよ、あなたが究極体に進化する前に出逢いたかった、って。そしたら、もっとあなたと私は仲良くなれていたかもしれない」
「……ふん」

 またもやナイトモンが卒倒するような発言をし、はうっとりとして遠くを見ていた。つくづく、デュナスモンに対してはあれほど怯えていたのに、どうして私には自由奔放に振る舞えるのか、理解できなかった。

「……いいか、そんな馬鹿げたモノは見るな。……代わりに良いものを、見せてやろう」
「え……」

 それはほんの、気まぐれだった。
 私はを誘い、私は城の裏口を出た。
 そこにあるのはローズガーデンだが、表に広がっているものとは違い、限られた者にしか管理をさせていないし、誰もが立ち寄れる場所ではない。
 この地にある一面のバラの先には小さな池があり、そこは絶えず太陽や月の光を受け、きらきらと輝いている。一人で考え事をしたい時は、よくここにいる。
 人間の目線からでも池がよく見える辺りまで行き、芝生の上に腰を降ろすと、もそれに倣っておずおずとその場に座った。

「ここに人間を入れたのは、初めてだ」
「そ、それって私が特別な存在だからですか……?」
「自惚れるな。しかし、私を前にしてそれだけ自信過剰にいられるのは、くらいだろうな」

 ふっと笑うと、は目を輝かせた。「やっぱり、私って褒められてるんだ……」などと呟きながら、やけに浮かれた表情を見せる。私は反論する気にもなれず、何も言わなかった。
 風もない、静謐な時間が流れている。私は、ただ目の前の光る水面を、そこに映る月を眺めていた。
 どうしてただの人間であるを、ここに招いたのか。気まぐれ、ではあるが自分でもその気まぐれの理由が知りたいくらいだった。

「なんか……今日のロードナイトモン様、静かですね?」

 沈黙が気になったのか、不思議そうに小首を傾げては私を見上げた。
 は、何も知らない。ハッカーだと呼ぶにはあまりに非力で一般人に近いのだから、当然だ。だが、既に悠長なことを言っていられない事態が、今、まさに迫っていた。

「……リアルワールドへの侵攻が現実となれば貴様はどうする?」
「な、何ですか……、それ」

 二つの世界への往来が容易になってから十数年経ち、デジタルワールドは様変わりをしてしまった。人間の手のかかっていないエリアが徐々に少なくなり、反リアルワールドを唱えるデジモンも少なくはない。
 現在はイグドラシルによる判断を待っている、その最中であった。先日デュナスモンが話していたことも、それにまつわることであった。
 ハッカーの仕事が少ないと彼女が嘆いていたのも、その証左だ。デジモンによるリアルワールドへの攻撃は、密かに力を増している。
 は、固まって、考え込んでいる様子だった。人間だから当たり前なのだが、改めて、随分と小さいなと思う。

「そ、そうなったら……あの。私のパートナーになってくれませんか」

 両手を胸の前に合わせ、祈るように私を見る。先ほどのくだらないアプリの話とは違う、真剣な表情で私を見据えている。
 パートナーに、なる。ここにナイトモンたちがいれば、ロードナイトモン様に対してなんて不敬なことを、撤回しろ、なんてことを騒ぎ立てるのだろう。

「最初に助けてもらって。それから、ここに来るようになって……、こんなこと言うの、おかしいかもしれないんですけれど、私は、気付けばあなたを想い、慕っていました」

 は、そう言葉を続けた。その慕う気持ちがただの憧れだけではないのは、目を潤ませながら言うその姿が物語っている。
 確かに、人間ひとりに付き、パートナーが一体だけという決まりはない。しかし私は究極体、ましてやこの世界の守護を司るロイヤルナイツの一員だ。
 たかが人間ひとりだけに肩入れするわけにはいかなかった。かつて故郷を守りたい一心で戦っていた、あの頃の自分とは違う。もはや私は、ただの一介のデジモンではない。
 だから、答えは決まっていた。

「これを、受け取るといい」

 返事の代わりに取り出したものは、超進化プログラムだった。これをパートナーに使えば、成長期からでも究極体へ超進化できる。もし命が脅かされるような状況となっても、彼女ひとりの命くらい、護ることができるだろう。
 それが断りだと察したは、はっと息を呑み、すみません、と頭を下げる。

