「嵐くん?」


学校から自宅への帰路の途中、聞き慣れない声に自分の名前を呼ばれた。最初は聞き間違えかとも思ったけど、もう一度名前が聞こえてきて振り返る。振り返った先に居たのは見慣れない女。見慣れないけれど、どこかで見たことあるような…どこか懐かしい雰囲気のある女だった。

「やっぱり嵐くんだ!えっと、久しぶり?」

そう言って彼女は俺のほうに駆けよって来た。誰だったか、俺はまだ思い出せない。多分俺も知っている人なんだろうとは思う。あと少しで思い出せそうな…喉元まで名前が出てきているのにあと少しが思い出せない、そんな感じだ。すごくもやもやする。そんなことを思ってたら、俺の前にいる女は少し苦笑いしていた。考えていたことが顔に出ていたのだろうか。少し申し訳ない気持ちになるが、思い出せないものは思い出せないのだからしょうがないだろうと開き直ろうかと思う。とりあえず「うす」と軽く返事だけはしておこう。

「あはは、覚えてないかな?だいぶ前に嵐くんの家の隣に住んでた、」

「もしかして、なまえ姉ちゃん?」

「そう!思い出してくれた?」

そう言って笑うなまえ姉ちゃんは、ガキの頃、俺んちの隣に住んでた人で。ちいさかった俺の頭をなでてこっそりお菓子をくれたり、泣いていた俺の手を引っ張って家まで送ってくれたりしてくれた。そんな記憶がふっと蘇る。その時の俺には姉ちゃんはすごく大きく感じていて、今久々に会ったなまえ姉ちゃんがこんなに小さかったのかと思ったら不思議な感じだ。いつの間にか俺のほうがでかくなって、目線も昔は俺が見上げる側だったのに今ではなまえ姉ちゃんが俺を見上げる側になっている。
家までの道を二人で歩きながら、姉ちゃんが嵐くん大きくなったねぇ、とかはばたき市はいつきても変わらないね、なんて言うから俺は相槌を打つ。

「そういや姉ちゃん、なんでここいるんだ?」

俺が小学校高学年くらいの頃だったろうか。なまえ姉ちゃんは大学進学のために家を出て一人暮らしを始めた。最初は姉ちゃんもそれなりの頻度ではばたき市に戻ってきてたし、俺もまだ部活をやってなかったから時間もあった。姉ちゃんが帰ってきてるなんて時はちょっと早めに家に帰ったりしていた気がする。それが時間の流れが経つにつれ姉ちゃんが戻ってくる回数も減ってきて、俺も中学生になり、姉ちゃんに会う気恥かしさとか、部活に熱中したりとか、そんな理由が積み重なって姉ちゃんに会うことがなくなっていった。今、ここでなまえ姉ちゃんに会ったのも何年ぶりだろう。目の前に居る姉ちゃんは俺の記憶の中の姉ちゃんよりすげぇ大人っぽくなっていて、数年前で止まっている俺の記憶の中の姉ちゃんと一致しなかったのも無理もないかもしれない。

「うん、ちょっと実家に用があってね。」

そう言って少しはにかむようになまえ姉ちゃんは笑った。そして「私ね、今度結婚するんだ」と言った。その時の姉ちゃんの顔は、俺が見たことのある姉ちゃんの顔の中で一番綺麗だと思えた。あぁ、これが恋をしている顔なのか、とも感じる。

「ま…じか、なまえ姉ちゃん結婚すんのか…。そっか、姉ちゃんもうそんな年なんだな。」

「その言い方ちょっと悲しいんだけど嵐くん…」

「あ、スンマセン。」

「いいよいいよ、実際もうそんな年になっちゃったしねぇ。」

姉ちゃんが結婚…なんて、なんか変な感じだ。いや変というか実感が全然わかないというか。なんか知らねぇがもやもやする。なんでだろう。でも姉ちゃんの幸せそうな顔を見ていると嬉しくもなるし、この結婚が姉ちゃんにとっていいことだっていうのは分かる。おめでとうって祝ってやりたいのになぜかそれを言葉にするのをためらう。昔は親にも言えないようなことでもなまえ姉ちゃんになら言えたのに。
そんなことを内心思いながら二人で帰路につく。あともう少しで家に着くな、って距離くらいで知らない男の声で姉ちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえた。その声は少し前に居る男が発したもののようで、その姿を確認した姉ちゃんが俺にこっそりと「あの人がね、旦那さん」と教えてくれた。その人は優しい表情で姉ちゃんを見ていて、あぁこの人は本当になまえ姉ちゃんのことが大切なんだな、と一瞬で分かった。

「じゃ、またな。なまえ姉ちゃん。」

「え?でも家まであと少しあるよ?」

「いいんだ、早くあの人のとこ行ってやれよ。」

そう言って姉ちゃんの背中を軽く押してやる。もう、嵐くんったら!なんて姉ちゃんは言ってるけどその表情は笑っている。またね、と俺に手を振ってあの人のところに走って行った。二人で並んでいる姿はとても絵になっていて、幸せそうな姉ちゃんを見て嬉しくなるのと同時に少しだけ、胸が痛んだ。あぁ。さっきのもやもやした原因がなんとなくだけどわかった気がする。

俺はなまえ姉ちゃんの事が好きだったんだ。

まだガキだった頃に憧れて、ちょっとでも構ってくれるのが嬉しくて、でも成長していくにつれて自分がガキであることが恥ずかしくなって話せなくなって。今の今まですっかり忘れていたし、多分ガキの頃には考えもしなかったんだろうけど。きっと昔の俺は姉ちゃんが好きで好きで仕方なかったんだと思う。高校生にもなってようやく気がついた、きっとこれが俺の初恋。

「姉ちゃん!」

少しデカイ声でなまえ姉ちゃんを呼ぶと姉ちゃんと姉ちゃんの旦那さんがこっちを振り向く。どうかしたの?なんて表情で俺を見る姉ちゃんはやっぱり昔と変わらなくて、嬉しくなる。あの人が知らない、今の姉ちゃんと昔の姉ちゃんの共通点。そう思うことくらい許されるだろ?

「結婚、おめでとう!」

少し冗談っぽく笑って言うと姉ちゃんはありがとう嵐くん!と笑ってくれた。
絶対幸せになれよな、なんて言葉は恥ずかしくて言えなかったけど。でもきっと、なまえ姉ちゃんは誰よりも幸せな日々を過ごしてくれるとぼんやりと思う。もし、本当にもしもの話だけど。姉ちゃんが悲しそうな顔をしてるときに俺と出会うことがあるなら、一発くらい旦那さんを殴りに行く権利くらいあるだろう。
なまえ姉ちゃんの弟分として、だけどな。
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