∴未来捏造設定注意
ふと目をさますと、床に座り込む父さんの姿があった。
寝てしまったのか、と思って時計を見るともう二時間も経っている。目を擦りながら体を起こすと父さんはちらりとこっちを見て手招きする。俺の体には薄い父さんの上着がかかっていた。
父さんは来月から行くらしいイッシュ地方の雑誌に朝から釘付け。俺もさっきまでは一緒になって、見たこともないポケモンや場所に興奮していたが、流石に一時間も見れば十分だった。あれからもう二時間。
でも父さんは何度も同じページを読み返す。
それは、その地方のチャンピオンのページだ。
きっと俺が寝ていた時間もずっと眺めていたんだろう。
「この人に会うの?」
「…そのつもりだ。」
「勝てる?」
「さぁな。」
嘘だ。さぁな、なんて思っちゃいない。
父さんに負けるつもりなんてこれっぽっちもないんだ。
俺は父さんが負けた所なんて一度も見たことがないし、テレビでやってた地方の大会でも父さんは全勝だ。旅だらけでバトル以外で遊んでもらったことなんてほとんどないけど、それでも父さんは俺の誇りだ。
棚に並ぶトロフィー、盾、メダルの数々。ここにあるだけでも凄いのに、じいちゃんの家にも、オーキド博士の家にも父さんのトロフィーが並んでいるのを俺は知ってる。
でも、やっぱり家にあるのが一番派手でかっこいい。
俺が見ているのに気付いたのか父さんもふと棚に目をやった。
「父さん、一番右のはなんのトロフィー?」
「さぁ…カントーのリーグのかな」
「隣は?」
「あれは…知らない。」
「じゃあその横の盾は?」
「多分ジョウト大会…?」
次々に聞いていくが多分、だとか、わかんない、という答えばかりだった。
高い所にあって俺が見れる場所じゃないし、なんだかもどかしい。
「父さん、わかんないのばっかりだね。俺だったら絶対覚えてるよ。」
「あれが欲しかったわけじゃないからな。」
またそんなこと言って、という母さんの言葉が聞こえるようだった。確かに一年前くらいに父さんがリーグで優勝したとき、父さんは俺にメダルをくれた。俺に取ってはかけがえのない宝物になったのに、父さんにはそうじゃなかったんだ。そう思ったらなんだか俺の机にしまってあるあのメダルも、ただの飾りに感じられた。
それに父さんは毎日毎日母さんがあれを大切そうに磨いてるのを知らないんだ。
そんな母さんを見ているから、父さんにはもっとあのトロフィー達を大事にしてほしいと思うのに。ずっと置いてあるのに指紋も埃もない金色の輝きは、母さんの想いだ。
「きゃあ!!!」
急に隣の部屋から叫び声がして、俺と父さんは顔を見合わせた。母さんだ。
俺が立ち上がろうとするけれど、父さんが俺の頭を支えにして立ち上がる、重くて少しよろけると、父さんは少しだけ笑った。
「…れ、レッドさん…」
「なに、名前」
「私…お買い物行ってくる」
立ち上がった俺達よりも母さんが先に扉を細く開けて、そう言う。急に父さんの表情が雲って、母さんはなぜか涙目。
「なんで。さっき行ったよね?」
「卵が…」
「割ったの?」
「うん…」
「全部?」
「全部…落としちゃって」
「どこに?」
「台所、流しに全部…」
父さんの問いに律儀に全て答える母さん。呆れたとばかりにため息をつく父さん。母さんに近付いて、下から見つめると、母さんは無理矢理に笑った。
「母さん、ご飯なに?」
「あ、オムライス、だけど…?」
「じゃあ俺卵なくても…」
「…他にやることは?」
せっかく俺が母さんを気遣っているのに父さんは思いっきり邪魔してきた。
後ろで父さんがそう尋ねながら俺がかけていた上着を拾う。くしゃくしゃにしてしまったのに気にせずそれを着て父さんは母さんに向き直った。
「あ、まだある…けど…」
「わかった、何個買えばいいの?ていうか、スーパー場所どこ?」
「え!?レッドさんいいよ、私行くから」
「うるさい。ほら、行くよ」
ポン、と父さんは俺の頭を叩いて、俺もそれに続く。母さんは申し訳ないとばかりに表情を暗くしている。母さんは落ち込みやすいが復活も早いから大丈夫だけど。リビングで父さんは赤い帽子を被る。さらに一つモンスターボールを取って、俺を呼んだ。
「レッドさん、ごめんなさい…」
「…平気だから下向かないで、更に不細工になるよ」
「…うん、ごめんなさい、帰って来たらすぐご飯にするから。」
「気を付けて」
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
気を付けて、は本来父さんが言う言葉じゃない気がするけど、母さんはどこか抜けているから俺もなんだか心配だった。
父さんはモンスターボールからリザードンを出して、左手で俺の体を掴む。細いのに父さんは怪力だと思う。リザードンに乗って、俺がスーパーの方向を指差すと俺達は飛び立った。
スーパーで卵を購入。
よく母さんとは来るけれど、父さんが一緒にいてなんだか変な感じがした。帰りはリザードンだと卵が危ないから歩いて帰る。元々そんな距離じゃない。父さんが片手に卵、もう片手に俺と手を繋いでくれているこの状況がなんだか嬉しかった。
「父さん、またもうすぐ行っちゃうんだね」
「そうだな、名前を頼む」
子供に向かって名前、なんてどうかと思うけど父さんはいつもそうだから頷いておいた。イッシュ地方がどこかはよくわからないけれど、イッシュの大会はテレビであまりやらないからきっと遠いんだろう。どうせ父さんはまた何年か帰ってこない。
「母さん、きっとまた大泣きだよ」
「あいつはいつでも泣く」
「父さんが行くときは泣き止まないんだ。大変なんだよ。」
「不細工になるからやめろと言ってやれ」
そう言いながら父さんはふっと笑った。
それは父さんの口癖だ。でもその父さんがいなくなるんだし、俺が言ってもあまり効果がない気がする。
「俺は母さん、かわいいと思うけどな。他の奴の母さんより、全然かわいいよ!元気だし!」
「そうか、」
「…俺が母さん貰っちゃうから」
父さんが俺の手をぎゅっと握った。怒ったかな、と少しだけ思ったけれど、そんなことあるわけもなく、父さんはなんだか凄く嬉しそうだ。
俺の顔を見るとハハ、と声をあげて笑った。
「…それは困るな」
それは俺が初めて見た父さんから母さんへの愛の言葉だったような気がする。
家が見えて、自然と足が急く。父さんは速度を変えなくて、代わりに手を引っ張られる。きょとんとした顔をして、言う。
「そんなに腹が減ったのか?」
「そりゃあ!っていうか、俺はチキンライスでよかったんだよ」
「…あいつのオムライスは死ぬほどうまい」
リトルメモリー
翌月、涙を流す母さんに、父さんは言った
(行ってくる)
俺の目を気にする様子もなく父さんは母さんにキスをした
俺は遠くなる父さんの背中を見ながら言った。
(母さん、かわいい顔が台無しだよ)