「……そう、ですよね。無理を言って、すみませんでした」
「いや。……それはいい。。無事を祈っている」

 は頷いて、私の手に浮かび上がっていたプログラムをデジヴァイスへ格納する。その瞬間、あるものが光を放ち、画面から現れことんと音を立てて、の膝上に転がり落ちる。

「こ、これは……」
「いつぞやのツツジのお礼、という訳だ」

 渡したのは、プログラムだけではない。落ちたそれはバラの紋様が描かれた、カメオ型のリップバームだった。蓋を開けると、彼女がいうところの、ツツジ色の紅が詰まっていた。
 人間の女は化粧を施し、自分を飾り立てる。だから、彼女にもそれがよく似合うと、思ったのだ。それは心から、の気持ちだった。

「……ありがとうございます。さようなら」

 は立ち上がり、駆け出していく。
 デジタルゲートを開いて、リアルワールドへ向かおうとする。走り去る際に彼女の瞳からは涙が溢れ、ふと私の膝に流れ落ちた。横顔でしか見ることはできなかったが、泣いていたというのに懸命に笑おうとしていた。
 だが、もう会うことはない。

*

 高層ビルの屋上から、街を見下ろしていた。
 周囲には同じような無機質な高層ビルの群れがある。それらが立ち並び電気が付いているせいで、上空の星の瞬きがほとんど見えず、空気も新鮮さがない。これが、の住んでいたリアルワールド。
 背後から近付く気配に気付き振り返ると、デュナスモンが腕を組んで私を見ていた。

「こんなもの、俺たちにとってはつまらん世界だろう」
「……ああ」

 最後にと話をしてから、約一年経った。
 イグドラシルの命が下り、ロイヤルナイツを始めとする一部の組織は遂にリアルワールドへの攻撃を開始した。
 多くのデジモンにとっては、戦いこそが生きる道のすべてなのだから、人間を屠ることに抵抗がないどころか、そこに喜びを見出す者が多い。こうして何気なく立っているデュナスモンも、そうだ。

「なんだ、シケた顔をしてるな。いや、顔というかマスクなのか? お前の場合」
「うるさい、考え事ぐらい静かにさせろ」

 何も笑えることなどないのに、デュナスモンは豪快に笑った。
 純粋なデジタルワールド出身のデジモンと、デジヴァイスを持ちパートナーの人間がいるデジモンとの戦いが、この地では行われている。
 我々デジモンに抵抗する人間たちは、自らをテイマーと称していた。その言葉そのものが人間優位だとして拒否反応を示すデジモンは多いようだった。
 地上に降り立つと、植え込みに花が咲いているのが目に映った。白から濃いピンクと、グラデーションになるようにそれらは咲いていた。あの鮮やかな色は、ツツジ色だ。
 風が吹いて、ツツジの花が揺れた。そのせいで、一輪のツツジが萼ごと地面へ溢れ落ちた。

「どこにでもあるけれど、私はこれを見るたびにあなたを思い出すので! きっとあなたにこの花を捧げた今日を忘れませんよ」

 ふと、の言葉が蘇る。思い出さずにはいられないなんて、私とて、同じだった。
 デュナスモンに何を見ているんだと声を掛けられ、私は奴に向き直る。

「まあ俺たちロイヤルナイツが来たのだから、ここももう終わりだな。主人には良い土産ができるだろうよ」
「ああ、そうだな」
「しっかしまあ、ここ数年平和ボケしてたからなぁ、久しぶりに思いっきり暴れられるな」
「その通りだ」
「……ロードナイトモン、まさかあのニンゲンのことを考えているのか?」

 言葉数が少ないのを、悟られた。違う、とすぐさま否定をすれば良かったのに、それが出てこなかった。
 デュナスモンは頭を掻き、大きくため息をついた。

「嘘だろ、おい。昔のお前はそうじゃなかった。俺たちは同じ期にロイヤルナイツとなった身じゃないか。二人でダークエリアに乗り込んだこともあっただろ、あの頃の威勢はどこにいったのだ」
「その話は、今は関係ないだろう。私だって、分かっている……」

