ベッドに寝転がり、天井に手を伸ばしてみる。あの時繋がれた、左手。こうして手のひらを見つめていると、あの熱が、夕焼け空の景色が蘇る。
 大空くんは私を知りたいと言った。クラスメイトとしての純粋な好意だったのかもしれない。けれど、私はそれ以上の意味を求めてしまいそうで、怖くなる。
 大空くんはあの時のことがあってからよく話し掛けてくれるようになった。

「おはよう、
「お、おは、おはよう!」
「そんな驚かなくてもいいって」

 大空くんはにっこり笑う。私はそれにも苦笑して頷くことしか出来ず、自分がもどかしかった。
 声を掛けられ、何となく一緒に教室へ向かうことになった。たかが廊下のたった数メートルを、一緒に歩いているだけ。ただの朝の風景にすぎないのだけれど、私はどきどきしている。

「女子はフットボールなんだろ、今日の体育」
「う、うん、私は苦手なんだけどね」
「今度一緒に練習してみるか?」
「……考えておきます」

 少し話すようになって分かったけれど、大空くんはこうして本気なのか冗談なのか分からないことばかりを言う。掴みどころがなくて、その度に私は緊張してしまう。
 体育の授業は気が重いけれど、そのお陰で話せたのは、ラッキーだった。

*

 体育ではクラスの女子が3チームに別れ、対抗戦を行なっていた。他のチームが対戦をしているあいだは得点係になるので、皆その間に給水をし、一時休憩を取っていた。

「私、手、洗ってくるね」

 何となく気持ちを切り替えたくて、私は友達にそう言い残すと水道に向かった。
 手に付いた泥を払って、ため息をつく。蛇口を捻ろうとしたとき、何かの存在に気づいた。

「何これ」

 誰かの忘れ物らしき、機械を見つけた。ゲーム機のように見える。精巧な作りのそれは、びしょびしょに濡れてしまっている。
 その機械は傷がなくまだ新しいようだった。買ったばかりなのに、なくしてしまったのだとしたら可哀相だ。
 私は、ふと時計を見た。あと5分ほどで授業は終わる。グラウンドに戻ったところで、あっという間に授業は終わってしまう。……それならば、一足先に教室に戻り、誰も戻らないうちにこの機械を拭いてあげよう。そう、思った。

 誰もいない教室で、私は鞄からスポーツタオルを取り出し、その機械を拭いてみた。女子トイレの隅で、濡れないように置いておけば持ち主の人も気付いてくれるかもしれない。
 最後に仕上げで画面を拭いた。タオルを仕舞おうとすると、文字が画面から浮き出ていたことに気付いた。

 貴方は 輝きたいですか

 よく、意味がわからなかった。これは、私に対するメッセージなのだろうか。抽象的な問いだった。
 私は平々凡々としていて、目立たない。むしろ目立つのが嫌だから、控えめに過ごしてきた。輝き、光とは全く無縁の存在。
 輝いている人とは、きっと大空くんみたいな人のことを言うのだ。

のこと、もっと知りたいんだ』

 大空くんのこの間の台詞を思い出す。
 私は普通の家庭科部で、特に美人という訳もなく、成績も運動神経も並。大空くんが知ったところで、得になることなんて何一つない。
 けれど、私はもっと、大空くんと仲良くなりたい。私を、知ってほしい。いや、大空くんだけじゃなくて。色々な人に、もっと言いたいことが言えたら、私はもっと楽しく過ごせるのに。

「輝き、たいな」

 この機械に表示された輝き、がどういう意味なのかは分からないけれど。少なくとも私は今のままの、大人しくて地味で、平凡な自分が嫌だった。
 だから、表示されていた Yes を押してみた。その瞬間機械から電撃が流れたかのように光が瞬いて、私を包んでいく。眩しくて、私は思わず瞳を閉じた。それから目を開くと、そこには信じられないもの、がそこにあった。

「やあやあやあ、これはこれは」
「は、お、お、お化け!?」

 意味が分からない。機械のYesを押したと思えば、目の前には、身体が鏡で出来た、緑色の服の小さなお化けがいた。それ、は半透明で何か小さな四角い板の上に浮いていた。
 どうして喋るの、どこから出てきたの、いたずらのおもちゃじゃないの。動揺のあまり声が上手く出ない。タチの悪い冗談なんじゃないかと思った。

