ルシファー(砂糖菓子怪獣の真下で) | ナノ


「まっず」

夕飯のオムライスを一口食べるなり、私と向かい合う彼はもはや朝昼晩のお決まりとなった台詞をつぶやいた。日常に馴染んでしまったとしても、やっぱり自分が作った料理を貶されると心にグサリとくるものがある。けれど彼は散々文句を吐き散らしておきながら、いつも最終的には空っぽになったお皿を突き付けておかわりを要求してくる。我が家の居候はわがままで意地悪であまのじゃく。まるで悪魔みたいな人なのだ。

・ ・ ・

居候である彼の名前はルシファーさんという。どうして彼が小さなアパートに住むごく普通のOLの私と同居しているのかというと、まあ、結果的には私の後先を考えなかった行動がもたらしたことだ。
上司や先輩との付き合いが上手くいかなくて、あの夜は一人寂しく居酒屋でやけ酒を煽っていた。もともとお酒に強くないくせに浴びるように飲み続けて、夜道をさ迷った挙げ句の果てに公園のベンチで眠りについたところまでは記憶にある。しかし翌日の朝目を覚ました時には私は自宅にいて、となりでルシファーさんがぐーすか寝ていたのだ。びびる所の騒ぎじゃなかった。得体の知れない男を前にして、まさか一晩の男女の過ちを犯してしまったんじゃないかと血の気が引いたけれど、二人ともきっちり服を着ているのを見るとその心配もなさそうだった。

「は?家まで送れって俺に頼んできたのそっちなんですけど」
「えっ」
「うわー感謝もなしに追い出そうとするとかひどくないですかー」
「…すいません…えっと、昨晩はありがとうございました…?」
「どーいたしまして」

ってことで俺今日からここに住むんでヨロシク。寝起きで毛先が跳ねた黒髪頭は勝手に冷蔵庫を荒らしながら当然のようにそう言い放った。もちろんそんな話を今初めて耳にした私ははい??とルシファーさんに聞き返す。どんな流れでそうなったんだ。しかし冷蔵庫の棚からりんごを見つけたルシファーさんは再度説明してくれることもなく、私の布団に寝転がり鋭利な歯でそれをかじり食べ始める始末。もともと二日酔いで痛んでいた頭はさらに目眩に襲われることとなった。

それ以来私の毎日はルシファーさんを中心にして回るようになった。批評する割りには成人の男性らしくよく食べるので、彼のかさむ食費によって正直家計は火の車だ。私の寝床である敷き布団も、貴重なお給料を注ぎ込んで買った低反発まくらを含めてまるごと取り上げられてしまった。これまで畳を涙で濡らす夜を何度越えてきたことか。しかしいざルシファーさんを追い出そうとしても、彼はあの日の出来事を盾にして遠慮なくここに居座り続けた。俺がここまで運んでやらなかったら、お前今頃どうなってたかわかんねーよ、と。居候は迷惑だけれど彼の意見は的を得ていて、私は何も反論ができなくなる。たしかにあの日、もしあのまま酔ってベンチで無防備に眠っていたら身の危険だってあったわけだし、この世の中なかなか物騒だから最悪事件に巻き込まれて死んでた可能性だって…するとルシファーさんは命の恩人とも言い換えができるようになり、結局私は恩返しという形で彼を養うほかなかった。

会社が休みの日曜日は、夕飯とお風呂を終えたあとパソコンをいじる時間が私の一週間のうちで唯一の至福だ。日頃人間関係とか居候さんとか居候さんとかによって溜まった鬱憤を晴らそうと、今日もお気に入り登録をした人気ブログを…。