 そう、昔とは違うなんてことは、自分が一番よく分かっている。
 生まれ育った花畑を荒らしにきたオーガモンを追い返すために、成熟期へ進化をした時。力の弱いデジモンに頼まれ、腕を振るった時。デュナスモンになる前の奴と共闘し、二人で究極体へと進化を遂げた時。そして、ロイヤルナイツとなった時。
 成長期の頃に抱えていた、故郷を守りたいという純粋な気持ちを、いつしか私は見失っていた。進化によってその度に姿を変え、種族としての役割・考えに応じて演技をし、ロードナイトモンとして祭り上げられるようになった。
 だから、私は呆れていながらも人間のことがいや、のことが羨ましかった。

「ニンゲン臭くなったな、お前も」

 自分が人間に惹かれていたことなぞ、認めたくはなかった。
 デュナスモンのそんな言葉を黙殺し、遠くを見ていると自動車が向かってくるのが見えた。深夜だというのに、台数が多い。
 私とデュナスモンは跳び、ビルの上からその様子を見下ろした。

「ほら、ロードナイトモン。よく分からないがニンゲン側からこっちに向かってきているじゃないか。話が早いぞ。お前の逡巡なんか、瑣末なことだ」
「いや、よく見ろ……。様子がおかしい」

 どの車両もスピードが出ていて、後続車も同じように、何かに追われるように走行している。
 先頭の車が激しい軌道を描いて方向転換し出した。その車は建物にぶつかりそうになり、再びよろめきながら走り去っていった。

「行くぞ、追え!」

 その時、声がした。交差点の角から、ナイトモンの群れが現れた。今日は私とデュナスモンだけで向かうから来なくてもよい、と指示をしていたのにも関わらず、奴らは数十体の群れをなして行進している。
 どういうことだ。指示を無視してまでリアライズしたナイトモンたちに、私は違和感を覚えた。
 それから、突如として爆発音が轟いた。それは弾丸だったようで、ナイトモンの数体がそれによって弾き飛ばされる。

「ここからは私たちが相手だよ!」

 、だった。突然の登場に目を疑ったが、間違いなくあれは本人だった。
 は毅然とナイトモンたちの前に立ちはだかっていた。その後ろには超進化プログラムを使ったのであろう、ライデンモンへと進化を遂げた彼女のパートナーの姿がある。

「ロードナイトモン様のとこにいたナイトモンでしょ!? どうして、こんなことになるの……」
「ふん、ロードナイトモン様はどういうわけかお前を認めていたが、オレはお前を憎んでいた。ただのニンゲンが、どうしてあの方に近づける?」
「あの方は面白くて誰にでも優しいよ!」

 デュナスモンが、横で「面白いのか、お前って」と囁いた。美しいだとか、強いだとか賞賛されることはあれど、 そのように言われたことなんてない。
 巨大戦車のようなマシーン型の究極体と、完全体だが数の多いナイトモン。四面楚歌に近い状況に、たちはあった。
 このままでは、彼女が、この街が危ない。しかし、自分は何のためにここに来たのだ。たった一人の人間を庇ったところで、この争いは続く。そうだ、何の解決にも至らないではないか。この場に立っているだけで、いやにうるさくデジコアの鼓動が聞こえているような気がする。
 は、恐れを見せずに毅然としてライデンモンに身を寄せ、語った。

「ライデンモン、お願い。……この街が壊れないように戦って!」

 は腹の底から強く叫ぶ。絶体絶命の状況に立たされていても、彼女は怯むことはなかった。
 その瞬間、一つのビジョンがよぎる。踏み荒らされた花畑。自分よりも遥かに大きな敵。ああ、あれはかつての私と同じだ。生きる為に、誇りを守る為に、大切な場所を汚されまいと戦っている。
 ああ、自分は何を迷っていたのだろうか。
 私は跳び、戦禍の中心へ向かおうとする。デュナスモンが制止する声が聞こえた。いや、もう構うものか。

「……ナイトモン数十体なんて、容易いものだろう、ライデンモン」
「ロ、ロードナイトモン様!? な、何で……」

 口を大きくあげて驚く。一方で加勢しにきてくれたのですね、とでも言わんばかりのナイトモンたちに向かい、私はバンカーを構えた。
 主人が人間側に付いた、そう悟った瞬間、ナイトモンは狼狽えた。何十体ものナイトモン達が、一斉に動揺する様は奇妙だった。

