閻魔大王は時々泉から人間の世界を眺めている。僕はそれを少し後ろから見ている。もちろん秘書だから、というのもあるが一番の理由は大王が逃げないように見張るためだ。
「ねぇみて、鬼男くん」
ある日大王が指さしたのは、もう齢八十を越えているだろう女性だった。
もう自力で歩くことも、起きあがることも出来ない。病があるわけではない。ただ、人間として生きる限界を越えたのだ。
「…美しいね」
とても弱くて、儚い。
そんな彼女をそう形容するのはきっと彼が閻魔大王だからなんだろう。
この人には本当に彼女がしく見えているのだ。
僕は彼女を美しいとは言えない。醜いかと言われたらそうとは言わないが、美しいというのは彼女を指す言葉ではないと感じる。僕の美しいという基準はおそらく人間と似ていて、大王とは似ても似つかない。
それは僕が彼女の外面しか見ることが出来ないからで、彼女の本質を少しも理解出来ていないからなんだろう。
「名前」
大王は泉に向かってそう呼びかける。
聞いたこともないくらい、優しい口調で。慈しむように彼女を見つめて。
「さぁ時間だよ。戻って、おいで」
そう言いながら大王は泉触れた。
彼女が映っていた水面は揺れて、もう何も映っていない。
最期、彼女は目を閉じたように見えた。
大王が立ち上がって、身を翻す。珍しく自分から戻ろうか、と言う。僕も頷く。
「裁きの時間だね」
次に死者の扉が開くとき、その向こうには美しい女性が立っている。
泉の扉