(嫌だ、怖い)
(そう声が聞こえたから)
…凄い珍しい、綾部が息なんか切らしてる。
いつもはどんなに激しく動いても苦しそうな顔一つしないのに、今はここまで綾部の吐息が聞こえる。
かすれる樹木、風、ぬかるんだ泥。音の要因は沢山あるのに、おかしいな、今はそれしか聞こえない。
ああ、なんか今まで感じたことのないスピード。私って足遅かったんだ。(綾部が早いだけかもしれない)
少し怖いくらい。
「…名前、起きて」
「…何言ってるの、綾部。私寝てないよ?」
「寝たら怒るよ」
「…知ってる、綾部一人嫌いだもんね。大丈夫…学園に着くまで待つよ」
「本当だね」
部屋で夜を共にする時、綾部は私が先に寝るのを極端に嫌がる。起こされる時だってあるくらい。実は彼はさみしがりやの甘えん坊なんだ。
私だけが知ってる綾部の秘密。私だけに見せる素顔。
背負われた私がふと視線をずらすと綾部の腕から肩にかけて黒いモノがついていた。そっと指で拭って、口元に運ぶと嫌な臭いが鼻につく。指を加えると更にそれがわかる。
…鉄の味がした。
「…綾部、血が…出てるよ?」
「…うん」
「どこ…怪我したの?」
「僕の血じゃないよ」
「え?じゃあ…」
「もういいから、名前黙って」
あぁ、私の血だ、そうわかったのは綾部に揺られて少し時間がたった頃だった。
月が綺麗に私達を照らして、綾部の髪はキラキラと艶めいて。
同時に私の赤を照らした。私の胸と、それを押し付けていた綾部の背中はぐっしょりと湿っていて、見た瞬間意識が遠のきそうになった。
全てフラッシュバックする。
涙が、止まらない。
「…綾部、痛いよ」
「…うん」
「すごい、痛い。…こんなの、初めてだよ…」
「もう学園に着くよ、我慢して」
「っ…あたし…」
「名前」
そうだ、刺されたんだ、私。
実技試験の最中だった、油断したんじゃない。でも相手にかなわなかった。速度も、力も、覚悟も負けた。だから私はやられたんだ。
思い出すとなんて怖かったんだろう。怖くて痛くて苦しくて、それで私。
「…ごめんね…綾部…」
「…」
「…っ…ちょっと…だけ…」
「駄目だよ」
「…綾部…ごめ…」
「許さない」
「…大好き…」
「名前さん」
綾部より先に眠るなんて絶対に怒られてしまうよね。
でもいいの、私が起きないなら叩き起こして。
あんなに怖くて、痛かったのに、今は綾部が側にいてくれる。大丈夫、私、もう
「はぁっ…名前さん、学園着いた」
「…」
「……怖かった、んでしょ?
…なに、笑ってるの…」
まどろむ君に安息を
(最後、彼女は優しく笑っていて)