――私たちは、獣であって、獣ではない、と彼女は思っていた。デジモンは姿は異なれども、人間の世界でいうところの社会的動物として、生活を成し、言葉を交わしている。そう、言葉、だ。
伝える意思があるのならば、言葉にすればいい。しかし、この二人にとってのそれは、そう簡単なことではないらしい。
バステモンは、人間の少女・
をパートナーとしていた。同居することはなく、本人は
は学校が終わると端末からデジタライズして、バステモンに逢いに行く。内気な
にとって、彼女はいちばんの親友であった。
「
〜。お疲れ様にゃ」
やって来た
を笑顔で迎え入れると、彼女も同じように笑って、首を縦に振った。
大人しい
だが、自分には心を開いてくれている。バステモンはそれが嬉しかった。
《行きたいところが、あるんだけど……》
は、スマホ型のデジヴァイスに打ち込んだ文字を見せる。
「……ああ、アレ、ね?」
ニヤリ。バステモンは
の言葉に、まるで悪戯を思い付いた子どものような表情を浮かべた。
二人が向かうのは、15分ほど歩いた先にある、この街の巨大図書館だった。
初めは、
と一緒に調べ物をするために訪れていたのだが、最近は、どうも様子が違う。
の視線の先には、あるデジモンが映っていた。――バアルモン。
バアルモンを見かけただけで
は息を漏らし、いつも以上にソワソワとしだす。彼のことが好きなのだ、というのは明白だった。
「
。また、来てくれたのか」
「……」
その言葉に、
は言葉を返すこともなくただ頷くばかりだ。それでもバアルモンは彼女を怪訝に思うことはなく「ゆっくり見ていくといい」と言葉を掛ける。
――
は話すことができない。学校で激しいいじめを受けたことが心の傷となり、以来口を閉ざしてしまった。頭の中で伝えたいことは思い浮かぶのに、どうしてかそれを言葉として組み立てることができずにいる。
家でもその様子は変わらず、やがて家族からも蔑まれるようになった。もう逃げたい、そう思っていた矢先に、
は偶然にもデジタルワールドに迷い込んだ。
会話もできない、逃げ惑うことしかできない
に、悪意をもったデジモンたちが襲いかかる。そこに現れ、彼女を救ったのが、バステモンだったのだ。
「それにしても、アタシ以外にも興味を持てるよーになったなんて、嬉しいにゃ」
「……っ」
そんなんじゃないよ、とでも言うように、
は首を振った。けれど、彼を見つめている時の
は、確かに乙女の表情を浮かべている。
無理に話せるようにはならなくてもいいけれど、少しでも他人と関わることへの苦手意識が減っていけばいい。バステモンはそう思って、
の恋を応援していた。
*
「
は、勉強家だな」
「……っ」
バアルモンが、椅子に座る
にそう声を掛けると、ビクッと身体を揺らした。隣にいたバステモンは、どうしてかニヤニヤ笑って、違うコーナーに行き、姿を消した。
ここが図書館だから、というだけでは片付かないほどに、
はいつも無口で大人しい。
何かやむを得ない事情があって、話すことができないのだということも、何となく察してはいた。
――ただ、パートナーといる時に浮かべる、彼女の笑顔は、バアルモンにとって眩しいものだった。
「読書が好きなんだな」
こくん。
は頷く。
しかし、視線は合わない。
「図書館以外には、どこに行くことが多いんだ」
「……、」
彼女はデジヴァイスに文字を打ち、それを見せる。特には、と。
はこの性格ゆえに多くの場所に出掛けようとはしなかった。この街は安全ではあるものの、少し離れでもしたら、危険なデジモンが沢山うろついているのだ。
「少し先の丘には行ったことがあるか。見晴らしがとてもいい」
「……」
「ないか。良ければ今度、行ってみないか」
すると、
は驚いた顔をして、ぶんぶんと手を振り、断りの意を示す。そんなに否定しなくても、とバアルモンが思うほどに、手を振っていた。
バアルモンは「そ、そうか……」と面食らった様子で呟いた。無口である上に、どこか、寂しげな表情を浮かべている
を、笑わせてみたいと思っただけだった。だが、彼女は頑なにそれを拒む。
話しかけても怯えた様子で、いつも視線の合わない彼女。そこで、バアルモンは一つのこと思う。
おそらく、俺は彼女に嫌われているのだろうな、と。
*
図書館の隅にあるソファで、
とバステモンが話している。先ほどのことを、
はバステモンに伝えたのだ。
「もったいなーい。せっかく、デートの機会だったのにい」
《無理》
まさか、彼があんなことを言うなんて。
何かの冗談かと思った。ターバンと布で覆われた彼の表情はいつも読み取れない。どうして、自分にあんなことを言ったのか。
バアルモンは人間とは違うけれど、素敵なひとだ、と
は思っていた。
他の荒々しいデジモンたちと比べて、落ち着いていて知的な雰囲気があるし、恐らく彼は強い。そんな彼を、こっそり見つめているだけで……欲を言うならば、時々挨拶をしてくれるだけで、もう幸せだったのに。私みたいなのと出掛けようと言うなんて、聖人君子だろうか? いや、彼はデジモンだけれども!