「…な、なんですかルシファーさん」
「別に見てるだけですけど?」
「あ…そ、そうですか」

…気が散って仕方がない。私の背後にいる彼は何をするでもなく、じっと私の手元を覗き込んで目を離そうとしない。パソコンが珍しいのだろうか。
ルシファーさんの視線の中ぎこちない手つきでキーボードを叩きながら、私は今日の昼にあった出来事を思い出していた。ルシファーさんが出かけている間に、彼の弟と名乗る男性が秘密でこのアパートを訪ねてきたのだ。弟さんはルシファーさんと似ておらずまるで天使のような人(ちょっと好みのタイプだったりした)だったけど、彼にそっくりなそのくせっ毛からたしかな血の繋がりを知った。「兄さんは元気にしてますか?」とか「ご迷惑おかけしてませんか?」と質問をいくつかしたあと、私に手土産を渡した弟さんは涙ぐみながら晴れやかな笑顔を見せて帰っていった。

「不束な兄ですが、どうぞよろしくお願いしますね!」

とりあえず、彼に大きな勘違いをさせているのは明確だった。
いやしかし、本当のところルシファーさんは私のことをどう思っているのだろう。所詮ただの同居人とかそんな存在なんだろうか。私はというと、しばらく時間を共有したことでそこそこ良い関係を築けているつもりでいるのだけど。彼も彼で始めは尖ってばかりだったのに、最近は雨が降ってきたら洗濯物を中へ取り込んでくれたりして丸みを帯びてきたのがよくわかる。綻んだ間柄…だとは思うんだけどなあ。

「あの、ルシファーさんにとって私って……ルシファーさん?」

気がつけば、彼の視線はパソコンから剥がされていた。反応がないのを不思議に思ってルシファーさんの方へ顔を向けると、至近距離で長い前髪に隠れた目と目が合ってしまって、私はその一瞬、呼吸をすることを忘れた。自分の脈打つ心臓の音がすぐ近くで聞こえるような錯覚。逆上せたような熱は体中に広がり支配する。ルシファーさんは背後から私の肩に触れ引き寄せると、首筋に顔を埋めて唇を沿わせた。

「…っあ、ルシファーさ、なに…っ?…いっ!いたたたた痛い痛い痛い!!」

肌の上を滑る、ぞくりとするその感覚に身を強張らせた瞬間、首筋に尋常じゃないほど強く鋭い痛みが走って反射的にルシファーさんを突き飛ばした。い、今、この人、噛んだ。びりびりと余韻の残る首筋に手を這わせてみると指先には軽く血がついていて、顎に相当な力を入れられていたことがわかった。

「はっ!その反応最っ高。まじウケる」
「意味わかんないです!なんで噛むんですか!?」
「あ?知らね。俺の気まぐれだろ」
「…最っ低!ルシファーさんの馬鹿!悪魔!私をなんだと思ってるんですか!!」

この時私の頭にはお隣さんの迷惑とかを考える余裕なんてなくて、とにかくむちゃくちゃに叫んだ。小学生レベルの悪態を並べてそれはもう叫んだ。そんな私と対称的にお腹を抱えて笑っているルシファーさん。絶対許せない。呪ってやる。この悪魔め!

「で?俺がどう思ってんのか知りてーんだっけ?」
「別に知りたくないです。あっち行って下さい」
「強がっちゃって」
「違いますってば!」

彼は気が済むまで笑った末、意地悪そうに口角を吊り上げながら私に迫ってきた。憎たらしく緩んだ頬目がけて右手を振り下ろすが、そんな抵抗は虚しくルシファーさんに片手で受け止められた。悔しくて視界に涙が滲む。どうして私はこうも彼に振り回されるんだろう。本当は、ルシファーさんが首筋に触れた時、その先を期待してしまった自分が何よりも腹立たしいのだ。
ついには両手の自由を奪われた私は畳の上に押し倒されてしまった。「知りてーかよ」天井を背負った彼は求めさせるために焦らしながら私を見下ろしている。ああもう、我慢ならない。黙ったまま頷くと、ルシファーさんは満足気な顔をして私との距離をゆっくり縮めてゆく。再び体をあの熱に浮かされる。彼は鼻先が当たるか当たらないか、吐息が届くまで近づいて、一言だけ囁いた。

「絶対教えてやんねー」

ああ、この悪魔には適わない。そう理解した私は力なく瞼を閉じた。

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