「我はミラーモン。真実を司るもの」
「え、な、何」
「まあ突然の出来事で狼狽するのも無理はないと思うがネ。我はミラーアプリのアプモンさ」

 混乱と動揺ばかりの私の耳に、慣れ親しんだ単語が聞こえて、ハッとする。
 ミラーアプリ。私の脳裏に浮かぶのは、いつもの“おまじない”だった。

「君がいつもミラーアプリを使っていたのは知っているよ」
「えっと、アプ、アプリのお化け……?」

 訳がわからないままに私がそう言うと、目の前の鏡はお化けというより、妖精みたいなものさ、と笑った。いや、妖精なんてもっと可愛いものだと思っていた。こんなエキセントリックなものが現れるなんて、想像だにしていなかった。

「クマが酷いと嘆いていた時も、ニキビを丹念に覗き込んでいた時も、いつだって君を見守っていたよ」
「ひっ!?」
「バディだからね、のことを、もっと深く知りたいと思うのだよ」

 気持ち悪い!
 しかも、知りたいだなんて! それはこの間、大空くん言われたセリフだ。真似されるなんて、とても複雑だった。というか、何で知っているのだろう。ぐ、偶然だと思いたい。

「まあそれは冗談としてだがネ、真実を求める我には崇高な目的があるのだよ。聞いておくれ」
「は、はあ」

 それからミラーモンとやらは延々と話し始めた。リヴァイアサンというこの世界を支配しようとしている、悪の人工知能の調査をする為に、バディ、を探していたということ。そのために、いつもミラーアプリを使っていた私がペアリングしやすいから選ばれた、ということ。
 現実味がなく、漫画のような話だった。

「輝きたい。ならば、我を信じるのだネ。何、悪いようにはしないしないと誓うよ」
「あ、怪しい宗教の勧誘みたい」
「ふふふ。怖くない、怖くないよ……」

 突然言われてそんなこと、信じられる訳がない。
 ミラーモンの身体の鏡が輝く。何となく視界に入ったそれを見ると、ある事に気付いた。

「鏡……ヒビが、あるね」

 そう、ミラーモンの鏡の端には小さなヒビがあった。そのヒビは、服の衿先に隠れているから、よく見ないと分からないようになっている。

「ほう。流石我のバディだ、鋭いネ。このヒビの所為で、今の私には真実を映す力が鈍ってしまっているのだよ」
「直せないの、それ……?」
「そう! そこで直すのに肝要となってくるのが君! 人間の力というわけだ」
「わ、わたし」
「ああ。バディと手を携え、真実を追ってゆけばやがて我の傷も癒える。君には、リカバリーエージェントになって貰いたいのだ」

 ミラーモンは闇の中の目をきらんと輝かせて言った。
 よく分からないけれど、ミラーモンはリヴァイアサンについて調べていた時に、傷を負ってしまったらしく、それ以来上手くミラーモン本来の能力を発揮できずにいるらしい。
 このアプリドライヴという機械を手にし、アプリドライヴァー、になった私ならばデータの回収をするうちにミラーモンを元に戻すことができる……。全く訳がわからないけれど、少なくともミラーモンはそう考えているようだった。

「で、でも、ごめん。私、まだ協力するとか一言も」
「大空勇仁。君の想い人だネ」
「!?」

 な、何でそこで大空くんの名前が。
 私が言い終える前に、その名前を出してくるとは驚きだった。一体、どこまで知っているというのだろう。
 ここで否定して意地悪されても怖いので、私は「はい」と素直に頷いた。

「ふふふ。君の恋にも協力をしようではないか。その代わり、、君は我と共にリヴァイアサンについて調査をする」
「そんなこと勝手に決めないで下さい……!」
「我は真実を映すものであり、更に我の予知は百発百中ぞ。今ならなんと先の身体測定で行われた大空勇仁の個人情報も漏れなく付いてくる」
「こ、個人情報保護法って知ってます!?」

 本当にこの人(?)、能力が使えなくなっているのだろうか。好きな人がバレているということも、私が協力をするように強引に話を進めようとしていることも、話の流れが巧みで恐ろしい。
 しかし、ミラーモンの言うことは全く意味が分からないけれど、少なくともここまで色々なことを私に話してくれるのだから、私に危害を加えるつもりは、多分ないはず、だ。
 それに。

「Yesを押したのは、君なのだよ」
「……う、うん」
「選んだのは誰でもない、自身だったのだよ! さあ、ほら」
「ご、強引だなあ。……分かった。協力、します」

 確かに、ミラーモンの言う通りだ。私は自分を変えたいと思って、Yesを押してしまったのだから。
 ミラーモンは、きっと私がこう答えることも予想をしていたに違いない。契約成立だね、とニヤリと笑った。私は大人がセールスマンの営業に押されて契約してしまうのもこんな感じなのだろうか、とぼんやり思っていた。

