1996年に初めてデジモンが目撃されたのをきっかけに、年々パートナーデジモンを持つ人間は増えていった。もその一人で、数年前にドッグモンと出会い、訳の分からぬままに気付けばデジヴァイスを手にしていた。
 しかしながら自分の息子や孫よりも先に”選ばれ”てしまったものの、もドッグモンも世界の危機や災いに巻き込まれることは当然なかった。故に、はドッグモンのことを喋ることのできるペット、のように認識していた。

「今日もいい天気ねえ」

 窓からは燦々と光が差し込んでおり、は目を細めた。傍らのドッグモンは、相槌を打つようにグフッと笑った。
 とドッグモンの囁きと、僅かに擦れる毛糸の揺らぎだけが、この部屋に響く音だった。
 糸をかけては、また新たな糸を絡める。そうした作業の繰り返しを、ただひたすらには行っていた。
 一見難しそうに見える図案も、はいつも易々と編み上げてみせた。編み物はの何よりもの趣味で、ドッグモンはその横で寝ていることが趣味であった。

「さあて、今度はドッグモンちゃんの腹巻でも作ろうかしらねえ」
「グフッ、オレ、ウレシい!」

 そう言うとは目の横にあるシワを更に深くさせ笑った。
 パートナーが笑うと、自分の心も温かくなる。ーー時折、ドッグモンは考えることがある。は、どうしたら喜んでくれるだろうか? と。


*

 いつしかの頭には白髪が増え始め、シワが深くなった。足を悪くしてからは、以前のように自由に外を出歩くことは出来なくなった。
 人間はデジモンのように進化をして長く生きることは叶わない。だから、毎日の時間を精一杯に生きることが大切だと信じて、はここまで生きてきた。
 人生を四季に例えるならば、後期高齢者である自分はもう冬の時代にあるらしい。もう、自分の人生は終わりへと近づいているのだ。

、デジタルワールドいきたいか!?」
「ええ、デジタルワールド?」

 突然の一言だった。
 は目を丸くさせ、ドッグモンを見つめ返した。デジタルワールド。ドッグモンの生まれ育った場所。リアルワールドとは違う、もう一つの世界。
 は一度もそこへは行ったことがなかった。ドッグモンがパートナーとなったばかりのころはまだ家族と共に過ごしていて、行く余裕がなかった。老化した今となっては、足が原因で遠くへ行こうとはまるで思わなかった。

「オレ、オンブする! デジメンタルとかで、進化したら、デッカくなるし!」
「そ、そういうもんなの?」
「ソーイウモンだ! のガキ連れて、イッショにさあ!」
「でも。昔はよくうちにも来てたけど、もう皆大人になって、忙しくなったみたいだしね」
「オレ、ヒマ!」

 困惑の表情を浮かべるに、ドッグモンは語りかけていた。
 近年ではデジタルワールドとリアルワールドには双方の世界に外交官が置かれるほどに整備されており、たとえパートナーデジモンを持つ人間であっても、デジタルワールドに行くにはそれなりに面倒な手続きを取らねばならなかった。それをよく承知しているからこそ、はただの一度もデジタルワールドへ行こうとは思っていなかった。
 けれど、ドッグモンの想いは違った。デジモンよりも些か短命で、更には人生の終盤に差し掛かっているに出来ることを考えた時思い付いたのが、デジタルワールドへ共に行くこと、だったのだ。

「でも。もう、気を遣わなくていいのよ。ありがとね、ドッグモンちゃん」

 はそう言ってドッグモンを撫でると、棒針を手に取った。こうしてが編み物をするのは、老化により足が弱くなっているからだ。
 彼女には諦めがあって、今更何かが変わることもないと思っていた。

「でもねえ、私もおばあちゃんだからねえ。もしもの時は、ドッグモンちゃんはひとりで故郷に帰ってもいいんだよ」
「え"っ」
「いつまで生きるか分からないおばあちゃんのところにいるよりかは、いいでしょ」

 あまりにも軽いテンションで言われるので、ドッグモンはどう反応を取ればいいか分からず、しばしフリーズをしていた。帰ってもいいんだよ。そんなことを言われたのは初めてで、悲しかった。デジタルワールドで色々な景色を見せたい、わずかな間でも共に時間を過ごしたい、それら全てがうつろになったような気がして、ドッグモンは動揺していた。

