この学園において、東御手洗清司郎の名前を知らない者はいない。彼は才色兼備という言葉通りの綺麗な見た目と、14歳にして海外の大学院を卒業したほどの頭脳の持ち主だ。
 何故日本の中学校にいるのかは分からないけれど、きっと「同世代の人間と親交を深め社会性を養いなさい」みたいな、家庭の教えがある……のかもしれない。

 その彼が、学校の廊下でうずくまっている。
 夕暮れ時の、誰もいなくなった教室で私は委員会で使うプリントをまとめていた。
 その時、廊下から物音がして、覗いてみると東御手洗くんがいたのだ。

「だ、大丈夫?」

 東御手洗くんとは違うクラスの顔見知り程度でほとんど話したことはなかったけれど、勇気を出して声をかけてみる。彼はゆっくりと振り返り、私を見た。眉毛をひそませ、どうしてか涙目だった。

「い、いや。失敬。少し、よろめいた、だけだよ……」
「具合悪いの? 立てる?」

 歩み寄り、手を差し出そうとしたところで、冊子を作るために、ポケットに入れていたままだったホッチキスが弾みで落ちる。ガタン! リノリウムの廊下に、金属のぶつかる音が響いた。

「ひ、っ!?」
「あ、ごめん」

 過剰に驚きすぎだ。そういった態度を取られると、こちらがとてつもなく悪いことをしてしまったような気がする。

「おど、驚かせないでくれたまえ!」
「そんなつもりじゃなかったけど……」

 何があったの、と私は尋ねる。具合が悪かったのかと思っていたけれど、何か訳があるのかもしれない。
 東御手洗くんは壁に手を付き、よろよろと立ち上がりながら私に向き直る。表情は暗いものだけれど、さすが女子生徒に噂されるだけあって美形だった。

「さ、さっき天ノ河くんが先生に連れられて行くのを見たんだよ……」
「え? うん」

 東御手洗くんは窓を指指す。倉庫と校舎を繋ぐ道だった。天ノ河くん、という人は私は知らないけれど、先生と歩いているのを目撃しただけでこんな様子になるのはやはり不自然だ。そう考えていると、私は一つのことを思い出す。

「あのー、もしかして……あの事件気にしてるの?」

 それは、謎の口縫男の噂。口縫男に出会った人は時間を奪われ、意識不明となってしまう。そんな、非現実的な話。私も嘘だと思っていたけれど、昨日、突然倒れて入院してしまった子がいた。同学年の子だった。
 私があの事件、と言うと東御手洗くんはまた顔を強張らせる。

「ば、ばかな! キミはまさか本当にあの噂を信じているのかい?」
「だ、だって、たくさん流れてるよ、SNSで」

 私は怯えた様子の東御手洗くんに、デジッターの画面を見せる。たった一夜にして、地元の学生のあいだでは、もうすっかり我が学園は噂の中心となってしまっていた。

「大体、そんなの非現実的で証拠がないじゃないか、ホログラムゴーストなんて」
「……もしかして、怖いの苦手?」
「そ、そ、そんなことないだろう! 勝手な憶測はやめたまえ!」
「ふうん。まあ、そういうことでも良いけど……」

 昨日の女の子と、天ノ河くん、という人の話が本当に結び付いているのかは分からない。いくらホログラムゴーストなんて噂が立っていても、この目で見ていないものは、私は信じられなかった。
 けれど、このままずっと怯えているわけにもいかない。

「とりあえず、帰ろ。一人より、二人の方が安心でしょ」

 葉桜学院の、寮まで。私はそう言って、笑いかけた。
 私も委員会の作業はほとんど終わっていたところだし、何だか大げさな様子の東御手洗くんをこのままにはしておけなかった。

「わ、わかった……。どうしてそんなに冷静なのか信じられないよ」

 あなたの態度を見ていると冷めてきただけだよ、とは言わないでおく。
 東御手洗くんは包帯を巻いている手を口元に当て、咳払いをした。

「言っておくけれど、僕は怖いわけじゃ、ないから!? 君みたいな女の子一人で帰るのは、危ないから、な!」
「はいはい、よろしくお願いします」

 私は荷物をまとめ、東御手洗くんの隣を歩き始める。
 事件の噂はともあれ、あの東御手洗くんの、皆が知らないであろう一面を垣間見ることができて、私は少し嬉しかったのだった。

211004

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