「ロードナイトモン様、何故ニンゲンを庇うのです!」
「お前たちこそ、何故命令に背いてここにいる」
「そ、それは……」

 口澱むナイトモンの声には耳を貸さず、私はに向き直る。

「も、もう……会えないと思っていました」
「私もそのつもりだった。リアルワールドを……支配しろと命ぜられた」

 今、この瞬間にも世界にはロードされている土地が、人間がいる。
 いつから戦っていたのだろうか、は煤だらけになっていた。私を見上げるその瞳が潤んだように見えたのは、気のせいではない。

「自分一人だけ逃げるわけにはいかない、から。だから、私は戦ってきました」
「ふっ、そうか……」

 は改めて誓いを立てるかのようにして、デジヴァイスをきつく握りしめた。その姿が、気高い。平和だったあの頃に突拍子のないことばかりを言っていた彼女とは違う、一人の戦士としての姿が、そこにあった。
 デジタルワールドを代表する組織に所属する者としての責務。究極体のデジモンと、ごく普通の人間。そのことばかりを気にして、遂には私は彼女を遠ざけていた。だが、今は違う。この世界が滅びて良いはずなど、ないのだから。

「聞け。ナイトモンたちよ。ロイヤルナイツである前に、私は……自分の意志で、進化を遂げた。今より私はロイヤルナイツのロードナイトモンではない。の、パートナーだ!」

 私がそう宣言をすると、しん、と周囲が静まり返る。はというと、驚く声を漏らすことすらできず、ただ沈黙していた。
 今まで歩んできた道から外れ、ただ一人の人間を選ぶ。重い選択ではあったが、そうしないとこの心のざわめきが、落ち着かなかった。
 風を羽搏く音がして、上空を仰ぐ。デュナスモンだった。それまではずっとビルの上にいたデュナスモンはふっと降り立ち、私の前に姿を現す。

「全く、くだらんニンゲン一人に感化されるとはな、ロードナイトモン」
「……何とでも言え」

 一番付き合いの長い相手だ、デュナスモンには何を言われても仕方のないことだと思った。
 しかし奴にドラゴンコライダーでも放たれたらこの地はたちまち廃墟と化す。そうなる前に懐に入り、アージェントフィアーを喰らわせるべきか。そう逡巡していると、デュナスモンは豪胆に笑い出した。

「とはいえ、俺はお前とは一度本気で戦ってみたかった! ちょうどいい機会だな」
「デュ、デュナスモン様。そんな悠長なことを仰らずに、ロードナイトモン様の目を覚まさせて下さい!」

 ナイトモンのうちの一体が、頭を下げて懇願する。
 デュナスモンは腕組みをし「そうだなあ」と考える素振りを見せる。私の背後ではライデンモンが発射の準備をして、かちかちと弾丸を装填させ、鳴らしていた。覚悟は固まっている、まるでそう言っているようだった。

「よし、ナイトモン! ロードナイトモンを反逆者として報告に行くぞ。今日のところは撤退だ!」
「えっ、ええ!? このまま、野放しにするんですか?」

 ところがデュナスモンの口から放たれたのは、思いもよらない言葉だった。

「考えてもみろ、このニンゲンはロードナイトモンと交流があった者だぞ。この流れこそが奴らの作戦だったに違いない」
「ま、まさか……」
「ああ、他にもニンゲンと協力しているデジモンが潜んでいるだろう。ともすると、それを見破ることができなかった俺にも責任がある! ここで無闇に戦ってお前らがロードされる事態になってはマズいからな」

 一連の語りに耳を疑い、私はデュナスモンを見た。デュナスモンは地響きが起こりそうなほどの声量で話をし、さもそれが真実であるかのように振る舞っている。奴が、私を庇ってくれている。
 元より主人に対して忠誠心が厚く、義理堅い奴にしてみれば、私の行動は無謀そのものだろう。しかし奴は旺盛にそれを語った。
 ナイトモンたちは何かを言いたい様子だったが、デュナスモンの朗々とした口振りに圧倒され、困惑の色を見せる。

