鏡よ鏡よ鏡さん。どうか、私にも自信をください。
 どうか、輝けるきっかけを、ください。

 お昼休みを目前とした教室では、漫然とした空気が漂っていた。私は、あまり頭に入ってこない数学の公式を書き写しながら、こっそりと大空くんの背中を見つめていた。
 このクラスで、いや、学年で一番目立つのはきっと彼だ。かっこよくて、人当たりが良くて、スポーツができて、成績だって平均以上。すべてが凡庸な私とは大違い、憧れて当然だ。
 大空くんは、新海くんと仲が良いけれど、二人はだいぶタイプが違う。しかしながら、二人との関わりがあまりない私でさえ、お互いが親友だ、と言っている場面を何回か目撃したことがあるくらいだから、その友情は固いものなのだろう。
 私には親友と呼べるほどの友達がいない。けれど、大空くんの明るさは、見ているだけで勇気を貰える。そんな気がした。だから、私はこうして同じクラスで、彼の背中をじっと見つめることができたらそれで良いのだ。


「おーい、!」
「お、大空くん! お疲れ様」

 部活を終え、備品と鍵を返しに行ったところで、同じく部室の鍵を手にした大空くんと遭遇した。
 同じクラスとはいえこうして話せることなんて滅多にないから、ドキドキしてしまう。

「お疲れ。あれ、今日は一人なのか?」
「うん。皆先帰っちゃったんだ。元々私の学年、人数少ないしね」
「そうか。実は俺もなんだ。折角だし、一緒に帰ろうぜ」
「い、いいの?」
「何言ってんだよ、当たり前だろ」

 思ってみなかった申し出に、私は驚いて少しどもった。当たり前だろと爽やかに笑われて、顔に熱が集まるのが自分でも分かった。
 少し待ってくれるか、と言われ私は先に昇降口で靴を履き替えた。一体何を話せばいいのだろうか。学習班も被ったことがないし、クラスが同じということ以外、接点なんかない。ああでも、帰る方角は、途中までは一緒なのか。
 混乱してどきどきとする気持ちを抑えようと、私はいつもの“おまじない”を始めた。

(だ、だいじょうぶ。私は、変じゃない、変じゃない、変じゃない……)

 ミラーアプリに映る私は、不安げな表情をしている。
 私は、焦りを感じるとこうしてこのミラーアプリを開いている。人は話す言葉そのものよりも、仕草や表情で判断をされやすいのだという。小学校の頃にそれを知ってからというものの、鏡を見ることが習慣づいてしまった。けれど、大きな鏡をクラスで広げて、ナルシストだなんて思われたら恥ずかしいから、こうしてアプリで見ている。
 喋るのが苦手でも、せめて表情がおかしくなければマシなはず。どうか、私に元気をください。……そんな、ちっぽけな私のおまじない。

「ごめん、待たせたな」
「いやいや、ぜ、全然!」

 アプリを閉じると、ちょうど大空くんがやって来た。私は笑顔を張り付けて、応答する。

 それから、まるでみかんみたいな色の綺麗な夕焼けを、二人で歩き始めた。自然な流れで大空くんは車道側を歩いてくれていて、どきどきする。男の子と二人きりで帰るなんて初めてだけれど、世の中の女の人が歩き方を気にする意味がなんとなく理解できたような気がした。
 大空くんは色々なことを話してくれた。小学校の頃に転校してきたこと。サッカー部の話。新海くんとの思い出話。
 その横顔はやはりキラキラとしていて、眩しい。住む世界が違う、というのはきっと彼みたいな人のことを言うのだろう。いつだって、大空くんの周りには沢山の人がいて、輝いているのだ。


「あ、前、見てないと……」
「え?」
 大空くんの声にハッとしたと思えば、突然どしんと殴られたみたいな衝撃が走る。電柱だった。うっかり横顔を見つめていたものだから、目の前にあった物になんか、気づかなかった。

「い、ったあ……」
「大丈夫か!?」

 こんなドジ踏むなんて。馬鹿すぎる自分に恥ずかしくなる。ああ、大空くん、私なんかのためにそんな爽やかオーラで心配した顔しないで。

「頭は、大丈夫か?」
「うう、前からそんなに賢くはないけど……」
「!? いや、そうじゃなくて」

 大空くんは私の頭に少し付いていた土埃を払った。
 そもそも、一緒に帰ってくれているだけで非日常なのに、どうしてここまで優しくしてくれるのだろう。
 私はいつも自信がなくてびくびくしてしまう、のに。

「なあ。手、貸してくれるか」
「え」
、一人だと、危なっかしい気がして」

 それは心配してくれている、ということなんだろうか。手を貸す、というのはつまり、手を繋ぐ、とほぼ同じ行為だ。いや、でも、きっとこんな爽やかなリア充様に限って、深い意味は、ないはずだ。手なんか繋いで、もし手汗が止まらなかったらどうしよう。そして学校のカースト上位みたいな女の子たちに目撃されていたら、どうしよう。

「? どうしたんだよ、止まってたら、帰れなくなっちゃうぜ。ほら」
「あ……」

 私があれやこれやと考えているうちに、大空くんは私の手を取ってゆっくりと歩き始めた。彼は本当に心配してくれているだけで、深い意味はないのだと思う。思う、けれど、妙に意識してしまう。
 しっかり絡まっている指から大空くんの体温が伝わって来て、当たり前だけれど、彼も生きている“人”なのだな、と実感して余計に恥ずかしくなる。

「お、大空くんって、やっぱり優しいね」
「そんなことないさ、当然だろ。でも、実はさ」

 少しだけ沈黙があった。何を言うのか気になって、私は大空くんの方を向く。すると大空くんも、私に向き直る。綺麗なエメラルドの瞳が、私を、捉えた。

「俺、のこと、もっと知りたい、って思ってるんだ」

 夕焼け空をバックグラウンドにして、大空くんが、またキラキラ輝く。
 鏡さん、これはおまじないの効果なのでしょうか。
 見上げた大空くんの頬が少し赤く見えたのは、気のせいでしょうか。
 私はそれから途中で別れるまでの間、一言も口が聞けず、ずっと俯いたままだった。ああもう、手のひらと、頬が熱い!

170913
思わせぶり勇仁くん

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