ゆっくりゆっくり、息をして。
真っ暗な中、外の気配を感じて。
僅かに聞こえる足音だったり、銃の機械音だったり、話し声だったり。
それを聞きながら、私達はとある休憩小屋でじっと来るべき時を待っていた。
私の額、右足、それから兵助の頬と脇腹、左手からは静かに血が滴り落ちている。ぎゅっと握った兵助の左手はとても冷たく、元々白い肌はいつもにまして白かった。
状況は無音のまま私達の終わりを告げる。
「…ねぇ、兵助」
私はそう言いながら懐に入っていた小さなりんごを取り出した。普通のりんごより二回りほど小さい、かわいらしいりんごだ。
私はこれが好きだった。
見た目も好きであったし、一人で食するにはちょうどいい量でもあった。
りんごは私の手から転がって、伸ばしている足に落ちる。膝の辺りまで転がって、止まった。
兵助も視線をりんごに送り、薄く笑みを浮かべる。
「しらゆきの姫様のお話を知っている?」
「…またお前の好きな遠国のお伽噺か?」
「そうよ。美しかった姫様が、それを妬んだ母親に殺されてしまうお話なの。」
私は異国の書物が好きでしかも図書委員であったから、よく目を通す機会があった。異国の物語は良い終わり方をしないことが多いし、途中で死人が出ることも少なくない。
その中でもしらゆきの姫様のお話はとても美しく感じられて、私は好きだった。
「…また重い話だな、面白そうじゃない。」
「姫はね、毒りんごで眠りにつくの。」
これだけでも素敵じゃない?と笑うと、兵助も目を細めて笑った。
埃っぽい部屋に私達二人だけ。
片側から伝わってくる兵助の僅かな温かさが涙腺を緩ませた。
「…それで?姫君は死んでしまうの?」
「…ううん、王子様のキスで目を覚ますのよ。」
「解毒薬でもあったのか?」
「もう。兵助っていつも現実的。
愛の力ってやつよ!」
「…愛の力ねぇ…」
そこまで言うと外から銃声が聞こえた。
兵助が外の気配を伺い、私もそれに続いた。おそらくかなりの数の敵兵が外にいるのだろう。突入してくるのも時間の問題。
もう時間。
「…兵助、私がここに残る。兵助は裏口から逃げて、一人ならなんとかなるかもしれない。」
「馬鹿言うな、もし捕まったりしたら…」
「大丈夫だよ、情報を渡したりはしないから。」
私がりんごに目を落とすと、兵助の瞳が一瞬揺らいだ。
わかってしまったのだろう。
銃声がさらに大きくなる。もうきっと逃げられない、でも私が犠牲になれば兵助は逃げられる。
私なんかより兵助はずっとずっと優秀な忍だから。
「…はやく…はやく行って、兵助。私なら大丈夫、行って、兵助…」
「…出来るかよ…!」
囮になるため、扉に向かう私からりんごを奪って、兵助はそれにかぶりついた。
驚いて体を翻し、りんごを兵助の手から叩き落とす。しかし、もうりんごは半分以上兵助の口の中にあった。
「ちょっ…!!!だめ、兵助!!それには毒が……」
ぐっと体を引かれて、口付けられた。
りんごの甘さと、自殺用にと多目にいれた毒の苦さが口に広がる。
さすが伊作先輩。保健委員長だけあって、効き目は抜群だった。
あっという間に目の前の兵助が、ゆが、む。
「…へへ…わるい…」
「…へい、すけ…」
兵助はぎこちない動きで近くにあった布団に火をつけた。証拠隠滅は忍の基本だ。
すぐに火は辺りに広がり、私達を囲んだ。
(そして、お姫様は眠りについて…)
薄れていく景色の中、この死に方を思い付いた時を思い出した。
死んでも、王子様のキスで目を覚ます。出来ないとわかっていても、素敵だった。
もう瞳を閉じて、眠りについている兵助を抱き締めて私も目を閉じた。
「ばか…」
(王子様も一緒に寝ちゃだめじゃない)
温かくなっていく部屋で、私達は静かに冷たくなっていった。
白雪の散る頃に
(大丈夫。あの姫様だって、幸せになるんだから)