私と貴方はパートナー、ということになるのでしょうか。それにしてはあまりにもお互いが理解し合うに時間が掛かり過ぎたように思います。
 ある時、突如この世界に飛ばされて来た私は訳も分からずあちらこちらを彷徨い、まる一日泣いて過ごしました。気付けば見知らぬ地にいて、至る所に見たこともない生物が跋扈しているこの世界が、俄には信じられなかったのです。
 ――私は、この世界にやってきて、二日目の朝に貴方に出逢いました。

「何故、人間がここにいるんだ」

 私だって訳がわからないと言いたかった。どうしてこんな、化け物だらけの所に来なければならないのだろうと感じていました。「アスタモンさん、ソイツ、なんすか?」アスタモンと呼ばれた銀髪の後ろで、下劣なる声がします。見ると小さな悪魔のような化け物が、何匹もいました。
 私は殺されると直感的に思いました。悪魔どもは、皆悪意に満ちた眼をしています。
 恐怖に震えながら、私はこの中のリーダーであろうアスタモンと呼ばれたその人を見ました。しかし、“アスタモン”は私に危害を加えることもなく去っていきました。――完全に“アスタモン”の姿が見えなくなり安堵していると、私は何やら不思議な機械を手にしていることに気付きました。

 それから三日経ち、相も変わらず彷徨い続けていると、私は天使のようなヒトに保護されました。そこで私は初めてここがデジタルワールドという異世界で、人間や動物の代わりにデジモンという生命体がいるということを知りました。天使のような物は、見た目のとおりホーリーエンジェモンという名前。保護され、案内された先には似たような天使デジモンが多数生息しておりました。
 私がアスタモンとの遭遇後に得た謎の機械は、デジヴァイスというシロモノでした。なにやら、この機械を持っている人は皆、パートナーデジモンと共に支えあって生きていっているらしいのですが、私にはそのパートナーデジモン、とやらがどのデジモンなのか、皆目見当も付きませんでした。
 最初は私を保護してくれたホーリーエンジェモンがパートナーなのかと思ったのですが、どうやらそれは違うようでした。

「私、元の世界に帰りたいんです」

 ホーリーエンジェモンにそれを告げると、ホーリーエンジェモンは世界を渡り歩くと良い、と言いました。そうして、元の世界に帰るためのヒントと、パートナーデジモンを探し出せ、とのことでした。
 それから私は情報を得るために、天使デジモンたちのサンクチュアリを離れ、旅を始めたのでした。そして、不思議なことに、何かがある度に私は貴方と遭遇するのでした。

「あ、悪魔」
「お前どこにでもいるな」

 貴方と遭遇するときには、決まってデジヴァイスの画面には赤い光が点滅します。もしかして、この悪魔がパートナーなのか……と考えるとたちまち寒気がして、私は逃げ出してしまいました。とくべつ信仰を持たなかった私でしたが、悪魔は良くないモノ、ということが、私の価値観の一つとして成立していたのです。
 四回目に遭遇したときに「また会っちまったな」と貴方は言いました。貴方に出逢ったのは暗い夜の海。辺りには私と貴方以外の、何者も存在しません。

「私は帰りたいの、こんな世界もいや、貴方みたいな悪魔も怖い」

 月に照らされた水面を眺めながら、私は言いました。貴方は「悪かったな」とだけ言って、しばらく黙り込みました。沈黙が気まずくて、私がその場から逃げ出そうとすると、貴方はそれを制止します。

「また逃げんのかよ。……こう何度も何度も遇うとなると、俺とお前には何か不思議な因縁があるのかもしれないな」
「はあ」
「嫌そうな顔すんな」

 その瞬間、デジヴァイスが閃光し出しました。貴方も私も、何も言わずに黙ったままでした。ただ、寄せては返す波の音だけが、静かに空間に響き渡りました。

 それからというもの、私たちは共に海を眺めて一日を過ごしていました。私たちの間に会話は多くはありません。他のデジモンたちはダークエリアの貴公子、と呼ばれている貴方を恐れていたから、誰も近づかない。だけれど、私はそんな貴方の隣を、居心地良く感じました。
 ――そして、そのまま何年もの月日が流れ現在に至ります。毎日まいにち、アスタモンの傍にいるだけの日々。何一つ変化のない世界。

「もう、帰りたいとか、言わないんだな」
「ええ。……きっと、元の世界の人も私を死んだものとみてるよ」

 勿論帰りたくない訳ありません。元の世界の人が、今どうしているのか知りたい。けれど私は泣かなくなりました。
 ふと、私は浅瀬に立ちました。きっと、足の裏の砂が波に少しずつさらわれていくように、私の心も少しずつこの世界に馴染んでいってしまったのだ――と私は思いました。