「逃げる、と言うのか」
「ふん、俺たちにとってはこの世界なんぞ取るに足らないからな」

 咄嗟に私が発した言葉に、デュナスモンは続けて発言をし、そして「今じゃなくてもいいだろう」と私を睨み付ける。究極体といえど、その表情は獣そのものだった。
 デュナスモンは半ば強制的に天空に手を翳し、デジタルゲートを開いた。デュナスモンとナイトモンは天に昇り、ゲートを目指す。大人しく従う者、不服そうな様子の者、怒りの表情を浮かべる者。ああ、ナイトモンだけではなく、あの城には様々な者がいた。

「おい、ニンゲン! 次に会う時は……カマアゲシラスドンだ」
「は、はあ……」

 デュナスモンはに眼光を注ぎ、また最後に豪快に笑った。荒々しいデュナスモンにしては珍しく、いつかの会話を覚えていたようだった。
 そして遂にゲートが閉じるその瞬間、デュナスモンが私を見つめる。ほんの一瞬ではあったが、私にはそれが長い時のように、感じられた。

*

 デュナスモンたちが立ち去った後のリアルワールドで、私たちは立ち尽くしていた。

「ほ、本当に……これで良かったんですか」
「自分の命が救われたというのに、悪いはずがないだろう」
「ち、違います、ロードナイトモン様がです。パートナーって」
「私がパートナーだと、不満なのか」
「そ、そういうわけじゃないですって。ただ、信じられなくて」

 そう言って、今にも泣き出しそうなを見る。
 いくら進化をして強くなれども、この手には全てのものを掴めない。選択し、戦い、傷付けて今日までやって来た。
 を選び、ロイヤルナイツであることを放棄した私には、止むことなく反リアルワールドを掲げるデジモンが襲い掛かるだろう。


「は、はい、っ?」

 そっとの身体を抱き上げ、腕に乗せる。カタン、と音を立てて何かが落ちた。いつか彼女にあげた、リップバームだった。……これも、ずっとお守りのように持っていてくれたのだろうか。そっと拾い上げ、彼女に渡すと、顔を赤らめる。

「……今まで大変だったな、
「えっ。た、確かに……大変でしたけど」

 何を恥じらっているのか、は手で顔を覆った。
 あれから、彼女はどんな想いで戦ってきたのだろうか。
 私からしてみれば、あまりにも小さい彼女の手をそっと払い、手を握る。は驚いたが、やがて手を握り返した。こんなに近くで彼女の顔を見たような気がした。

「……ロードナイトモン様、ロイヤルナイツ、敵に回しちゃいましたね。これからどうするんですか」
「ふん。馬鹿げた例のアプリを開発した会社に乗り込む」
「……ええ、まさか壊すんですか、会社ごと」
「違う。テイマーとやらを呼び集め、協力してもらうのだ」

 あのアプリのことは低俗だと思っていたが、この状況下においては作為的にでもパートナー関係を結ぶことで救われるデジモン、人間が、確かに存在しているのだ。
 デジタルワールドが抱えている問題は多くある。それらを解決するためには、一方的に攻撃を仕掛けるのではなく、話し合うこと、環境を整えることが重要だ。だから、味方を集め、立ち向かうための土台を作り上げる。
 は目をぱちくりとさせて「理性的なんですね」と呟いた。

「てっきり怒ってるのかと思ってました。ほら、サクラナイトモン様とか、いたし」

 先ほどまで戦いの場にいたばかりだというのに、やはり彼女は能天気にもそんなことを思い出して言う。
 今となっては、それすらも可憐にさえ思える。

「いや、もういいんだ。私が、を守る。だから、安心するがいい」

 だから、私は素直に想いを伝えた。
 さすがのも、そう言った瞬間にピタリと固まった。一方で寡黙なライデンモンが、自分だって彼女を守るぞ、とアピールをするようにして動いた。

「ど、どうしてそんなかっこいいこと、言うんですか、ロードナイトモン様」
「私には本当に大切なものが、分かったからだ」
「そ、それって……」

 何かを言いかけたの唇を、そっと指で塞ぐ。偽りなどもう必要なかった。
 辺りを埋め尽くすほどのバラは、もういらない。あの地をありふれた花筵に還し、私はこれからの道を往くだろう。
 力を得ても、全てのものは掴めない。けれどこの手には、何よりもかけがえのない花がある。

220530
×
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