《デートじゃない、よ、あれは》
「そーお? 自分の都合の良いよーに捉えるのが、恋愛のコツにゃん」
そりゃあ、自由気ままな性格のあなたはそれでいいかもしれないけれど……。
は相変わらず困った様子のままだ。
あの堅物のバアルモンがそんなことを言うなんて、
に関心がある日証拠じゃないか。バステモンはそう思ったが、自尊心の低いこの子にそんなことを言っても、きっと信じはしないだろう。
とりあえず今日は本を借りて帰ることになり、
は受付のデラモンがいるカウンターへ向かった。
バステモンは先に出て、玄関で待ってくれていた。早く済ませないと。そう思いながら歩いていた。
その時、だった。
突然、辺りがグラグラと揺れ始める。
「まずいな、地震だ!」
「!!」
誰かが叫ぶ。
あっ、と危険に思った
は玄関の方に向かおうとしていた。
「危ない!」
しかし、その間にも揺れは続き……近くの本棚が、
に向かって倒れかけてきていた。
ああ。咄嗟のことでバランスが保てず
はよろけた。
もう、ダメだ! そう思ったその瞬間、飛び込んできた影があった。
「
……!」
「!」
バアルモンだ。
の肩を抱え、倒壊しかけた本棚を片手で抑えていた。
顔を上げると、自然とバアルモンの鋭い視線とぶつかった。気まずくて、
はパッと目を逸らしたが、逃げ出すわけにもいかないので少しの間、
は身を任せたままだった。
心臓の音が聞こえたらどうしよう、そんなことを考えている場合じゃないのに、ドキドキと胸が痛い。
「おさまった、か」
揺れが収まり、バアルモンは片手で本棚を戻す。
地震が起こった瞬間、バアルモンは反射的に
の元へ駆け付けてきてしまっていた。嫌われているのではないか、という懸念がありつつも、自分の身体は自然と動いてしまっていたのだ。
「わ、悪い……」
突然、
を支えてしまったので、顔がやけに近くなっていた。
はビー玉のように澄んだ瞳で、ただバアルモンを見つめ返しただけだった。
「
! 大丈夫だった!?」
心配したバステモンが駆け付ける。ぱっと
はバアルモンから身を離し、ぺこぺこ頭を下げてからバステモンの元へ戻った。
バアルモンは、その小さな背中をただ見ていた。
*
街中を歩いていると、歌声が聴こえた。広場で、旅芸人のリリモンたちが歌っているようだった。
バアルモンは、不意に
のことを思い出す。彼女が図書館に訪れるようになってから、数ヶ月。バアルモンは一度も
の声を聞いたことがなかった。
デジモンの自分が、人間に惹かれるなんておかしいのかもしれない。けれど、
の声を聞いてみたい。そんなことを思わずにはいられなかった。
「ねー、あの歌。アタシの方がうまくなあい?」
……と、
のことを考えていたら、偶然にも彼女のパートナーの声が聞こえた。
声のする方を振り返ると、
とバステモンがいた。何故かリリモンに対抗意識を持ったらしいバステモンが、
に愚痴をこぼしているようだった。
――あの様子ならば、俺には、まだ気づいていないようだな。
自分は
に嫌われているようだし、見つかる前にこの場を立ち去る方がいいだろう。バアルモンはそう思い、歩き出した。
しかし事は思い通りには運ばない。
「あー! バアルモン
」
「……。呼んだか」
バステモンが、やけに媚びた猫なで声でバアルモンを呼ぶ。
一体、この女は何を考えているんだ。案の定
は目を丸くしている。
しぶしぶバアルモンが二人の元へ向かうと、
はやはり視線を逸らした。
「
がねぇ、こないだのお礼がしたいにゃーって」
「!?」
ところが、そうした途端パッとバステモンを見る
。
何も知らない、とでも言うようにひどく驚いた表情をしている。バステモンの勝手な思い付きで話をしたのに違いない。
こんな見た目をしているのだ、俺のことも、きっと怖がっているに違いない。
バアルモンは、やれやれと息を吐いた。
「彼女は俺を恐れているようだし、無理に俺と関わろうとしなくてもいい」
「ハァ? なんてこと言うの。キザぶってにゃい?」
バステモンは、呆れていた。どうしてこう一匹狼を気取りたがるのだろうか。
の気持ちを察してあげられないなんて、鈍感もいいところだ。
少し気の短いバステモンは、更にこう続ける。
「
はねぇ、アンタのことす」
「!!」
ドカッ。鈍い音がする。何か言いかけたバステモンを……あの
が、叩いたのだ。
「いったーい! わ、分かった言わないよーうにするにゃん」
「い、一体何があったんだ……」
当の
本人は、口角を上げてニコニコしている。……が、目が、笑っていない。
よく分からないが、彼女の知らない一面が見られたのがおかしくて、思わずバアルモンは吹き出す。
――そうだ。
の内面を深く知らないのに、嫌われているかもしれない、とかそんな小さなことを気にしていてもしょうがないじゃないか。
「フッ、はは。おかしいな」
≪今のは、ジョーダン、ですから!!≫
いつもはこうじゃないです、ただ、緊張するから、ぴこぴこ文字を打っては、バアルモンにその画面を見せる
。大人しいと思っていた彼女が慌てる様子を愛しく思った。
「
」
「!!」
バアルモンは横に立って、その画面を、伝えようとしている言葉を、覗き込もうとした。すると、彼女はスマホを落としてまた慌てふためいた。
「……なんか、心配しなくてもいーい雰囲気じゃない?」
さっきまで気取ってたのにぃ? 一気にコントのようになった二人を、バステモンは眺める。
伝える意思があるのなら、言葉にすればいい。けれど、言葉には出さなくても、伝わるものは、あるようだ。
言葉にせずとも満ちること
200608
お題箱より「バアルモンと無口少女が両片思い」