ホットミルクとパンケーキ(三輪子猫丸) | ナノ


「好いとる女の子がおるんです」

志摩さんに追い詰められてついには壁際、観念した口からは近頃頭を悩ませている原因がぽろりとこぼれてしまった。途端に2人の驚きの声が部屋の壁に響く。心ここに在らず、といった僕の様子をとうとう感づかれてしまったらしい。
それを聞いた志摩さんは恥ずかし気のかけらもなく「俺が譲ったエロ本にも興味持たんかったあの子猫さんが」と嬉し泣きで頬を濡らし始め、そして坊には「なんで黙っとったんや、俺らとお前の仲やろ」と背中を叩かれた。そこはかとなく、顔が熱い。理由としては照れくさいのはもちろんのこと、そして何より仮にも坊主である自分が、色恋に現つを抜かしていいのかと迷っていたからでもあった。そうとは言えずに終わりを濁していると、僕はすっかり涙を乾かした志摩さんに突然肩を抱かれた。目尻の下がったその目には、意味あり気な光がきらりと輝いている。

「そういうことやったら、俺に任しといて下さい」

…こうなるのを予想してもいたから言えなかった、という言葉すらも口の中に含んだまま、僕は引きずられるように寮を後にしたのだった。


少し、僕が好意を寄せている女の子のことを話しておこう。その子は毎日朝の食堂で見かける。朝昼晩の食事には学校の食堂を利用しているのは間違いないのだけれど、僕が塾に通っている関係で、昼と晩だけはどうしても食事のタイミングがずれてしまうようなのだ。睫毛が長くて肌が白い、そして毎朝にはお決まりのパンケーキセットを注文する女の子。名前はおろかクラスさえもわからないものだから、僕は誰にも秘密で彼女のことを“パンケーキの子”と呼んでいた。

「おっ 発見!子猫さん、3時の方向にまっすぐや」
「ええですよお!そないな気い回してもらわんでも!」
「せやかて、いずれは通るはずの道やないですか。ほらがんばりましょ」
「あのパンケーキの子と話してみたいんやろ?」

…けれども、今ではその秘密も自分だけのものではないわけで。ぐいぐいと背中を押されながら、両手に持った朝ごはんのお盆を落とさないようにとバランスをとる僕。本当、さすが志摩さんはこういう路線の話題には積極的になるというか。“水を得た魚”ゆう言葉の使い時はまさに今やないんかと、窮地に立たされた僕は思った。いつもはこんな志摩さんを止めてくれる坊も、今回だけは志摩さんの側につくらしい。
…あの子の目の前の席に座って朝食食べてこいなんて。志摩さん、そんなのあんまりですよ!

「こっ ここ、座ってもよろしいやろか」

抵抗虚しくパンケーキの子の近くに立たされた僕は、仕方なく腹をくくって彼女の視界に入りこんだ。けれど信じられないくらいに上ずった声が出て、恥ずかしさのあまり逃げ出したくなった。けれどもどうにか思い留まり、背筋をぴんと張り直す。だって好きな女の子が目と鼻の先にいるのだから。
苺のジャムと生クリームのついたパンケーキを口に運ぶ彼女は、僕を仰いで一瞬だけ驚いたような顔をした。まわりにこれだけ席が余っているのにわざわざ目の前に座るなんて、やっぱり変に思われてしまっただろうか。けれどすぐに「どうぞ」と微笑んだのを見て、安心した僕はどぎまぎしながら椅子を引く。今にも心臓が胸を突き破ってきそうで、少しだけ冷や汗が伝った。

…ここまではよかったんだけれど、さて。問題はここからだ。それから僕たちの間にはしばらく、気まずい沈黙が流れてしまったのだ。何を話すわけでもなく、ただひたすらに目の前の朝ごはんを平らげてゆくだけ。正直、味わう余裕なんてないけれど。女の子が好きそうな話題を知らない僕が焦る一方で、目の前の彼女はもう最後のパンケーキをフォークに刺していた。ああ、せっかく2人が気を遣ってくれたのに。

「いつも思うけど、変わった組み合わせだね」
「えっ?」
「焼き鮭定食とホットミルク」

ふと、賑わう食堂の音しか受け入れなかった耳が、鈴の音のような小さな笑い声を拾った。鮭の身をほぐす箸の動きをとめて顔を上げれば、パンケーキの女の子は僕のお盆を見つめながらくすくすと肩を揺らしていた。僕の毎朝の朝ごはんといえば、焼き鮭、お味噌汁、ごはん、お新香。そしてホットミルク。これは坊や志摩さんに比べて発育のよろしくない僕がそれを促そうと好んで注文している飲み物だ。
たしかに、和と洋が混ざったようなメニューだからおかしいか、も…。

……あれ?“いつも”?

「ごちそうさまでした!じゃあね…えっと…」
「…あっ、三輪です。三輪子猫丸」
「そっか。じゃあ三輪くん、また明日ね」

仕上げにオレンジジュースを流しこんだその子はぱちんと手を合わせて席を立った。言葉をつまらせたのに気づいた僕がすかさず名前を教えると、パンケーキの子はそう言いながら笑って手を振り返却口へと駆けていった。小さくなってゆくうしろ姿。揺れる髪が、食堂に溢れる朝日を浴びてきらきら輝いていた。
…いつもって、どういうことなんやろ。もしかして、見られてはった?僕らお互い様やったんやろか?…いやいや、自惚れたらあかん。自惚れるな…ああ、でも。さみしくなった正面の席を見つめてはぐるぐると考え巡らせ、温くなったホットミルクに口をつけた。その甘さに胸を満たされていた僕に、志摩さんが青春だなんだと言って抱きついてくるのはあと、数秒後のこと。

そういえばあの子の名前を聞くのを忘れていたけれど、また次の機会でいいかと、今はそう思えた。「また明日ね」と笑った可愛らしいあの子が、今から待ち遠しくて仕方がないのだ。

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