数日前から風邪の予兆はあったけれど、大丈夫だろうと高をくくっていたのだがどうやら悪化してしまったようだ。もしかしたら熱も出ているのかもしれない。節々が痛い。頭がガンガンする。視界もどことなくぼんやりとしているようだ。これでは店を開くどころではないな。どうにかCCMを操作して、拓也に連絡を入れる。体調不良で今日は店を開けられない、という旨をメールで送った。今日は拓也が店に来る予定だったはずだ。店の前でアイツが待ち惚けされても困るからな。何か食べた方がいいのだろうとは思ったけれど、動くのも億劫だ。ずるずると何かに引きずられるように、意識を手放した。



*



遠くでインターホンが鳴る音がする。最初は幻聴かとも思ったが、何度も何度も聞こえてくるものだから若干イライラしながら重い体を持ち上げる。足を引きずるようにベッドから降りる。鳴らしてるのは一体誰だ、とドアの外に居る人物をディスプレイで確認するとそこに居たのは意外な人物だった。

「なまえ…?」

うちの店の数少ない常連の一人であるなまえがそこに居た。なぜなまえが俺の家を知っているのだろうか。色々と聞きたい事はあるけれど、『マスター生きてますー?』と向こう側から聞こえる声に、このままずっと家の前に居られるのも迷惑だと判断した俺はそっとドアを開けた。

「生きている…大声を出すな」

「あ、マスター生きてましたかよかったー」

へらっと笑うなまえにさらに頭痛がひどくなった気がした。どうしてここに居る、と問いかけたら「拓也さんが教えてくれました」と目の前の彼女は答える。拓也…今俺はお前が猛烈に憎いぞ。
おじゃましまーす、と勝手になまえは俺の部屋へと上がって行く。もう止める気力もなかった。はぁ、とため息をついてなまえの後に続いた。ここ俺の部屋なんだがな…。
「マスターは何もしなくていいですよーあ、コップとかどこにあります?」なんててきぱきと動き始めた彼女を見て、お前は何をしに来たんだと質問をする。「え?マスターの看病ですけど?」とさらっと返されたものだから、熱で処理速度が遅くなっている頭は一瞬フリーズした。

「いつもみたいにお店行ったら珍しくお店しまってましてー、変だなーって思ってたら店の前で拓也さんとバッタリ会ったんですよ。そこでマスターが風邪ひいて倒れたという情報を得まして。拓也さんが『アイツの事だから倒れてることもありうるな』なんて言うものですから心配だーって言ったら『様子を見て来てくれないか』って頼まれて今に至るわけですよ」

案の定何も食べないで死んでましたねマスター。となまえが言う。返す言葉もないので何も言わずにキッチンに立って作業をしている彼女を見る。思ったより手際よく作業を進めていく姿は不思議なものだ。今まではただの客としてのなまえしか見たことがなかったからというのもあるが。
客としてのなまえはうちの店に来てはコーヒーを頼みぐだぐだとどうでもいいことを話して過ごすか、大学のレポートなどを持ちこんでレポートを書いている姿が主だったから、家事などが出来るというイメージが持てなかった。彼女も一応女だったな、なんてぼんやりと思う。
そんな俺の視線に気がついたのかなまえは振りむき俺を見る。「私これでも一応栄養学科の生徒なんですよ?」と自信ありげに言った。あぁ、それなら確かに料理とかの手際は良いかもしれないな。学校でいつもそういうことをしているのだろう。見ていて安心できる。もしここに来ていたのが拓也だったりしたらそれはもう俺のキッチンは大惨事になっただろうな。そもそもアイツにはキッチンに俺が立たせないが。

「はい、マスターどうぞ」

そう言って俺の前に差し出されたたまご粥。昨日から何も食べていなかった胃が急に動き始める。まずは一口、口に含む。

「うまい、な」

気が付いたらそう口が動いていた。素直にうまい、と思った。なまえは「よかったーマスターの口に合わないんじゃないかってちょっと心配だったんですよ」と言いながらほっと息をついた。特に何か凝っているわけではなく、どちらかと言えば素朴な味だろう。自分で粥を作ってもこんな味は出せないなと思った。なまえの味、と言ったところか。食べているだけ安心できるような、そんな感じがした。そんな料理を食べるのはいつぶりだろう。まるで母親が作ったような感覚に陥る。気が付いたら出された粥はいつの間にやら空になっていた。

「寝るならちゃんと水分取ってから寝てくださいね。あ、ポカリ買ってきたんで飲みます?」

「…まるで母親のようだな」

「いやーだって出てきたときのマスターめちゃめちゃ死にそうな顔してたんですよ?」

心配にもなりますって!と言うなまえは笑いながらペットボトルを差し出してきた。…そんなにひどい顔だっただろうか。あぁ、そういえば髭も整えていないことに今気がついた。そういったことはしっかりとしていたつもりだったが、やはり風邪で弱っていたのかそこまで頭が回らなかった。ペットボトルを受け取り、ため息をつく。こんな姿を客に見せるなんて俺もまだまだだな。

「後何か欲しいものでもあります?冷えピタとか、プリンとか」

大丈夫だと言ってもこの調子では納得してくれそうもない。大人しく何かを頼むべきか、と思ったけれど久々の満腹感からか少しずつ瞼が重くなってくる。思考回路も鈍くなっていくようだ。

「それとも添い寝でもします?なーんて」

「それも、いいな」

「へっ?」

俺の返事に驚いたのかポカンとした表情の後、「いやいや!さすがにそれはまずいですよマスター!」なんて慌てふためくなまえが微笑ましい。冗談だ、と言うと彼女はもう!と少し怒ったような顔をする。そういうところはまだまだ子供だな。ふっと笑って、帰るように伝えた。これ以上居たら風邪をうつしてしまうだろう。「本当に大丈夫ですか?」と念を押される。そこまで俺は信用がないのだろうか。

「早く治してくださいね。私ブルーキャッツでマスターのコーヒー飲むの好きなんですから」

「あぁ、善処しよう」

お大事に!と言って帰って行くなまえの後ろ姿に少し、名残惜しさを覚える。病気になると人恋しくなるというのは本当だったのか。そんな自分に自嘲しながら大人しく寝ることにしよう。アイツのためにも、さっさとこの風邪を治して店を開いてやらないとな。
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