「早速だがまず契約書に署名と判子をだ、ああ、もちろん公的な書類だからシャチハタでは困るな、実印で。それが無ければ拇印でも構わない、ああそうだ、我の予想では大空勇仁は今日の放課後、君の家庭科室の目の前を通り掛るはずさ。契約書は同意しますというところにレ点を」
「台詞長いし、というか、重要なことそんなさらっと言わないでよ!?」

 中学生の私にそんな契約書のことをどうこう言われても、分かるはずがない。本気なのかふざけているのか分からなくて私はすっかりミラーモンのツッコミ役になってしまっていた。
 それよりも、ミラーモンは大空くんがどこに行くかなんて、そんなことも分かってしまうというのか。

「まあ、いい機会じゃあないか。君は料理が得意だろうから、大幅に印象を良くするチャンスだよ」
「う、うーん……?」

 唯一の特技がバレていることにもツッコミを入れるのがしんどくなった私は、首をかしげて考えてみる。
 確かに今日は部活のある日だけれど、本当にミラーモンの言う通りに上手くいくのだろうか。
 そう考えているうちに、授業の終わりを告げるベルが鳴る。そうだった。衝撃的すぎて忘れていたけれど、今は授業中なのだった。

「やばい! そろそろ、誰か来ちゃう、一人で話してたら痛いって思われるし」
「まあ、アプリドライヴァーにしか我は見えないがネ。兎に角、放課後、家庭科室。後は、頑張り給えよ」

 私の焦りを、流石のミラーモンも察してくれたようだった。今は分からないことしかないけれど、とりあえず話を聞くのは後でいい。
 ミラーモンはやれやれ、とため息をつくと、機械に吸い込まれていった。


*

 そして迎えた放課後。たった五人ほどしかいない私の部活は、今日は特に集まりが悪く私と、三年の先輩しか来ていなかった。
 ミラーモンの言うことが本当ならば、ここを大空くんが通りがかる。それが何時何分なのかは分からないけれど、私はそれまでここで料理をしていようと決めた。
 人数が少なく、部活の終了時間を考えるとあまり手の掛かるものは作れない。だから、私たちは簡単なケーキを焼いていた。
 ココアとチョコレートをふんだんに使った、デビルズフードケーキ。甘くて濃厚で、とても美味しいケーキは私のお気に入りでもある。

ちゃん、じつはわたし、今日この後塾なんだ」
「あら、そうなんですね……じゃあ、すぐ切り分けちゃいましょう!」

 元々、学校にある7号の型は大きいので、切り分けて友達や家族にあげていることが殆どだった。
 簡単に後片付けを手伝ってくれたところで、先輩は帰っていった。中三ともなると、受験のことで大変なのだろう。
 窓を見ると、もうすっかり暗くなっていた。そろそろ鐘が鳴って、帰らなくてはいけなくなる。どうしようかと思っていると、声、が聞こえた。

「あれ、

 そして、ミラーモンの話していた通り、家庭科室の前を大空くんが通りがかった。
 百発百中と自称してたのは、一応嘘ではないようだった。

「お、大空くん!」

 緊張で高鳴る胸を押さえ、私は大空くんを呼び止めた。ばくばくと鼓動が加速して、顔に熱が集まるのが分かる。ああ、ミラーモンはこんな私の姿もどこからか見ているのだろうか。

「あの、ね。ケーキ、焼いたんだ」

 私のその声掛けで、大空くんはケーキを食べてくれることになった。
 私たちは調理机に、向かい合って真っ黒な甘いケーキを食べている。
 好きな人のことを想いながら作ったお菓子を、好きな人が食べてくれているなんて夢みたいだ。
 ケーキが、口へ運ばれていく。お皿から、少しずつそれが減っていく。

「すごいな。。俺は料理なんか全く分かんないからさ」
「そんなことないよ、レシピがあればできるし」

 私が否定しても、大空くんはニコニコ笑いながらやっぱりすごいなと言ってくれる。私にそんな価値なんてないのに、大空くんはたった一言で私に勇気をくれて。……太陽みたいな人だ。

「大空くん、ありがとう」
「ああ、勇仁でいいよ」
「そ、そう?」
「ああ。俺も、って呼ぶから」

 いいだろ、と言われた。断れるわけがない。
 確かに彼のことは、学年の女子も勇仁と名前で呼ぶ人が多く、私は照れからそう呼べはしなかった。
 それにしても、これほど何もかもがうまく事が運ぶだなんて。嬉しくて、にやけてしまう。

「よ、良かったら、また食べにきてね、勇仁くん」
「ああ、ありがとう。

 少なくとも、あの胡散臭くて怪しさしかない鏡さんのお陰で、私は一歩進む事ができた。輝きへの第一歩、だなんておかしいかな。

171025

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