わすれもの
「なぁ、名前」
ふと、思い付いたように顔を上げた露伴が、名前にちらりと視線を向ける。「んー?」と短く返事をする名前はどこか上の空で、露伴はそれがなんとなく気に入らない。
「……何やってるんだ」
苛立ちを露わにした声で露伴が尋ねると、名前はくるりと振り向き、机に向かって座る露伴を見下ろすようにして立つ。いったい何がしたいんだと、露伴は溜息をついた。
「私、ね。絵を描いてたの」
「絵を? きみが?」
聞き返すと、彼女は頬を膨らませて拗ねた。
「そうよ、悪い?」
露伴は、悪いなどとは言っていないと言おうとしたが 先程までの自分の態度を思い出し、そんなことが言える立場でもないか、と思い直した。しかしただ単純に、分からないのである。彼の頭の中は、疑問符で埋め尽くされてゆく。
何故、絵なんて描いているのか。今までに彼女は絵を描いたりしていただろうか。普段の彼女であれば自分の描いたものはすぐ自慢気に見せびらかすだろうに、何故見せてこないのか。作ったお菓子などはいつも1番に自分に見せに来ていたのに。
どんなに考えても、まったく分からない。
「何を描いたんだ?」
「知りたい?」
そう言って、名前は小首を傾げる。その動作に一瞬、可愛いなという素直な感情が過ぎり、なんだか恥ずかしくてそれを自分の内でなかったことにしてしまう。
それよりも、何故名前はこんなに勿体ぶっているのだろう。見せたいのか見せたくないのか、はっきりすれば良いのに。
そんなことを露伴は思うが、名前は相変わらずにこにこと笑っているだけ。どうしたものかと思案するも、こういう時に限って彼の頭はまともな回り方をしてくれないのだから困ったものだ。
「ね、露伴せんせ? 見たくないの?」
痺れを切らした名前が、露伴の服の裾を引っ張る。見たい、と言ってほしいのだろう。しょうがないな、とまた露伴は溜息をつく。
「……ああ、見たいよ」
「ふふ、やっぱり?」
彼女は嬉しそうに笑うが、肝心のその絵とやらを持って来ようとはしない。
本当に何がしたいのやら、ますます分からない。
「名前、」
「あ〜っと露伴先生、イライラしないで? ちょっと待ってね、持って来る」
呼び掛けようとした露伴の声は彼女の大声に遮られ、しかし続きを言う間もないまま彼女は急いで何かを取りに行く。とは言ってもこの部屋の隅の方へ行っただけなので、大した距離ではなかったが。
「じゃーん! どうよ、先生?」
彼女は1枚の紙をぺらりと露伴の前に翳す。近過ぎて見えないので少し下がってみると、そこに描かれていたのは露伴の顔だった。彼女が絵を描いているところなど露伴は見たことがなかったが、思った以上に上手い。露伴からすれば、「ぼくの方が上手いけどな」と最後に付け足さなくてはいけないレベルのものであったが。
しかしそれにしたってこれはなかなかよく出来ている。何処となく露伴の絵のタッチにも似ていて、彼の仕事の様子を普段からよく見ているということが疑えた。
「…ぼくほどじゃないが、それなりに良いと思うよ」
「へへ、…でしょ? 私 頑張ったんだから!露伴先生の為に!」
褒められるのはやはり嬉しいのだろう、彼女は頬をほんのり朱に染めて得意気に微笑んでみせた。
「ぼくの為? なんでそんなこと」
「なんでって……今日、私たちの一周年記念」
あ、と小さく声を漏らす。
確かに今日は、彼と名前が付き合ってからちょうど一年だった。
忘れていたことを怒ってはいないかと名前を見るが、そんなことはなかった。先程までと同じように、嬉しそうに笑って立っている。
「……忘れてた?」
「……忘れてなんかいないさ」
でも。そう言って彼は名前を抱き締める。
「露伴先生?急に何を────」
慌てたような声をあげる名前の唇を、露伴のそれが塞ぐ。その瞬間 彼女は目を見開いたが、露伴は逆に目を閉じて行く。そのうちに名前もそっと目を閉じた。
「……せんせ」
ゆっくりと唇を放すと、それまでとは打って変わって不満気になってしまった名前の声が耳元に響いた。
「一周年記念、忘れてたお詫び」
露伴もなんだか照れ臭くなってきて、小さくそう答える。一気に真っ赤になっていく露伴には、名前が羞恥で耳まで赤くして俯いている様子は目に入らない。そんな余裕もなかった。
一年経ってもウブなまま。お互いこのままではいったいこの先どうなるのかと、露伴はこっそりと苦笑した。
++++++++++
お礼文
「我儘ガール」矢波様より
相互記念小説を頂きました!
矢波様、この度は相互して頂きありがとうございます!
露伴先生…!
うはぁ!耳元で囁くとか…!
一周年記念を忘れた記念って…もったいなさすぎるぅうっ!
鼻血が止まりませぬ!
素敵な小説、
ありがとうございました
大切に飾らせて頂きます!
相互ありがとうございました!
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