一つ、ちゃんとご飯を食べること。
二つ、新しい秘書さんとも仲良くすること。
三つ、大王に仕事をさせること。



「…なぁに、それ?」


私が口に出して言った言葉は全部大王様に聞こえていたらしい。いや、同じ部屋にいるのだから当たり前なのだけれど、大王様は少し前からあまりお話してくれなくなってしまっていたのだ。ふにゃりと曖昧に笑って、大王様は久しぶりに私と話をしてくれた。
嬉しくて用意していた紅茶を机に置いたまますぐに大王様の元へ向かうと、大王様は座っているベッドをポンポンと叩いた。

「先輩と、約束したんです」

大王様の隣に腰掛けてそう言う。私の話を聞いてくれているはずの大王様はどこか遠くを見つめてる。白い肌はいつもより更に白い。大王様だから体調が悪くなったりはしない、でもやっぱり、悲しんでる。

「…鬼男くんと?」

「はい、先輩がいなくなる前の日に。」

私の先輩で、大王様の秘書だった鬼男先輩は数日前に姿を消した。行方不明とか、蒸発とか、そういうことではなくてごく自然なこと。
先輩は、生まれ変わったのだという。
私がそれを知る一日前、私は先輩と約束した。約束は一方的に告げられたものだったけれど、私はそれを守ると頷いたのだ。

「それ、一つも守れてないね」

「はい…困りましたね」

一つ目の約束は私が最近ダイエットしてるから言われたことなのだけれど、そのダイエットは大成功している。先輩がいなくなって凄く泣いた、食欲は全然湧かない。ただ、ぼーっとしてしまう。
それは大王様も同じで、二人してずっと部屋に閉じこもってる。仕事してくださいって、何度も他の鬼が呼びに来るけど大王様はまだ出ようとしない。
大王様の許可なく部屋に入れる鬼なんかいないし、ましてや大王様に命令なんか出来ない。出来るのは、先輩だけだったんだから。
だから二つ目の約束の新しい秘書さんはまだいない。三つ目だって、全然守れてない。

「もう何日こうしてるんだろうね」

「…きっと沢山人間並んでますよ」

「そうだろうねぇ、大変だね」

まるで他人事みたいに私たちは会話をする。仕事しましょう、なんて言えない。だって、思い出してしまう。
隠れて仕事をサボる私たちを見つけ出して、仕事に連れ戻す先輩。まず大王様が物凄い剣幕の先輩に怒られて、無理矢理仕事に戻される。次に私はちゃんと見てろって言っただろ、なんて先輩に呆れられながら言われる。ごめんなさいって誤って頭を下げると、先輩は私の頭をポンポンと叩くのだ。それがとても好きだった。

私も大王様も待っている。
鬼男先輩がまた探しに来るのを、待っている。

「…新しい秘書なんて、嫌だなぁ」

大王様はそう言って、ベッドにごろんと寝そべる。私も嫌です、と言いたかったけどそれじゃ約束は果たせないから言わなかった。
新しい秘書とも仲良くするんだぞ、ちゃんと言うこと聞いて、なんて先輩に言われた時はなんのことやら検討も付かなかった。そんな先のこと、って私は曖昧に流した。それにどのくらいの想いが込められているかなんて知りもしないで。
先輩以外の誰かが大王様の秘書をやるなんて思ってもいなかったし、出来るとも思わない。それでもその場所は今ぽっかりと空いてしまっているのだ。

「凄く仕事が出来る鬼、きっと何人かいると思います」

「…鬼男くんよりも?」

そんな人、どこにもいない気がするけれど、一番秘書として優秀だった先輩はもういないのだから誰か他に秘書をやらなきゃならない。私は出来ないし、やりたくない。

「…先輩じゃなきゃ、嫌ですか?」

「…そんなこと、言わないよ」

「…じゃあ代わりに私が言います。私は先輩じゃなきゃいやです、先輩以外に出来るなんて思いません、大王様の秘書は、鬼男先輩じゃなきゃ、いや…です」

「…名前ちゃん」

大王様は起き上がって私の頬に触れた。ゆっくりと水が伝う。あんなに泣いたと言うのに、まだ私は悲しみが止まらない。喪失感は無くならない。

「でも、約束したんですよ」

「…うん」

「新しい秘書さんと、仲良くするって…大王に、仕事をさせるって…」

私は大王様に抱き付いた。体がふるえる、腕が優しく背中に回って強く抱き締められた。
信じたくない。先輩がもういないなんて。
でも、それでも悲しみに暮れてばかりじゃいけないって、知っているから。


「…お仕事、しようか」

「はい」

「まずは書類を片付けなきゃ」

「はい」

「いつもの何倍も時間かかるかもしれないね」

「…はい、でも頑張ります」

「そうだね、頑張らなくちゃ」


ちょうど外から大王様を呼ぶ声がする。
何日も休んでしまったから、きっと一週間は徹夜かもしれない。でもちゃんとご飯は食べなくちゃ。


「落ち着いたら、新しい秘書さんを選ぼう。名前ちゃん、手伝ってくれる?」

「はい、もちろん」


その時大王様の力がぎゅっと強まった。もう涙は止まったはずの私の頬に、また水滴が流れた。私は大王様の背中を同じように撫でた。

きっと新しい秘書さんは鬼男先輩とは全然違うだろう。もしかしたら物静かな人かもしれないし、大王様と一緒にさぼったりするようないい加減な人かもしれない。凄く美人な女性かもしれないし、私より小さな少年かも。
でもどんな秘書だったとしても、先輩と同じように大王様が大切に想えるような方だったらいいと思う。



「大王様」


顔を上げて、私たちは立ち上がる。



「お仕事の時間ですよ」



私は、情けないくらい腫れた目をして、笑った。





先輩とサヨナラ
(先輩、大王様のこと、任されました)

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