―バタバタバタ
廊下を走るあの子の足音は部屋の中にいる僕にも聞こえる。
だんだんと近づいてくるその足音に僕はあと数秒で扉が勢いよく開けられるのを予想する。
―バンッ!!
「びゃっくらーん!」
………ほらね。
いつも通り、水色の髪と黒の隊服、そこから伸びる少しばかり日に焼けた足が視界に飛び込んできた。
彼女が僕が座る真っ白な皮が張られた上質のソファーに勢いよく飛び乗った為に、ソファーのスプリングが少々軋む。しかし流石に上質なだけあって壊れる気配は全くない。こだわった甲斐があったかな。
「やあブルーベル」
挨拶代わりの軽いキスをすればほんのり頬を染めつつも、もう慣れたのか当然という風に受け入れる。
「ところでブルーベルは何しに来たの?」
「あのね、桔梗がブルーベルにパイを焼いてくれたの!すっごくおいしいからびゃくらんにも特別にわけてあげる!」
ホラ!と言って差し出されたのは白い皿に乗っているパイが一切れと銀のフォーク。見たところアップルパイかな。
まあ中身が何であれ、僕は甘い物は無条件で好きだからいいんだけど。
桔梗チャンが焼いたなら不味いということはまずないしね。
「ブルーベルはもう食べたの?」
「うん!だからびゃくらんも!」
「ありがと。じゃあいただきます」
ブルーベルから皿を受け取って、フォークを掴んでパイをサクリと切って、口に入れる。
ブルーベルに焼いた物だから味は桔梗チャンにしてはシンプルな、林檎の甘みを生かした味。食感もしっとりし過ぎず、ちょうどいい。
「流石桔梗チャン。確かに美味しいね」
「でしょ!?」
「うん」
ニコニコしているブルーベルの水色の髪を撫でてやれば気持ちよさそうに目を閉じる。
しかし撫で続けているとふとハッとしたように僕の手を掴み止めた。
「どうしたの?」
「にゅ〜…」
僕から目を逸らし不服そうな顔をするブルーベル。
数秒、何か考え込むように黙り込んで、再び僕の顔を見て口を開く。
「びゃくらんはブルーベルのこと、どう思ってるの?」
「可愛くて大切だと思ってるよ」
「にゅ…」
間発あけずにニッコリ笑って返せば俯くブルーベル。
長い髪に隠れて顔は見えないけど口を尖らせたしかめっ面をしているんだろうなと予想する。
ブルーベルが何を考えてこんな事を聞いてきたのか、ちゃんと全部わかってる。
『びゃくらん!』
『何?』
『ブルーベルね、びゃくらんのことが好き。お兄ちゃんを好きなのと違う好きだよ!だから……びゃくらんと“恋人”になりたい』
『…いいよ』
以前したこのやりとり。勿論忘れているワケじゃない。
“恋人”という関係であるはずなのに僕がまるで子供扱いするのが気に入らないのだろう。
なにせ僕は一度もブルーベルや他の人間に対してブルーベルのことを恋人とも好きとも言っていないし、軽いキスしかしていない。
それを承知の上で僕はわざとブルーベルが望んでいるのとは違う答えを返す。
何故かって?
楽しいからに決まってるじゃないか!
ブルーベルは僕の一挙一動に大げさな反応を、僕の言葉一つで百面相を返してくる。
悪意も裏表も一切なく、忠誠と心酔、恋愛と敬愛を向けてくる。
釣った魚に餌をやらないワケじゃない。
ただ、普通にあげるのがつまらないだけ。
そこにちょっぴり悪戯心を加えるだけで魚の気持ちを更に惹くことが出来るんだ。
こんな面白いコト、やらないワケにいかないでしょ?
「………にゅ!」
しかしいきなりブルーベルが飛び上がるものだからこれは流石の僕でもちょっと驚いた。
「決めた!びゃくらん!」
「?」
「また後でね!!」
―バタバタバタン!
「…………」
嵐のように走り去っていったブルーベル。
一応あの子は雨の守護者なんだけどな…
「………ハハッ」
そう、掌で遊んでいたはずが、時たまああして僕の手を飛び出るものだからあの子といるのは面白いんだ。
今度は何をしてくれるのやら。
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