サヨナラ三角またきて四角 | ナノ


「じっちゃん、おはよ」
「おう」

眠気の抜けない体を半ば引きずりながら起きてきた私を、玄関に腰かけた私の祖父(以下じっちゃん)は肩越しに振り返った。おはようなんて言ったものの時間は昼に差しかかっていて、じっちゃんは今から仕事に出かけるらしい。
外では愛車の軽トラがエンジンを吹かして待っている。不器用な太い指先はいつものことながら長靴の紐をちょうちょに結ぶのが苦手らしく、大きな背中を丸めて苦戦する姿は強面との差もあってかどこか可愛らしい。手伝おうかとからかったら「いらねえよ」と怒られた。

「名前、こいつ水で冷やしといてくれ」
「うわ…またこんなに採れたの?絶対二人で食べきれないと思うんだけど」
「バカお前、食うんだよ気合いでな」

じっちゃんの側に転がっているすいか5玉を屈み込んで眺める。そりゃあ立派に丸々太っていておいしそうだけど、この家に二人で暮らしている私たちにはいくらなんでも多すぎる。弱気な私の背中を痛いほどに叩く、ごつごつした手が丹精込めた畑は今年も大豊作らしい。
いびつな形のちょうちょを作り、ようやく準備が整ったじっちゃんは腰を持ち上げた。

「名前」
「ん?」
「今日は、どうする」
「…やめとく。っていうか、どうせ今日終業式だけだし」

玄関を出る前に私を振り返ったじっちゃんは「そうか」とだけつぶやいて軽トラに乗り込み、仕事に出かけていった。
私の高校は今日から夏休みに入った。蝉の声も日に日に増えて、太陽はじっちゃんの肌を一段と浅黒く焼きにかかっている。移り変わる日常の中で、変わらないのはすいかを抱えるこの不健康な肌の白さくらいだ。
じっちゃんの消えた玄関にしばらく立ち尽くしてから、私は頼りない足取りですいかを運び始めた。


庭のひまわりが真上に登った太陽を見上げる正午。さすが夏休みなだけあって、外へ一歩踏み出せば蒸し暑い空気が体にまとわりついた。攻撃的な日差しの下、倉庫から引っ張り出したビニールプールを膨らましていただけで目眩がした。花壇の隅っこの水道もこの暑さにやられたのか、ごろごろと並べたすいかが浸かっている水は生温かかった。こんなんじゃすいかが冷えない。
冷蔵庫に氷あったかな、とサンダルを脱ぎ捨てながら窓から中に入って台所へ。冷蔵庫から漁った氷をありったけ洗面器に入れて庭に戻った。

「んひゃー!きんもちいー!」

ほんの数十秒目を離した隙にそいつは庭にいた。水道から引いたホースを掲げて、噴水みたく上がった飛沫を浴びながらそこら中を跳ね回っている全身びしょ濡れの男。どこから入ってきたのか突然現れたそいつに洗面器を持ったまま唖然としていたけれど、私は思い出したように怒鳴りつけた。

「ちょっと、あんた何してんの」
「ん?僕?えっとね、暑くて乾いてきちゃったから休憩してた!」
「はあ?勝手に人の庭に入っといて何が休憩よ、早く出てってくれる」
「あ そっか!どーもおジャマしてます」
「出てけっつってんでしょ!さっさと!」

まったくと言っていいほど話が通じないこいつに炎天下の暑さも相まって、次第に込み上げてくる苛立ちをなんとか抑える。が、無駄に丁寧なお辞儀を見せる姿に私はついに頭を抱えてしまった。
よくよく見ればアレンジは加えているものの、この制服うちの高校のじゃないか。こんなおかしなやつ江ノ島にいたっけ…まあいいや。こいつ相手に憤っても時間と体力の無駄だと悟った私は、男に手を差し出した。

「ん」
「ん?」
「返してよ。あんたのための水じゃないんだから」

さっきから男の手にはとめどなく水を流したままのホースが首を掴まれていた。早い所ホースを取り返して、ついでにこいつも追い出してすいかを冷やさないと悪くなってしまう。
「むむっ、なるほど!僕わかった!」私とホースとを交互に見て、ぱっと笑顔を咲かせた男は何を勘違いしたのか。私目がけて勢いよく飛び出た水を浴びせかけられた。
毛先から雫を滴らせる私がこの後、溜め込んでいた怒りを青空に響かせたのは言うまでもない。

空中に漂う水の粒が淡い虹を架けてきらめいている。今年もまた巡ってきた季節、入道雲が浮かぶ変わらない景色。変わり始めたのは一人ぼっちな私の日常。

「僕、ハル!宇宙人!」

夏が、始まろうとしている。

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