膝がつかるくらいの浅い川から始まって、促されるままに長い距離を歩いた。

白い服を着た人の列に混ざった。知り合いは見当たらない、みんなどこか遠くを見ている。

なぜ、ここにいるんだろう。
よく思い出せない。
いや、なにも思い出せない。

俺は、なんで。







「君は死んだんだよ」


お伽噺でしか見たことがないような鬼達が俺の横にピタリとついて、俺はその人に跪く。真っ黒な髪に、赤い瞳、彼は閻魔というらしい。聞いたことはある、死者を裁く、冥界の大王様だ。

閻魔大王は優しくも俺に真実を教えてくれた。
そして天国、と書かれた方を指差してにこりと笑った。


「君は天国だよ、良かったね」
「え…」
「天国で次の命になるのを待っていなさい。きっと幸せだろうから、あっという間だよ。」


閻魔大王はとても穏やかにそう言う。
でも俺はすぐに首を振った。


「いき、たくない…!」
「…あらら、珍しいなぁ、天国なのにごねる人。」


俺の腕を掴んでいた鬼達がぐっと俺を引き上げるけれど、閻魔大王はそれを片手を上げて制してくれた。
あの扉の向こう、きっとキラキラしてる世界なのはなんとなくわかる。でもきっと行ってしまえばもどれない、もう、俺には戻れない。


「戻りたい、頼む、俺を戻してくれ!」
「え、現世に?無理だよ、だって君は死んじゃってるんだから」
「じゃあ生き返してくれよ!あんた神様なんだろ?!」
「無理無理。ていうか君が死んでからもう何週間も経ってるから、体も残ってないよ、きっと。」
「そんな!」


机に肘をついて、笑いながら。ふざけてる、遊んでる。
でも嘘はついていないんだろう。嘘つきから閻魔大王が舌を抜き取ることくらい知っている。その閻魔大王が嘘など付くものか。
それを理解したとしても俺はこんなところにいられない、行かなきゃ、帰らなきゃ、俺は!



「戻って何するの?」
「っそれは、わからないけど…」
「じゃあ戻る必要なんてないよ。ほら、天国へ行きな?」
「いや、頼む俺は!!」
「しつこいねぇ、君、名前は?」


「なま、え…?」


パン!!と頭のなかが弾けた気がした。
当たり前にわかるはずのことが、何もわからない。

名前だけじゃない、すんでいた場所も、職業も、なんで死んだのかも、全部わからない。


「ほらね、君には戻っても何もないんだよ。はい、行った行った」


閻魔大王がもう一度天国を指差すと、今度こそ鬼が俺を引きずって天国への階段を上っていく。
いやだ、絶対にいやだ。


「っ離せ、やめろぉ!!!」


どんなに抵抗したって鬼はびくともしない。


俺は帰らなきゃ、わかってる。

なにもわからないけど、帰らなきゃいけないことだけはわかってる。
だって
あっちには、あの子が



「いやだ、行けない、俺は行けない!!」




彼女が待ってるんだから。




「……名前っ!!!!」


「…!」



口から無意識に出た名前に、思わず涙が出た。
俺の名前はわからないけど、だけどちゃんと言えた、彼女の、名前の名前を。

ドサリと鬼の腕から落ちる。俺の前に閻魔大王がしゃがみこんだ。


「…君の名前…なわけないか。誰?」

「っ…、すごく、大事にしてた…」

「…そっか」


ぼやけた閻魔大王は、俺の額にそっと触れた。冷たい手だった。


「君の大切なその子には、もう二度と出会うことはないよ。彼女がこちらに来る前に君はまたどこかへ産み落とされる、次に君が帰ってきた時には彼女がまた旅立っている。そういう風に世界は出来ているんだ。」

「っ…でも…会いたいんだ…!」


「…もう一度会うには、方法は一つだけだよ」


「あるのか?!」


「君がここにとどまったらいい」


閻魔大王は俺の瞳をじっと見つめる。


「もう君は輪廻に戻ることはないし、彼女が命を終えて戻ってきたとしても、また一緒に、なんて出来ない。彼女はまた世界へ旅立っていくだろう。」


「それでも…会えるんだな…?」


くるくると指を回す。
普通に巡ったらもう出会うことはない。
彼女がこっちに来るまでに、今度は自分が消えている。
ならば道は一つだ。彼、閻魔大王が提示してくれた道を、辿るしかない。


「君は鬼になる。そうだね、君は利口そうだから、俺の秘書になりなよ。」


「なる…、っ…ならせてください!」


「言っておくけど…俺は優秀な秘書がご所望だよ?」



いいね、と笑った閻魔大王は僕にそっと触れた。




神様もう一度




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テーマ「人外ファンタジー」
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