「もし戻れるとしたら、どうする」
「……うーん。貴方にお手紙を書こうかな」
「手紙? 何だよそれ」
「えーっと、手紙っていうのは、紙に文章を書いて、想いや用事を伝えるものよ」
「そんなことは知っている! そういうことじゃなくて、」

 何故、お前は俺に手紙なんか書くんだ、と。
 私は貴方を見上げました。貴方の長い銀髪が、月の光に晒されて輝いていました。そして、その背中に生えた翼が、人間の私とは異なる異形の身を更に際立たせていました。私と、貴方とでは、住む世界が違う。

「きっとデジモンは人間よりも長寿でしょう。だから、手紙を沢山書いておけば一通くらいは、貴方がいつか読んでくれるでしょ」

 ふうん、と言ったあとに、貴方は少し考えていました。そして、少し先の空を見つめていました。

「ふん。じゃあ俺はお前がそんな手紙なんか書いちまう前に、リアルワールドへ行くかな」
「追い掛けてくれるってこと?」
「ふっ、さあな」

 貴方は私を引き寄せて、それから何も語りませんでした。私たちの視界の先では波がうねり、静かに砂を削り取っていきました。


*

 そして、事は急展開を迎えたのです。

「アスタモン。その人間を解放するのだ」

 日も暮れ始めた頃のことです。クラヴィスエンジェモン、という天使デジモンが、私たちの元を訪ねてきたのでした。
 クラヴィスエンジェモンは、リアルワールドへと通じるゲートが開いたと言います。自分がリアルワールドに帰還する為の道が分かったことに安堵していると、クラヴィスエンジェモンはまた語り始めました。

「私を覚えておいでですか。私は、あの時のホーリーエンジェモンです」
「……! その節は、どうもありがとうございます」

 彼はデジタルワールドを彷徨っていた私を救ってくれた、ホーリーエンジェモンでした。月日を経て、彼は究極体へと進化を遂げたようでした。

「しかし、パートナーデジモンを探すように申したが、よもや悪魔デジモンとは――」

 クラヴィスエンジェモンは、私の背後で気怠そうにしていたアスタモンを見やりました。その言い方が何故だか腑に落ちなくて、私は少しむっとしました。
 その様子に勘づいたのかは定かではありませんが、アスタモンは私の頭をぽんと撫でて言いました。

「ふん、良かったな。これでお前も帰れる」
「……でも」

 私の胸中にあったのは、躊躇いでした。リアルワールドでは既に死人として扱われているであろう私が、今更戻るというのか。帰るのなら、アスタモンと別れなくてはならないのか。貴方はいつも通りの淡々とした様子で言いました。貴方がどう思っているのか、そのマスクを付けた顔では読み取ることは出来ません。

「アスタモンと共に、リアルワールドに渡ってはいけませんか」

 何年も共にいた大切な貴方。いつしか、貴方は私の中で誰よりも近くに感じる存在となっていたのです。リアルワールドに戻っても、彼と一緒になら歩んでいける。
 しかし、クラヴィスエンジェモンはそれを嘲笑い棄てました。

「フッ、何を仰るかと思えば。アスタモンは恐ろしき悪魔です。きっと、奴はリアルワールドで人間に危害を及ぼすでしょう」

 間髪入れずにクラヴィスエンジェモンは語りました。どうしてそう決めつけてしまえるのだろう。確かに、アスタモンは過去に多くのデジモンを殺めてきたかもしれない。けれど、こうもきっぱりと言い切られると私も些か不信感がありました。

「そう、ゲートを破ろうとする悪魔は――この手で滅すのみ!」

 クラヴィスエンジェモンは、そう言うと剣を構え始めました。そして、その言葉を合図として何体もの天使デジモンが現れました。――全ては、悪魔を滅ぼそうとした天使の罠だったのです。
 天使と悪魔には、どうしても切っても切れぬ因縁があるというのは、当たり前たる摂理でした。私が不安気にアスタモンを見ていると、アスタモンは私に下がれといい、目の前のクラヴィスエンジェモンに立ち向かい、剣戟が始まりました。