の、バッキャロおーー!」

 そしてドッグモンはそう叫ぶと、得意技のゴムのように体を弾き飛ばす動作をして、どこかへ飛んで行ってしまった。


*

 一週間ほど前にドッグモンはどこかへ行ってしまったまま、帰って来なくなった。
 十数年寄り添ってきて、一時も自分の傍を離れたことのないパートナーが、いない。私の言葉通り、もうデジタルワールドへ行ってしまったのだろうか。
 あの時のドッグモンは、確実に傷付いていた。失言、だった。長い人生の中で、今までに幾度も何気ない一言で傷付けたり、傷付いたりを繰り返してきた。の脳裏に、大人になり巣立っていった息子や、孫の姿が蘇る。彼らは成長をして自分の元を離れていったけれどーードッグモンは、違う。自分と縁する人、別れる人を何度も見てきていて、最後に残ったのがパートナーのドッグモンであったのに。
 傍にいて欲しいのは事実ではあるけれど、元々住む世界を捨ててまでリアルワールドに定住をしていたのだから、いつまでも年老いた自分に縛られる必要はない。自分が亡くなって独りにさせてしまうよりかは、それより先にデジタルワールドで新たな仲間を作ったほうが、いい。ただ、その想いだけだったのだ。
 編みかけの腹巻はもう少しで完成するけれど、もうこれも意味ないものになってしまうのかもしれない。 は窓を開けて、ぼんやりと空を見上げた。いい天気ね、と呟いてみる。虚しい響きだった。

 ところがその空、がおかしかった。ひゅるひゅると風船の空気が抜けるような音が聞こえてきて、音の原因となる物体がこちらの窓めがけて突っ込んでくる。避けようにも自分の足は重く、それは叶いそうにないーー!

ー!!」
「ど、ドッグモンちゃん!?」

 ーー窓から飛んできたのは、パートナーだったのだ。
 ドッグモンはそのままにぶつかり、はよろめいた。しかしドッグモンはゴムのように柔らかいので、それを支えることができた。

「ひとりで、デジタルワールド! 行ってきた」 

 ドッグモンが口に咥えているのは花。息を切らし、差し出してきたのシワだらけの手に、それを置いた。それは見たこともない、不思議な色合いの花だった。デジタルワールドの花だ、とドッグモンは語った。

「オレ、にああやって言われたことも、あといまデジタルワールド行っていないのも、サビしかった」
「は、はい」
! オレ、死ぬことより今のこと、考えたい!! だから、もしもの時、とか、いわない!!」

 ドッグモンはキラキラと瞳を輝かせ、を強く見つめていた。
 ああ、私のパートナーは、とても優しい。あれだけ提案をしてくれたのにそれを断った私に怒ることもせず、ただ”今”を見つめて言葉を返してくれている。歳を取ったから、とか、足が痛いから、とか、そういうことを考えていた自分がちっぽけになるほどに、ドッグモンはまっすぐだ。

「ど、ドッグモンちゃん。ご、ごめんね。私、あなたのこと、何も考えてなかった」

 そう言うと年甲斐もなく涙が出てきて、止まらなくなる。ドッグモンはもういいカラ、と笑い、の頬をぺろ、と舐めた。

「いい、今のオレ、のとこがホームだし。大丈夫、デジタルワールド行くの、ワンチャンある!」
「あ、ありがとう。そうよね、ワンちゃんだものね、ドッグモンちゃんは」

 いまいち会話が噛み合っていない気もするが、双方気づいていない。
 はドッグモンのふかふかとした体を、ぎゅっと抱きしめてみる。それは暖かくて優しくて、彼がパートナーで良かった、と心から思うのであった。

*

「ニアウ!? イケメン!?」
「うんうん、お洒落に決まっているよ、ドッグモンちゃん」

 そして。が作ってくれた腹巻を、ドッグモンは身につけている。一糸、また一糸と丁寧に編んでくれていたこの腹巻には、共に生きてきた時間が絡まれている。

「ドッグモンちゃん、ずっと一緒にいてね」
「ブフッ! アタリマエだ!」

 人間とデジモンが共存するこの社会で、パートナーとデジモンの在り方も多種多様化してきている。双方の世界のために動くということも、デジタル生命体としての本能に基づいて戦うということもないけれど、自分とパートナーのこんな形も良いのではないか、とドッグモンは思った。


180112
お題箱より
→選ばれしおばあちゃんとドッグモン


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