「そ、そんな……。理不尽だよ! こんな、何体も相手がいるなんて!」
「安心しろ。俺様がこいつらを追い返してやる」
「戯けたことを!」

 アスタモンは究極体をも凌駕する力があるとはいえ、クラヴィスエンジェモンは光の天使であり究極体。相手が悪すぎたのです。

「光は、善。そして、光は進化そのもの。この世界が変わるには、悪は淘汰されなければならない」

 ――だから闇の悪魔の彼は死すべきなのだと。
 クラヴィスエンジェモンが連れてきた天使デジモンも、アスタモンに襲いかかって来ていました。アスタモンは攻撃を放ち、次々に消滅させていきますが数があまりにも多すぎます。
 目の前で繰り広げられる生命のやり取りを、私はどうすることも出来ず見ていました。デジヴァイスを握りしめていても、何も変わらない。私は、アスタモンに、何が出来るのだろうか。
 クラヴィスエンジェモンが、その鍵のような武器を振るうと、光が煌きました。それは、確かに善の光。すべての生命を浄化するような、輝かしい光。けれど、クラヴィスエンジェモンの言うところの悪であるアスタモンにはこの光は闇でしかなくて――

「ア、アスタモン!」
「馬鹿、何で来やがる!!」

 私は、光を遮るようにして、アスタモンに飛びつきました。ただの人間の女である私が、究極体のデジモンに叶うはずがない。それでも、私の足は止まりませんでした。
 アスタモンは、飛んできた私を包み、光から逃れようとしました。けれど、その光は着実に私たちの元に向かいーー、そして。

「……ぐ、っ」

 ーーそして、紫色の光がアスタモンの身体から放たれました。アスタモンの姿が、ノイズが掛かったように揺らめきます。
 おそらく、これは進化だ。今まで共に過ごしても、一度も起こり得なかった現象が、今まさに起ころうとしていました。

「アスタモンが進化――まさか、ベルフェモンか!?」
「ベ、ベルフェモン!?」
「ベルフェモンは……全てを灼き尽くす怒りの悪魔だ!」

 クラヴィスエンジェモンは舌打ちをしました。きっと、彼がベルフェモンになってしまえば、クラヴィスエンジェモンだけでなくこのエリアごと破壊し尽くされ、滅びてしまうだろう。そう考えると、私はなお一層彼を止めようと身体を動かしました。けれど、この身はどうしてか彼とは真逆の方へ引き寄せられていきます。見ると、クラヴィスエンジェモンがゲートを開いたようでした。

「さあ、このゲートへ!」
「待って、私は進化を止めなきゃ……! 彼の、パートナーだもの!」
「悪魔にパートナーなど不要だ!」

 クラヴィスエンジェモンは、ゲートに引き寄せられていく私にそう言い返し、彼に向かって行きました。
 地響きが起き、空の色が変わり始めます。これが、魔王が誕生する瞬間なのだろうか。天使デジモンたちは恐れおののいています。

「ア、アスタモン!」
「……行けッ! 俺が、ここを破壊する前に……ッ」
「だめ、だめだよアスタモン!」
「行くのだ、人間よ! 悪しき者を滅ぼし、人間を送還するのが我らの道!」

 私は貴方を抱き締めようと手を伸ばしますが、届きません。確実に自分の身体が消えていくのを感じました。
 クラヴィスエンジェモンは武器のキーを、再び進化しつつある貴方へと向け立ち向かっていきます。
 貴方はノイズに歪みながらも、私をじっと見ていました。私の瞳が海のようになって、涙が波のごとく溢れました。

「……何で、泣くんだよお前は」
「アスタモン、私きっと何年掛かっても貴方を見つけだす。生まれ変わっても、ベルフェモンのパートナーになるから、だから」

 その言葉が、最後でした。
 漆黒の闇と、聖なる光の両方が目の前で瞬きました。アスタモンからベルフェモンへと進化し、クラヴィスエンジェモンが攻撃を放ったのだと理解すると同時に、目の前でゲートは閉じられ、私の身体は0と1に分解されてゆきます。
 怠惰の悪魔が力天使を滅ぼし、辺りを灼き尽くす。その力を使い果たし、再び姿を変貌させ眠りに付く、彼。
 見たこともないのに、どうしてかその姿が過ぎって離れませんでした。

*

 それから、時は流れて。
 今日も私は、貴方に届かない言葉を綴っている。
 私はあれ以来デジタルワールドの存在を感じることもなく、リアルワールドで平凡な毎日をただ過している。
 ねえ、きっと貴方はきっと今頃呪われた眠りに付いているのでしょう。
 唯一の絆のデジヴァイスを持っていても、私の言葉は何一つ貴方に届かない。けれど、私は構いません。
 私は貴方と出逢う為に、何度でも生まれ変わって再び貴方のパートナーになって共に生きるから。それが――、貴方だけを置いてリアルワールドに帰還してしまった私の、最後の生きる希望だから。
 たとえそれが砂浜で同じ砂粒を見つけることより難しくても、私は信じてここで生きています。貴方と出逢えて本当に良かった、アスタモン。

160421
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